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魔法使いと鳥かごの花  作者: 水月 裏々
○ 再びテア ──真実を──
18/32

2. 雨上がり

 昨日の午後に降り出した雨はわたしが眠りにつくときも変わらず降っていて、永遠にやまない子守唄のように響いていたが……夜中のうちにすっかり上がったらしかった。

 夜明けに目覚めたわたしは、窓を開けて森の静寂を吸い込んだ。


 ──瑠璃と翡翠の朝……。


 満月のような魔法光の灯るランプをつけ、掃除と畑仕事用の服に着替える。髪は簡単にうなじでくくって部屋を出た。

 いつも通りバスルームで顔を洗って食材部屋から館の外に出れば、雨上がりの森が眼前に広がった。


 朝のできたての光にぼんやりと浮かび上がる

 神秘を宿す水溜まり。


 ひとときのみ許されし夢の装飾を失うのを恐れ

 黙す植物たち。


 その水晶のごときしずくの輝き。


 わたしはクシャ…といつもと違う感触を返す地面を踏んで菜園の中を歩きまわった。袖が触れた野菜の葉が揺れて、ふるりと悲しげに水晶のひと粒を落とす。


「あ……ごめんね」


 思わず謝り、きれいな彼女たちの飾りをこれ以上はぐことがないよう、わたしは収穫し終えた朝食に使うぶんの野菜とハーブを小さなかごに入れてそっと館に入った。


 フライパンを火にかけて切った野菜を放り込み

 お湯を沸かしてお茶を入れる。


 野菜と昨日の残り物で簡単な朝食を作って食べ終えたら、次は掃除と洗濯だ。魔法仕掛けの洗濯機を動かし、階段、廊下、玄関、バスルーム等を磨いて回る。二階の掃除はカイさまの邪魔をしないように最低限かつ物音を立てないように、すばやくおこなうのが肝心だった。


 ──カイさまは、今日もちゃんと寝室でお休みになったかしら。


 そんなことを考えながら。掃除まで終わった所でもう一度今度は丈の長い濃紺のお仕着せに着替えて、髪を綺麗に結い直した。ほどけないようにピンを何本も差し込んで。


「っと……はーい!」


 かすかに聞こえたコツコツと窓を叩く音に駆け出した。

 開けた窓から飛び込んできた新聞売りのワシは、今日は行商鳥も連れていた。ワシからはいつもの新聞を、行商鳥からは卵や調味料を購入し、いくつかの日用品も買い足しておく。お金を渡せば、鳥たちはオマケに森で摘んだ花を一輪置いていってくれた。

 新聞用のアイロンを熱している間、花を花瓶代わりのコップに入れて、買った食材を保存箱へ、他のものもそれぞれの場所へしまったわたしは何気なく新聞を開いて…………絶句した。






「っカイさま!」


 アイロンがけも朝のお茶も忘れて、何も考えずに新聞片手に飛び込んだカイさまの寝室。いつも通り彼はわたしの開いた扉の先にいてくれたけれど。

 カイさまは眠ってはおらず、ゆえに寝台にもいなかった。


「……カイ、さま?」


 返事はなかった。

 なかったが、彼はちゃんとわたしの前にいた。

 わたしに気付かず、声も届いていないようだったけれど。


 カイさまは椅子にやや行儀悪く片足を乗せて座り、頭を窓枠にもたれさせて外を見ていた。森を。あるいは、さらにどこか向こうの肉眼では見えぬ景色を。

 切ったばかりの青みがかった黒髪の先には、窓に向かってかしいだ白い首筋があった。何かの象徴のように黒の絡む白の首。

 さらに彼は寝間着の上に夜さながらの魔法使いの黒いローブを羽織っていて、それが日焼けを知らぬ肌をより白く、つくりものじみた美貌をより人形めいて見せていた。冴え冴えとした横顔なのに、黒白の対比が妙になまめかしい……。


 わたしは無意識にゾクリと震え、震えた自身に驚いた。

 怖い──? ちがうわ、そうじゃない。でも。


 わたしはなぜか顔がほてるのを感じながら視線をそらした。黒いローブからのぞく、無造作におろされた腕の先が目に止まる。石膏製のような──いいえ、石膏なんかじゃない、光を透かさないのが不思議なほどの雪水晶の肌だ──手の中には似た色の紙があった。

 純白の……便箋。

 よく見ると紙には文字書かれているのがおぼろげにわかり、床にも同じ便箋が数枚落ちていた。シワの寄った薄い便箋。上質の紙だ。

 思わず拾い上げようとすると……。


「あっ」


 それは突如目の前で火を吹いた。熱の感じられない、床も焦げぬ、対象のみを燃やす特殊な魔法の炎だ。カイさまによく似合う蒼色の火。わたしは他の共に燃えている便箋を視線でたどっていき、最後の一枚を手の中で無造作に燃やしているカイさまと目を合わせた。


「だめだよ、テア」


 カイさまは言った。何事もなかったかのように。彼の瞳は炎の名残か青が勝っていて、いつもより冷えて見えたが、椅子から立ってわたしを立ち上がらせた手付きはとても親切で優雅だった。


「好奇心だけで落ちているものに触れてはいけないよ……。不幸を招くものかもしれないのだから」


 礼儀に反するからとは彼は言わなかったが、わたしは謝り、よかったのですかと聞いた。紙は灰も残らず焼き尽くされ、存在したことすら夢だったのかと思うほどに跡形もない。


「うん、あれはいらないものだからね」


 カイさまはうなずいたが、わたしは炎を思い出して眉根を寄せた。


「……怒っていらっしゃるのですか」

「どうして?」

「いつもとご様子が違いましたし、火が──……」

「……怖がらせてしまったんだね」


 カイさまは悄然としてわたしの顔を覗き込んだ。鏡写しの表情。

 でもわたしはこんな、どこか怯えるような、悲しげな顔をしているのだろうか。彼はその表情のまま続ける。


「さっきは……魔法を使っていたんだ。大したものではないけれど……。ごめんね、テア。ちゃんとテアの声を聞いて戻ってきたし、テアの顔を曇らせるものは消したつもりなのに……不安に、させた?」


 わたしはカイさまの青緑の瞳を見て首を横に振った。手紙の内容だけでなく、どこからどうやって来たのか…とか、何をしていたのか…とか、彼が本当は何ひとつ重要なことを話していないことに気付かないわけではなかったけれど。

 不安そうなのはカイさまのほうだったから。

 いいえ、とわたしは笑ってみせた。


「大丈夫ですよ、カイさま」

「ほんとうに?」

「ええ。本当です」

「そう……」


 カイさまがより悲しげな顔をしたのはどうしてだったのだろう。

 彼は幻だったのかと思うほどすぐにその表情を引っ込めたので、わたしはそれ以上何かを言ったり聞いたりするタイミングを逃してしまった。だから、次にしゃべりだしたのはカイさまのほう。


「ねえ、テア……これは?」


 白く長い指がわたしの片手に触れ、わたしはようやくそちらの手に新聞を握りしめていたことを思い出した。わたしは魔法使いじゃないから紙は燃えず──。

 カイさまは両手で水をすくうようにわたしの左手をすくい上げたけれど、わたしは手を開かずに、代償のように口を開いた。


「カイさま」


 なあにと問うように青みのある黒髪が揺れて首がかたむく。親鳥の話を聞くのが至上の歓びとでもいうような、無垢で美しい小鳥のような仕草。


「手紙を出してはいけませんか」

「……それは、きみの望み?」

「いいえ、お願いです」


 わたしは、わたしが彼に何も問わなかったのと同じように、カイさまも何も言わずすぐに了承してくれると思っていた。そして郵便局のある町への行き方を教えてくれるものと。でもそうではなかった。

 ねえテア、とカイさまは言った。わたしの心を、あるいは手の中でぐしゃりと潰れる新聞の文を見透かすように。ねえ、テア……。


「きみに“やらなくてはならないこと”なんてないんだよ」


 わずかずつ周囲を削り続ける川のせせらぎに似た声。そこには普段表面に現れぬために、人々がつい見逃してしまう強固な意思の響きがあった。


「ぼくはきみの望みなら何でも叶えてあげたいけれど……。きみが“そうしなくてはならない”と考えて手紙を出すことを願うのならば、聞きたくない」

「カイさま?」


 断固とした美しい瞳。

 彼は激高することもなくあくまで静かに述べた。


「その程度にしかきみに思われていない物事に対してぼくが我慢して、わざわざ他人を喜ばせてやる趣味はない」


 ここまできっぱりはっきりとしたカイさまの意思を聞いたのは、もしかしたら初めてかもしれない。あるいはヘレーネさまが許嫁になったとき以来か。やはり今日の彼は何かが変だった。


「ぼくは協力しないし、手紙を出しにいくことも許可できないよ、テア。ぼくの許可が欲しいということならね。消印からこの場所を割り出されてしまうしかもしれないし、何より外は危ないから」

「カイさま」


 わたしはもう一度彼の名を呼んだ。驚いて、途方に暮れて、他にどうしたらいいのかわからなかったから。それきり固まってしまったわたしをカイさまは寂しげに見つめ、彼の両手の中で硬直していた手をひな鳥を離すようにそっとおろした。


「ぼくのことがわからないという顔をしているね。きみがそう望むのならば、きみは何もわからないままでいいいんだ。でも……そう、ぼくは昔言ったよ。わからないことがあったら考えてごらんって」

「考えて……?」

「そうだよテア。──さあ、戻って。いつも通りぼくに朝のお茶と新聞を持ってきてくれるね……?」


 私はクシャクシャになった新聞を握ったまま、操り人形であるかのごとく、カイさまの言うとおりに踵を返した。


 ……手の中の新聞には、王室付魔法師カイと共に行方不明となっている荷物持ちの女性──つまり私──の両親が、娘の無事を祈っているという内容の記事がひっそりと載っていた。

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