3-30 蘇る誇り高き暴君
けれど、その時妙な声が聞こえてきた。
「おい、起き上がったぞ!」
「押さえろ!」
どうやらジジイが目を覚まし身体を持ち起こそうとしているようだ。慌てた住民たちは取り押さえるが武器を持たない老人なんてなんの脅威にもならないだろう。むしろ俺は自分のタックルで死んでいない事がわかり安心してしまったんだ。
――ボトリ。
「へ……?」
だが俺は愕然とする。ジジイの首はねじ曲がり、熟しきった植物の果実が腐り落ちるように、おぞましい笑みをした頭部が落下してしまったのだから。
「あ、わ、わ」
そして残された胴体の首の断面あたりからうねうねと触手がうごめき、それは即座に成長して巨大化、ジジイの頭にはハエトリソウのような体組織が誕生する。
「ひ、ひああ」
あまりにも異常な事態に一部始終を見ていた人々は恐怖でその顔を歪めた。俺は呆気にとられていたが、すぐに叫ぶ!
「逃げろッ!」
「うわああッ!」
「ぎゃああッ!」
それを合図に人々は一目散に逃げだした。撃たれた男性は二人がかりで担がれ、近くの建物の中に避難しすぐにドアがぴしゃりと閉められる。後は自分が行動するだけだ。
「全く、いつから白倉はこんな物騒になったんだ」
「ウゥウウウ」
低い唸り声をあげるハエトリソウのような頭をした異形の怪物。それはとある世界で変異ガブリヘッドと呼ばれ、高い攻撃力もさることながら知能も併せ持つ危険なクリーチャーとして度々その世界の英雄と死闘を繰り広げていたそうだが、俺はそんな事を知る由もなかった。
これも笛と鼓の音が生み出した異変なのか。だが考えるよりも先に生き残るための行動をしないと。
「おっと!」
ガブリヘッドは俺に駆け寄ると鋭い歯が付いた頭部で噛みつき、その見た目どおりの攻撃を仕掛けてくる。ワニのようなその大きな口で噛みつかれてしまえば生身の人間なんて一たまりもないだろう。
俺は取りあえずその辺にあった店の看板を頭に投げつけてみる。しかしガブリヘッドは容易く噛み砕き看板は木っ端みじんになってしまった。俺も噛まれるとああなるに違いないから絶対に食らわないようにしないと。
「ウォオオウ」
「こっちに来るな!」
俺はコンクリートブロックや看板を手あたり次第に投げてちまちまと攻撃を浴びせる。幸いにして移動速度は遅かったので逃げる時間はいくらでもあった。
即死攻撃ばかりのこいつに接近戦を挑むのは自殺行為だからこのように距離を取って戦わなければならない。本当は銃でもあれば一番いいんだが今しがた投げちゃったからなあ。
ナビ子なら余裕だろうが非力な俺ではこいつを倒せない。比較的戦える警察が来れば何とかなるだろうからそれまで時間を稼がないと。
俺はクマと対峙したように決して目線をそらさず後退しながら、おびき寄せるように周囲の物を投げ続ける。しかし随分と壊しまくってるけど後で怒られないかな。
「オオウゥオ」
「ウオウウゥ」
前方のガブリヘッドは低い唸り声をあげるが動きが鈍いので何の問題もない。だが俺はある事に気が付いてしまう。
「ん?」
今、横の路地からも声が聞こえなかったか?
その意味を理解した俺は即座に右側へ振り向く。
「まじかよッ!?」
そこには巨大な口を開けたもう一体のガブリヘッドがいたのだ。俺は咄嗟にそいつの噛みつき攻撃を回避し、ほぼ同時にガチンとトラバサミのような音がしてしまう。
「だーもう、クソ! 一匹でもしんどいのに二匹とか無理ゲーだぞ!?」
俺はひたすら逃げる事に専念する。戦う術を持たない俺にはただ攻撃を回避する事しか出来なかった。
「おっと!?」
だがガブリヘッドもすぐに学習し、狩りで獲物を追い立てるように連係プレーで攻めてくる。
ガチン、ガチン!
「ああもう!」
ガブリヘッドの上あごと下あごがぶつかり合う音を聞くだけで精神がすり減ってしまう。連中は先ほどまでのとろさが嘘かの様に的確な攻撃を仕掛けて次第に回避にも余裕がなくなってきた。
「ッ!?」
今度は溝のような小川からまるで水面からワニが飛び出て獲物を食らうように攻撃を仕掛けてくる。俺はすぐに避けるが、一瞬でも気付くのが遅ければ下半身を食い千切られていただろう。
「ぐッ!?」
やっとの思いで逃げた先には別のガブリヘッドが待ち構えており、奇襲には最適な細い路地が多い土蔵群エリアで徐々に、いや割とすぐに俺は追い詰められてしまった。
「はあ、はあ、はあ」
疲労も蓄積し、もうこれ以上走れない。
そして――とうとうガブリヘッドは俺を仕留めようと行動に出た。わき道から飛び出したガブリヘッドは俺を食らおうとその大きな口を開けるが、俺にはもう逃げるだけの体力は残されていなかった。
グチャリ!
だが俺を食らおうとしたガブリヘッドはカエルのように叩き潰される。何が起こったのか理解する前に、振り向いた俺はもう一体のガブリヘッドが粉砕される姿を視界にとらえたのだ。
「これだから最近の若いモンは。変異ゾンビも倒せないのか」
「え、あ」
そこにいたのはいつか見たホームレスの男だった。彼は鬼が持つ金棒のような武器を片手で持ち、俺に冷淡な眼差しを向けながらそんな事を言った。
「一応今回は助けてやったがあまり妙な真似をするな。お前は英雄じゃない。身の程を知れ」
ホームレスの男は高く跳躍し、赤瓦の屋根に上り去っていく。だが俺はその超人的な身体能力なんて気にも留めないくらい混乱していた。
「何なんだよ……」
笛と鼓の音と、天女伝説。
精神が狂い、異形の怪物となった人間。
現実世界と、滅びを迎えた並行世界。
そして人を超えた肉体を持つ、謎のホームレスの男。
この町で何が起ころうとしているんだ。俺の平和な日々は何処にいってしまったんだ。
いや、そんなものは最初からなかったのだろう。俺達が日常を謳歌していたいついかなる時も、得体のしれない何かはずっと俺たちの臓物を食い千切ろうと息を潜めていたんだ。
パトカーのサイレンの音が、徐々に近づいて来る。
疲れ切った俺はその厄介ごとに抗う気持ちも起こらなかった。
ポツ、ポツ。
降り始めた秋雨は次第に激しくなり、俺の体温を奪っていく。みのりを救いたいという情熱すらも。
(いや――)
異形の怪物? そんなの知った事か。
俺はみのりを絶対に救って見せる。そしてまたつるぎと三人で楽しく笑い合うんだ。
かつて悪ガキだった御門善弘の反骨精神が次第に蘇る。
そうだ、元々俺はこういう人間だった。ムカつくものは徹底的に打ちのめし、欲しいものは何でも手に入れる、そんな誇り高い暴君だったのだ。
「上等だ。サイコパスでもゾンビでも怪物でもかかってきやがれ! 全員ボコボコにしてやるからよぉッ!」
ずぶ濡れの俺は暗雲目掛けて絶叫する。それが負け犬の遠吠えだとしても叫ばずにはいられなかったんだ。