2-9 真壁家の温かな食卓
俺はつるぎに連行され強制的に彼女の自宅である中華屋に向かった。某企画とコラボして店先に配置された美少女キャラのポップが少しばかり気になるがそれはさておこう。
店に入るや否や、油と唐辛子の刺激的ないい匂いがして自然と腹も減ってくる。
真壁夫妻が営む店内はそれなりに繁盛しておりバイトの中国人の少女が店内をせわしなく動き回っている。来訪した俺たちにつるぺたツインテールの彼女は条件反射で挨拶をした。
「ヘイラッシャイ! ってヒロか。つるぎはいいが客じゃねぇならとっとと帰レ」
「相変わらず素晴らしい接客だな。これがツンデレ喫茶なら金をとれるぞ」
もう慣れてしまったが彼女の罵声を聞くとなぜか安心してしまうのだ。ちなみにこいつの日本での名前は山口光姫。俺達の高校の後輩でもあり、口は悪いが根はいい子だぞ。
彼女は過去になんかいろいろあったそうだが今ではすっかり真壁家の一員だ。つるぎからすれば単なるバイトではなく妹のような存在でもある。
「実際こいつ目当てでやってくるやつもいるからなあ」
温かい目をしたつるぎがそう言うと客のオッサンがうんうんと激しく頷いた。
「そうだよねぇ。本当に豚を見るような目がたまらないよ」
「ああ、私は学校の先生だけどマゾだからとても気持ちが良くなる! ここはいいお店だね!」
「キメェヨこいつら、大丈夫カ日本人は」
「おほっ!」
「うちはそういうお店じゃないよ!」
盛り上がる変態どもに真壁母からお叱りの言葉が飛んでくる。ほったらかしにされた俺たちにおばさんは声をかけてくれた。
「レバニラでいいね? もうすぐ混むからさっさと食べな」
「あ、はい、すみません」
身内のつるぎはともかく、俺はタダ飯を食っているわけだから子供のころはともかく最近はどうしても遠慮してしまう。豪快なおばさんはどうとも思っていないだろうけどさ。
「ついでに天津飯もお願い」
そんな俺に対してつるぎは遠慮なく追加で注文する。天津飯はついでっていうレベルではないけれど。
「あいよ、大盛り二人前ね!」
店内におばさんの威勢のいい声が響いた。とまあこんな感じでメニューが増やされ、かつ高確率で有無を言わさず大盛りになるので遠慮を抜きにしても少なめに注文するのが正しい方法なのだ。
テーブル席に向かい合って座り、待っている間水をちびちびと飲みながら俺は早速スマホを取り出した。
「ああそうだ。学校ではあんがとな」
「ん、ああ」
俺は適当に返事をしてから学校で彼女をテレビクルーから護った事を思い出した。あれの事かな。
「あれくらいいちいち感謝しなくてもいいけどな。つーか自分でなんとか出来ただろ、お前なら」
「いやー、実際アスリートってイメージで飯食っているようなもんだから正直あたしはマスコミの人にあんまり強く出れないんだよね。媚びるのも仕事のうちだからさ」
「ふーん、面倒くさいな。庶民の俺にはわからんよ」
「まったくだよ。有名人は辛いね」
つるぎは肩をすくめて疲れたように苦笑した。
アスリートは全員が人格者で聖人君主のように思われがちだけど、それは結局作られた、あるいは彼ら自身が作ったイメージに過ぎないのだ。そのイメージによってスポンサーを獲得し、あるいは自社の広告塔として給料をもらえるわけなのだから。
「ある意味お前らしいっちゃお前らしいけど。出会ったころはあんなにか弱かったのに今じゃメスゴリラだ。けどメンタルと筋肉が一致してないからなあ」
「うーん、そうなんだよねー」
彼女はむー、と目を閉じて考えこみちょっとの間黙り込む。メスゴリラ発言に対して怒る余裕もないようだ。
間が空いたので、俺はなんの気なしに話題を振ってみる事にした。
「あのおしとやかだったつるぎがまさかこんな風になるなんてあの頃は思いもよらなかったよ。そもそもなんで突然レスリングを始めたんだ?」
「それは、まあ、うん」
だがそう尋ねると彼女はちょっと恥ずかしそうに目をそらす。そしてその話を遮るようにテーブルの真ん中にレバニラ炒めがでん、と置かれた。
「まあまあ、これでも食べてガッツリ仕込みな!」
真壁母はニヤニヤと笑いながら親指でグッドサインを作りそう言ったので、娘は顔を赤くして抗議した。
「何を!? もう、母ちゃん!」
本当に仲のいい親子だなあ。俺は取りあえず無言で苦笑しておこう。
俺ももう子供じゃないからその言葉の意味は分かる。けれどそういうのじゃないからいじらないでほしいんだけどな。
俺達は今の関係で十分なんだ。それにみのりを忘れて恋にうつつを抜かすつもりもない。
「ケッ! こんな奴には肉無しのモヤシ炒めだけで十分ダヨ!」
そんなやり取りを見て光姫はあからさまに不機嫌そうな表情になる。いつもの事ではあるけども。
「お前もお前でずっと俺にツンツンだな。デレはまだなのか?」
「光姫ちゃんはつるぎが大好きだから盗られるのが嫌なのよ」
「あーなるほど」
おばさんは微笑ましそうに笑い俺は納得してしまう。やたらと俺に噛みついてくるのはそういう事情があったらしい。
「とにかく、とっとと食うぞ!」
「へいへい」
つるぎは誤魔化すようにレバニラ炒めを、そして追加で運ばれた天津飯を飲み物のように吸い込んで食べる。このペースだと俺の分もなくなってしまうから早く食べないとな。
タレをしっかり吸い込んだレバニラに、シャキシャキのモヤシとニラ。噛むたびに様々な食感が楽しめて咀嚼して飲み込むたびに血肉が作られる感覚がある。ほろ苦くも旨味を感じるレバーの独特の食感を楽しめる程度に俺も大人になったようだ。
天津飯の出汁を混ぜて焼かれた卵は絶妙にふわふわしており、とろみのある餡もたまらない。上手にふっくら炊かれた白く輝く米はそれだけでも美味いが同時に食べる事で至極の一皿になった。シンプルだからこそ料理人の実力がわかるというものだ。
どちらも特別なこだわりなんてない、どこにでもある町中華の味だけど昔から変わらない美味しさだ。
それになによりこの料理は温かかった。俺の家で食べるものとは大違いである。