五月に囚われる
だから四月にしようって言ったのに!
「狭山皐月です……よろしくお願いします」
五月初旬。
ゴールデンウィーク明けのある小学校の六年生の教室で、生徒たちは転校生の私を前にして不躾な視線を送ってくる。
転校生に対する興味という名の品定めだ。
親の都合で転校することになった私は転校初日の教室でひきつった笑顔を浮かべながら心のなかで両親に呪詛を吐いた。
クラスメイトたちは特に返事もすることなく突然クラスに入りこんだ異物をジロジロと見ている。
「なんでこんな時期に転校?」
誰かがぽつり、と言った。
しかしその疑問は波紋のように広がっていき、一つの終点へ辿り着くようになっている。
「きっと前の学校でハブられてぼっちだったんだ」
「ぼっち!」
「あーだから今頃転校?」
不躾な視線は好奇の視線へ変更される。
ほらね。
だから言わんこっちゃない。
こんな時期に転校なんてろくなものじゃない。
「皐月さんはわからないことが多くて戸惑うこともあると思うから、みなさん仲良くしてあげてね」
生徒の無邪気な悪意ある声が聞こえてないのか、担任は私の紹介を終えると己の責務を全うしたかのように清清しい表情を浮かべ職員室へ戻っていった。
ヒソヒソ、と教室内がざわつく。
向けられる視線に、既に私は教室の酸素が薄まっているような錯覚に陥る。
こんな五月なんて中途半端な時期に転校してきたら何かしら疑われるに決まってるじゃんか。何かしら察するって。
小学生だって六年生にもなれば勘の良い生徒だって現れる。そして面白そうなことに便乗する生徒も。
それが集団心理の常であって。
さらに、それは意地悪な愚行や悪ふざけに繋がるわけで。
うちは所謂転勤族で、今まで転校は何度もしてきた。その度に失敗してきた。
転校生に向けられる好奇の視線が苦手で、降り注ぐ質疑を応答せずに過ごしてたら三日でハブられた。
父によると今回が最後の転勤で、我が家転勤族はこの地域で落ち着くらしい。
最後の転校に私は大失敗した。しかも初日で詰んだ。
私は転校して三日で不登校になった。
しかし三日間布団にくるまっていたら、母にズル休みだと気づかれ無理やり再び学校へ登校することを余儀なくされる。
教室に足を踏み入れる時には私には“五月病”というアダ名がついていた。
自分の名前を揶揄してつけただろう悪意あるアダ名に私の硝子のように繊細な心は打ち砕かれた。
五月なんて大嫌い。
私が私であるかぎり、私は五月に囚われる。
最初は我慢して登校していた私だったけれど、ある日私は学校に行くのをサボり、通学路の途中にある公園で過ごした。
ベンチに座り上を見ると紫色の花が天から降りるようにぶら下がっていた。
藤の花が咲いていた。
今年は藤の開花が遅いらしい。四月下旬の予定が開花時期が遅れ五月半ばまで咲いている。
「綺麗だなぁ」
ぽつりと一人呟いてしまう。
感想を言い合える相手などいない。
藤棚の下にあるベンチから紫のカーテンを見上げる。時折風に吹かれてゆらゆらと紫の房が揺れた。
いっそ藤棚にロープを吊って死んでしまおうか。
「……え?」
視線を上から右横に移すと男の子がこちらをじっと見つめていた。
「……」
「な、なに」
無言で見つめてくる少年。同い年ぐらいだろうか。全体的に薄ぼんやりとした印象がする。
「お嬢さん、悩み事でもあるの?」
お嬢さん。
私とそう変わらない歳だろうに妙な呼び方をするなぁ、と思った。
「なんでそう思うの?」
質問に質問で返してしまう。無礼かなと思ったが相手は同い年だからセーフか。
「死の香りがしたから」
ドキっとしてしまう。
「お嬢さんから死の香りがする」
子供に人生相談なんてしたくないしな。
誤魔化すとするか。
「へーそれは勘違いだ。私はいたって健康だし」
「『いっそ藤棚にロープを吊って死んでしまおうか』って思ってたのに?」
思わず少年を見た。
澄んだ瞳がこちらを見ている。
瞳の中で藤の花が揺れていた。
「心が読めるって言ったら驚く?」
「まあ……世の中広いから、そういう力を持った人間もいるかもね」
「人間じゃないっていったら?」
「別にぃってかんじ。私とあんたが今日ここで藤の花を一緒に見た。それだけの仲だし。さほど興味わかんし」
「ドライ人間だ」
そうです私はドライ人間です。
人に興味ないの。
学校のみんなは私に興味を持ってくれるけど、それは転校生だからであって。みんなもそのブランドにしか興味ないの。現に転校して三日後には透明人間になってるから。
もっというとね、うまく対応できないと鼻つまみ者にされるから。
今回の転校先なんて最初から詰んでたから。
「あ、学校」
そういえば学校へ行くのサボっちゃった。
もうこのまま行きたくないな。
「ていうか生きたくない……」
思わずポロリ弱音が漏れた。
「だから君はこれからここで首を吊るの?」
「無理だよ。私はチビだから藤棚にロープをくくれない。首を吊るには身長が足りないの」
「……」
「でも、死ぬ時はこの綺麗な紫に囲まれて死にたい。だからこの藤棚にロープをくくれる身長になるまで死なないことにする」
とりあえず来年の五月まで延期かな。
私が小さく呟くと少年は笑う。
「そっか。じゃあ来年の五月にまた会おうね」
藤から視線を外し右隣を見ると、そこに少年の姿はなかった。
「え? ホラー?」
本当に人間じゃなかった?
「……まあいいや」
一緒に藤を眺めた、それだけの関係だ。
また来年、ね。
***一年後
「やあ、また会ったねお嬢さん」
「……でたな」
翌年の五月、藤の花が咲き始める頃、私は再び公園を訪れた。
藤棚の下に少年は立っていた。
少年の挨拶はまるで昨日会ったばかりの友達に対するそれで、とても一年の月日が流れていることを感じさせない反応だ。
「相変わらず背は小さいままだね。それじゃあ藤棚にロープは結べないね」
少年の微笑みに私はむっとしてしまう。
「それは一年経ってもチビな私に対する嫌味ととっていい?」
「嫌味なんてそんな。今年も生き永らえそうで安心したってこと。お嬢さんは 相手の言葉の本質を見抜く力を養った方がいい」
今のあんたの言い方は間違いなく嫌味だったけどね。
「……今年はダメでも、来年は十センチ以上伸びてるかもしれないし」
「死ぬなら他の方法もあるだろうに。なぜここで死ぬのにこだわるんだい?」
「言ったでしょ。最期は綺麗な場所で死にたいの。まぁ、でも……」
「でも?」
「一番の理由は《猶予》かな」
「《猶予》?」
「そう、時間かせぎ。超チビな私が藤棚にロープを括れる身長になるまで時間がある。その期間に思わぬ転機がやってきて、人生が好転してるかもしれない。薔薇色人生が幕開けするかもしれない。大学生だって就職を繋ぐための公的モラトリアム機関じゃない。それと同じ」
「そっか。お嬢さんはどこかでまだ希望を求めているんだね」
「希望ね……そうかもね」
そうかもしれない。
なんだかんだ理由をつけて生きる希望を探してるのかもしれない。
でも普通に生きてても希望は天から降ってこないし、地面で拾えるわけでもない。
「希望ってものが物質的に見えてたらいいのに」
「そしたら皆取り合いになるね」
そうだね。そこに混じって勝ち取りにいく気力なんてないわ私。
***二年後
「いや行動力の無さよ!」
あれから人生の転機も何も起きずに翌年の五月を迎えた私は藤棚のベンチに座っていた。
隣に腰かける少年は抹茶ラテ片手にゆらゆら揺れる藤の花を見て花見酒宜しく藤見ラテを満喫。
「何センチ伸びたの?」
「五ミリ」
「大健闘じゃない」
「ねえそのラテどこで買ったの」
「そこのオープンカー」
豆乳ラテを購入してベンチで飲む。美味しい。
「……家宝は寝て待てっていうじゃん」
「いうねぇ」
「待てば海路の日和あり、なんてのも」
「あるある」
「金は天下の賜り物」
「それは……どうだろう……」
ズズズズ、とラテをストローで飲み干す音が雅な藤のカーテンの背景を台無しにする。
「まあ、受け身で生きててビックなチャンスに恵まれるわけないよね」
「犬も歩けば棒にあたるぐらいだよ。あたって砕けなよ」
そう言うけどさ。
私わかっちゃったんだよ。
「……私はたいした人間になれないって。凄い特技も才能も思想も持ってないし、私が何かしてこの世に影響残すことなんてないだろうし、私っていう存在がいてもいなくても関係ないって」
「大抵の人間は世を動かす功績も革命も起こさないまま一生を終えていくよ。そんなもんだよ。なんてことない人生を謳歌してそれで納得してる」
それに違和感を覚えてしまったお嬢さん、君は……
少年の言葉に固唾を飲む。
「わ、私はなに?」
「おめでとう。思春期です。年相応に育っていて安心したよ」
「……」
「ふがっ!!」
少年の鼻の穴に飲み終えたラテのストローを突っ込んでやった。
***五年後、そして翌年の五月ーー
もはや恒例行事と化している。
私と少年はベンチに座っていた。
片手にはトルティーヤ。
ラテを買うつもりでオープンカーに近寄ったらトルティーヤ販売車になっていた。ラテではやっていけなかったぽい。
「……トルティーヤも長持ちする気がしない」
「君の身長が目標に達するのとトルティーヤ屋さん閉店とどっちが早いか見ものだね」
トルティーヤってどこの国の食べ物だっけ?
首を傾げながら具の海老からほじくり食べる少年。いるよね。謎の順序の食べ方する人。いっしょに食べりゃいいのに。
「ていうか人の身長のこと言うわりにあんたも伸びてないから」
もう会ってから数年経過してるのに少年の姿は全く変化がなかった。少年ぐらいの年は成長期だというのに。
「まあ人間じゃないかもしれないからね」
「久しぶりに聞いたわその設定」
「設定じゃないもん」
「もん、てあんた……」
初めて会った時を思いだす。
思えば、あの日から少年との交流が始まった。
五月の藤の季節だけに行われる謎の交流。
そういえば、いつのまにか自分の名前が嫌いじゃなくなっていた。
何も起きない流れていくだけの日常の中で、毎年訪れる五月をどこかで楽しみにしていた。
でも。
「この交流も今年で終わりね」
そう、これで終わり。
「来年には私、この藤棚に手が届いてる」
私の身長は今までの遅れを取り戻すようにぐんぐんと伸びていった。
今では隣に座る少年の旋毛が見えるくらい成長の差ができてしまった。
「結局私の人生に転機もチャンスも訪れなかったけど、あんたとの交流は今までの人生で一番楽しかったわ」
「そうだね。《猶予》としては悪くなかったんじゃない」
少年は私に手を差し出した。
「じゃあ、来年まで元気で……っていうのも微妙な表現だけど」
「ありがとう。あんたはずっと元気でね」
私たちは握手をして公園で別れた。
それから翌年の話。
やっと身長が藤棚にロープを括れるようになった高校三年生の五月に公園へ行くと藤棚はなくなっていた。
花が咲く直前に藤棚の柱が折れて崩れてしまったらしい。
そのため藤棚は撤去され、今年の五月の公園に藤の花が咲くことはなかった。
更に藤棚の老朽化の件で過疎化の影響で公園の利用者が少なかったことが判明し、近々公園を取り潰すことが決定した。
私の目的は永遠に叶わない結果に終わったのだ。
***巡る藤の季節
「ーーだから藤の見れるこの季節にアルバイトを?」
バイトの同期である初瀬川さんが言った。
「はい。花自体にそんなに興味があるわけじゃないんですけど、この時期になると藤だけは見たくなるんです」
私が答えると初瀬川さんはへぇー、と心底興味なさそうに相槌を打つ。
「こんなゴールデンウィークの超繁忙期にバイト来るなんて変わってるなって思ったんですよ。まあ藤見たさに働きにくるのも変か」
しれっと失礼な本音を漏らす初瀬川さんに私は「ははは……」と愛想笑いをした。この人のズケズケ言う感じは初対面から三日で慣れた。
「じゃあ安心して休めます。私明日から連休なんで」
「え!? こんな繁忙期に!?」
「だからですよ。普段と同じ時給で働くなんてナンセンスじゃないですか。それに旦那と子供と過ごしたいし」
「あー……そうですよね」
「皐月さんは独り身だから自由利いていいですよね」
あなたのせいで毎日八時間出勤だから全然自由じゃないですけどねー、なんて嫌味の一つでも放って対抗したかったが初瀬川さんは「お手洗いいってきまーす」と本日七回目のお手洗いへ行った。
もう、この人自由すぎ!
あれから高校を無事卒業した私はアルバイトを転々とし、五月になると一ヶ月間だけの短期で隣町の植物園で受付として働いている。
チケットの販売や電話対応、時間があれば園内の掃除など結構やることは多い。
この仕事をやるのも今年で四年目。ゴールデンウィークの時期だけ働きに来る私を見て職員さんたちは「もうそんな時期か」と五月を感じている。
初瀬川さんがやっとお手洗い(?)から帰ってきたところで私は休憩になった。
休憩時間はたっぷり一時間あり、園内のどこで過ごしても良いことになっている。食堂で社員割引をしてもらったオムライスを食べると私は園内で咲く藤棚へ向かった。
植物園なだけあり、藤棚は当事公園で見たものより三倍大きい。
今年も紫色のカーテンは春のそよ風にゆらゆらと優雅に泳いでいる。
『やあ、また会ったね』
振り向くとそこには毎年見慣れた姿。
「お久しぶり、藤の精霊さん」
精霊と呼ばれた少年は以前と変わらない初めて会った姿のままで笑っている。
藤棚が撤去され公園がなくなった後、少年と会うことはなかった。
公園跡に行ってもそれ以降五月になっても少年は現れなかった。
その時私はふと思ったのだ。
五月に藤の季節だけに姿を見せる不思議な少年。
彼は藤の精霊だったんじゃないかと。
思い立った私は隣町の植物園に藤棚があるのを知り、応募。見事に少年が藤棚でふわふわ浮いているところを発見した。
そして現在に至る。
『君は律儀に毎年来るね』
「私のせいであんたの居場所を奪ってしまったようなものだからね」
少年は目的に身長が達した私が首吊りを実行するのを阻止するため、自ら藤棚の柱を折り撤去される結末を選んだ。
「まさか私を止めるために自分ごといなくなってしまうなんて思わなかったわ」
『僕は藤の咲く場所でならどこにでも現れることができるからね。君たち人間の儚い命に比べれば僕たち精霊は頑丈なものさ』
「おかげで今日も生き延びてるよ。相変わらず薔薇色人生なんか程遠い毎日だけど、藤を見たくてこの季節を何度も迎えてる。五月に囚われてるね、私」
『君に生きる執着を持たせることは僕にしかできないことだからね』
紫色の海の中で少年と私は笑いあった。
私が皐月であるかぎり、私は五月に囚われる。
五月に囚われて、生きていく。
お疲れ様です。
読んでくださりありがとうございます。