3-10 缶コーヒーと間接キスと
俺達は歩き続ける。次第に口数も少なくなり疲弊が溜まり続けてきた。特にインドア派の俺は飲まず食わずで歩き続けるのもいい加減きつくなってくる。
今までに感じた事がない空腹感に俺は焦っていた。これは夜中に小腹が空くとかそんなレベルではない。死に直結するという恐怖を感じるものだった。
「……………」
「なあ、今日はどこかで休もう。もうすぐ日も暮れるし」
「そうだな」
見かねたつるぎが先にそう言ってくれたので俺はようやく休憩する事が出来た。適当な廃屋に移動した俺たちはボロボロのフローリングの床に座り、ふう、と長いため息をついてしまう。
「参ったなあ。せめて水くらい見つけておきたかったけど。んで、ヒロは大丈夫か? バテバテじゃねぇか」
「ああ。こんな事なら日ごろから少しくらい運動しておくべきだった」
俺の足はもう棒のようになりしばらくの間まともに動かす事も出来ないだろう。体力オバケのつるぎはまだ全然余裕そうだったけれど。
「この際川の水でもいいかな。一旦沸かせば飲み水として使えない事もないか。だとすると火が必要だな。ライターはないし虫メガネとかあればいいんだけど……」
疲れすぎて考える事も出来ない俺に対しつるぎは生き残るために頭を回転させる。元々たくましい人間ではあったけどこれほどまでだったとは。
危機的状況というものは人の思考に大きな影響を与えるものだ。場合によっては勇敢な人間もメンタルがやられてしまう事もあるけど、彼女の場合は逆境に陥ると奮起するタイプだったらしい。
つるぎはこんなに頼もしいのに、俺は……。
「悪いな、つるぎ。妙な事に巻き込んじまって」
俺はそう謝罪せずにはいられなかった。もしかすれば元の世界に帰る方法なんてなくてこの世界で野垂れ死んでしまうかもしれない。そう思うとただただ詫びる事しか出来なかった。
「ん? ああ、別に気にしなくていいよ。うだうだ言っている暇があれば明日のために少しは休んでおけ」
だけど彼女は笑顔で俺を安心させようとしてくれる。それがどうしようもなく情けなかった。
「ああそうだ、つるぎ。これやるよ、缶コーヒー」
俺に出来る事はそれくらいだった。だがポケットから取り出したそれを彼女は受け取ろうとしない。
「いやいや、貴重なエネルギー源だろ。お前のほうが疲れてるだろうしそっちが飲めよ」
「なら理由をつけよう。お前には肉体労働を頑張ってもらう必要があるから栄養をつけてもらわないと困る」
「うーん」
無理矢理こじつけたそんな理由を聞いてつるぎは少し考えてしまう。そしてうん、と納得したのか素直に受け取る事にしたようだ。
「んじゃ、ちょっと貰うぞ」
つるぎは小さな缶コーヒーのプルタブを開けコクコクと味わって飲む。そして半分ほど飲んだところで彼女はそれを俺の目の前に突き出したのだ。
「ほれ、残りはお前が飲め」
「あ、ああ」
結局半分こという発想か。妥協出来る選択ではあるがある事に思い至り、俺の手は宙に浮いてそれを受け取る事を躊躇してしまう。
「いや、間接キス」
「……………」
「……………」
「……いやいや、そういう事言ってる場合じゃないからな!」
つるぎは一丁前に照れやがり気まずい空気が流れてしまう。だが今は命に関わる事だし恥ずかしがらずに飲むとしよう。
「そうだな、ガキじゃないし間接キスくらいでな、うん」
「そ、そうだ!」
俺は自己暗示をするように言い聞かせコーヒーを一気に飲む。ああもう、胸やけをするくらい甘ったるいコーヒーだ。
そして缶コーヒーをそのへんの床に置いて長い沈黙が訪れる。
うん、ものすごく気まずい! 何でこんな状況で意識しているんだ!
だが火照った脳味噌は急速に冷えてしまう。日没になった事で寒さが本格的に襲い掛かってきたのだ。つるぎはブルっと身体を震わせ困った表情になる。
「寒ぃなあ~」
「ああ、どうすっかな」
俺も状況を打開するため周囲に何か使えそうなものがないか見渡した。死ぬほどの寒さではないとはいえこれではまともに眠る事も出来ない。
見る。調べる。黎明期のレトロゲームをプレイしている気分になりながら俺は目視で調べた。
しかし辺りにあるものは瓦礫や壊れた家具ばかり。布団も虫食いや雨水で腐りちょっと使うのは躊躇われる。
「ん?」
調べる。彼女の前は真壁つるぎ。俺の幼馴染のメスゴリラだ。
取りあえずじっと見てみる。
じっと見てみる。
じっと見てみる。
「お、おう、どうした」
熱い眼差しを向けてみる。
「何か、お前、その目つきが」
つるぎはとても恥ずかしがっている。
鼻息を荒くし、舐め回すように全身を見てみる。
「おい、妙な事考えてないだろうな!? さすがにこんな場所で初めては嫌だぞ!? いや場所とか関係なく心の準備がな!?」
だが彼女はそんなリアクションをしたので俺はハッとしてしまう。どうやら調子に乗り過ぎたようだ。
「いやないって。もしそんな事になったら秒殺で返り討ちになる。お前なら簡単に俺の全身の骨を折れるだろ」
「そ、そうだろうけどさ」
そんな会話をしていると身体が何だか熱くなってしまい寒さがどこかに行ってしま……わなかった。
やっぱり寒い。こればかりはラブコメ展開でもどうにもならなかった。
「ところでつるぎ。雪山で遭難した場合は人肌で温めるといいって聞くが」
「え、あれやるの……?」
「うん、やめておこうか」
我ながらこれは失言だった。流石にお互いそんな度胸はない。これ以上はウブなつるぎが悶死するだろうしこの辺でやめておこう。
でもこいつこんなに可愛かったんだ。いやいや違う、これは吊り橋効果的なあれだ。メスゴリラがこんなに可愛いわけがない。
「おーし、やるか!」
しかしつるぎは覚悟を決めた表情になり、俺の隣に移動した。
「え゛」
恥ずかしながらも彼女はぴと、と肩を寄せやがったので俺の身体は熱くなってしまう。言葉を失った俺はうめくような返事をする事しか出来なかった。
だけど彼女は、
「生きて、帰ろうな」
と、力なくそう言った。そのおかげで俺はどうにか冷静になる。
これはラブコメなんかじゃない、生きるか死ぬかのサバイバルだ。彼女は羞恥心を捨てて俺を助けようと頑張ってくれているんだ。
「……ああ」
俺は甘ったれた考えを捨てて生き延びる事だけを考える。また穏やかな日常に戻るためにも。
……嘘です。やっぱり恥ずかしいものは恥ずかしいです。
俺は最初興奮して眠れなかったけど、次第に心臓の鼓動も落ち着き眠気が訪れる。疲れ切っていた俺たちはゆっくりと意識を失い、この世界での初めての夜を互いに乗り越えたのだった。