3-26 永遠の責め苦を受け入れた男
逃げ出した不良たちは距離を取ったところで走るのをやめ、息を切らしながら喚き散らす。
「な、何だよあれ! やばいクスリでもキメたのか!? お前何で逃げたんだよ! あいつ殺されるぞ!」
「お前だって逃げただろうが! と、とにかく警察に……!」
異常な暴力を目の当たりにし不良たちは恐怖する。普段は関わり合いになりたくない警察に惨めに助けを求めてしまう程度に。
彼らは巡回中の警察官を発見する。だが駆け寄ってすぐにその目が狂っていた事に気が付いた。
ズドン!
「あああああ!?」
「ぴーひゃら、ぽんぽん、ぴーひゃら、ぽんぽん……」
笑っていた警察官は突然拳銃を取り出し、周囲を普通に歩いていた男性の腹部を撃ち抜いたのだ。
ズドン、ズドン、ズドン!
そして痛みで地面をのたうち回る彼に近づいた笑う警官は口元からよだれを垂らしながら何発も銃弾を撃ち込み、その罪なき命を奪った。
あまりの出来事に不良たちは脳が機能を停止してしまい、呆然自失となった。
「ひぃいいい!」
「うわあああ!」
叫んだ彼らは何をすべきか理解する。逃げなければいけない。どこでもいいからこの狂った場所から。
不良たちは走る、とにかく走る。スタミナの限界を超えたため肺が破裂しそうなほど苦しい。こんな事ならば煙草を吸うのではなかったと彼らは後悔していた。
だが、彼らはすぐに逃げ場所などどこにもない事に気が付いてしまう。
主婦は包丁を何度も夫に突き刺し、老人は高枝切りばさみで人間を剪定する。気の弱そうなサラリーマンは傲慢な上司の頭をコンクリートブロックで頭を何度も殴りつけ、勉強熱心な高校生はカッターナイフを振り回していた。
町中の至る所で老若男女の区別なく人々は狂い、どす黒い返り血にまみれた殺人鬼と成り果てていたのだ。
その時まるでサーキット場のような日常では聞き慣れない風を切る音がどこからか聞こえてくる。
「ヒッ!?」
少年は本能で危険を察知し、咄嗟に飛んで道路に倒れるように回避する。直後、すぐそばを前方からやってきた何かが高速で走り去った。
「ヒョォオオ! 風になるのじゃああ! わしはハイパーババアじゃああ!」
「ヒッ!」
運転席の老婆は奇声をあげてスポーツカーを暴走させ、歩道にいた人々を次々とはねていく!
「だ、大丈夫か……」
地面を這う少年は紙一重で難を逃れる事は出来た。ひとまず横に振り向いて隣にいた仲間の様子を確かめる。
だが、そこに彼はいなかった。
おそるおそる、彼は後方を確認する。
そこには全身の骨が砕け、首がねじ曲がり、舌を出してだらんと絶命する人間だった物体しかなかった。
「何だよ……何なんだよこれ!」
最後の一人になった不良はあまりの恐怖に腰が抜け、その場にへたり込んでしまう。
神在の市街地はあちこちから煙が立ち上り阿鼻叫喚の地獄絵図となってしまった。数分前までいつもと変わらない日常があったというのにこのような事になるなんて誰が想像出来ただろうか。
ゴリ、ゴリゴリ。
鉄を引きずる音が近付いて来る。
「ぴーひゃら、ぽんぽん。ぴーひゃら、ぽんぽん」
少年の目の前にひしゃげた血みどろの鉄パイプを持った土木作業員が現れた。やはり彼も狂人の笑みをしていたが、もう少年には逃げる気力も体力も残っていなかった。
「まったく」
刹那、風を切る何かが背後から現れ、肉が潰れる音がした。
「え……?」
しかしそれは不良のものではなかった。彼は今しがた自分の身に起きた事が理解出来なかったらしい。
そこには人の背丈ほどもある金棒を片手で持つホームレス風の男がいて、さらにすぐそばには頭の上からヘルメットごと叩き潰された土木作業員がいたのだから。
「俺はお前に構っている暇はない。死にたくなけりゃとっとと逃げろ。神在メッセが比較的安全だからそこを目指せ」
「え、あ、は、はひ!」
不良はよろめきながら立ち上がり、言われるがままその場から走り去っていった。
「まったく。前回同様派手に暴れやがって」
「「「ぴーひゃら、ぽんぽん。ぴーひゃら、ぽんぽん……」」」
ホームレスの男はため息をつき、ゾンビのように徘徊しながら合唱する人であったモノたちを睨みつけた。
「まあいい、何度でもぶっ潰してやる。俺がどれだけ修羅場をくぐってきたと思ってやがる。てめぇらなんざ敵じゃないんだよ」
そしてホームレスの男は金棒を軽々と振り回し狂ったモノたちを駆逐していく。まずはチェーンソーを振り回す大男から。
「ぴーひゃら、ぽんぽん!」
大男は新たな獲物を見つけ嬉しそうに駆け寄ってくる。だがホームレスの男はチェーンソーごとその肉体を粉々に破壊し高く飛翔をした。
彼は着地と同時に暴れまわる暴走トラックにその一撃を振り下ろし一瞬でスクラップに変えて、瞬間移動をするかのように高速で動き回り狂人たちを撃破していったのだ。
ゴッ! 少女に襲い掛かった高校生を撲殺しようやく周囲の敵は片付いた。だが他の区域にはまだまだ暴徒がたくさんいる事だろう。
「お前ら本当にしつけぇんだよ。大人しく元の世界に帰れ。ここはてめぇらのいる世界じゃない。懸命に生きる人間たちの世界なんだ」
「ひっ」
助けたはずの少女は人を殺しても表情一つ変えないホームレスの男を見て思わず悲鳴を上げてしまった。だが彼はそのような事を気にする事なく、ポケットをまさぐり小さな缶コーヒーを取り出した。
プシュ。プルタブを開け彼はエスプレッソをグビリと飲む。
「今日もいい苦みがたまらないな」
ホームレスの男は缶コーヒーを飲みながらその場を移動し、次なる敵を求めて去っていった。
全ての敵がいなくなるまでいつまでも男は戦い続ける事だろう。しかし、それはきっと未来永劫訪れないのだと彼はとっくに理解していた。
だがだとしても彼が戦いをやめる事はない。死に物狂いで手にした希望を是が非でも護りきる。自分にはその使命があるのだ。
愛した者の日常を護るためならば、永遠の責め苦など甘んじて受け入れよう。
たとえこの世界の彼女たちが、自分の存在を忘れてしまっていたとしても。