2-3 天才になれなかった少年
そんなわけで学校に来たのは二時限目の終了ぐらいになった。けれど俺はやはり教室にはいかず、校舎裏でスマホを操作しゲームをしていたんだ。
遠くで同じ学校の人間が談笑する声が聞こえる。彼らもやがて俺と同じような問題に直面したりするのだろうか。あるいは直面していてもそれを表に出していないだけなのかもしれない。人の心の内なんてわからないからな。
「もう、駄目じゃない、御門君。校則違反ですよ?」
「取り上げるのは勘弁してください。さっき三十分間経験値が増えるアイテムを使ったばかりなので」
俺は画面から目線を外し声をかけてきた若い女性の教師に返事をする。会話をしながらゲームをするというのは失礼かもしれないが俺に礼儀とかそんなものを期待するな。
彼女の名前は海野英理子。俺の在籍するクラスの担任で通称うみちゃんだ。生徒に慕われていると言えば聞こえはいいが、要するに半ば舐められている節がある。とはいえ俺がこの学校で数少ない心を許せる人間には違いない。
「うーん、本当は没収して預かるのが正しい対応ですけど、まあ今更だから」
「ありがとうございます」
校舎の外壁に背中をもたれさせたうみちゃんは苦笑しつついつものように見逃してくれた。本当に彼女はいい先生である。
「本当はちゃんと授業を受けてほしいんですけどね。私たちはものすごく頑張って授業の準備をしているんですから」
「ま、ちゃんとテストでいい点は取っているのでそこは大目に見てください」
「そこなんですよ、御門君。御門君は授業を聞いていないのに成績は学年でもトップクラスですよね。だからものすごくたくさんの可能性があるわけなの」
うみちゃんは優しく説教を始めたので俺ははあ、とため息をついてしまった。
「買いかぶり過ぎですよ。鳥取の田舎の学校で成績上位なだけです。俺の学力ではぶっちゃけ有名な名門校に行くのは不可能ですよ。いいところ地方の国立大学程度で。ああ、金のかかる私立は最初から選択肢にないですが。それにそもそもその可能性って結局はいい大学に行けって話ですよね。自分、進学は特に考えていないので」
「ええと……どうして? ほかにやりたい事があるんですか? それなら別に構わないですけど」
彼女は言葉に気を付けて俺とコミュニケーションをとろうと試みる。けれどそれは所詮教師と生徒のものだ。
「一応eスポーツかゲームの動画でも配信しようかとは思っていますけどね。動画でそこそこ再生回数を稼いでいるんですよ、自分」
「なるほどー。でもちょっと収入が不安定になりそうですね。だけどそれが御門君のやりたい事なら応援しますよ。最近プロのチームも山陰に出来たそうですし」
世間話のつもりで話したがなんとうみちゃんは頭ごなしに否定しなかったどころか笑顔で応援してくれた。こういうところが生徒に人気の秘訣なのだろう。
予想外の反応に少しだけ戸惑ってしまったが、俺は用意しておいた論破する材料を取り出した。
「ま、言うてもプロゲーマーはほぼアスリートです。毎日十時間以上トレーニングをしている人はざらにいますし、ある程度の気力と根性は必要ですね。実況の収入も自分が手にしているのは一般的な高校生のバイトを下回る程度ですし」
「そうですかー」
俺も内心現実的ではないと思っている。けれど俺よりもうみちゃんが残念そうな顔をしたので、ことごとく調子が狂ってしまう。
「ともあれ普通の会社が求める人間は天才じゃなくて常識のある人間なんですよ。俺に学歴があったところで社会ではなんの役にも立たないでしょうね」
「うーん……」
それは実体験から知ってしまった社会の真実だった。教師であるうみちゃんもその事を知っているため強くは否定出来ないらしい。
いい大学に入って、いい会社に入れば安心とは言うけれどそんな夢物語はとっくの昔に失われている。今更そんな事を言うのは高度経済成長期しか知らないジジババ連中だけだ。
まあ夢物語を否定したら否定したで、いい大学に入れる程度に頭がいい人はそもそもそんな事知っている上で勉強しているし、大抵は最初から勉強したくない奴の言い訳だけど。俺も人の事は言えないけどさ。
「それに俺は身の丈に合わない学歴があったがゆえに失敗してしまった人間の例を知っています。ま、俺の父親なんですが、それはそれは毎日鬱陶しいですよ」
本当にうみちゃんはすごい。こんなの話すつもりはなかったんだけどな。俺は現実を知らない彼女を拒絶するためにあの事実を伝える事にした。
「お父さんに対して、そういういい方はちょっと……」
何も知らないうみちゃんは優しくたしなめる。本当に反吐が出る表情だった。
俺の家の事情の事なんて何も知らないくせに。俺はこういう頭の中に花畑があるような人間が一番嫌いだった。
俺は最後に置き土産を送る事にした。もう、うみちゃんが付きまとってこないためにも。
「一流の大学を出て一流の会社に入った親父は仕事がまるで出来ないうすのろで、んで、ストレスから頭がおかしくなって、なんかわけのわからない事を言ったあと道路に飛び出してトラックにはねられましたよ。現代日本ではよくある話ですが」
「っ」
「ま、この学校で知らないのはうみちゃんくらいですけどね。最近こっちに戻ってきたうみちゃんと違って大体の同級生や先生は田舎の情報網でこの事を知っていますから、隠すほどの事でもないですが。この手の転落系ゴシップは皆好きですし」
その時のうみちゃんの顔を見て俺は思わずほくそ笑んでしまった。同時に腹が立ったのでさらに追い打ちをかけてみる事にしよう。
「いい顔をしてますね、うみちゃん。この話をすると大抵の人は言葉を失いますから。励ます言葉も、無理矢理絞り出した感じになって。みんな現実を見ようとしないんです。そういうものが無いって思い込んでいるだけなんですよ。あの時父親は死にぞこないましたが、出来ればとっとと死んで生命保険を寄越してほしいですけどね」
「さ、さすがにそれはよくないですよ……」
俺の悪意に満ちた言葉にうみちゃんは流石に咎める。確かにちょっと言い過ぎちゃったかな。
「ともかくもう一度聞きます。身近にこんな立派な反面教師がいるのにいい大学に行けと? 高学歴の人間は一生努力しないといけないんです。社会に出れば受験如きとは比べ物にならない努力と才能が求められるんです。あなたたち大人の安易な言葉にそそのかされて、身の丈に合わない学歴で失敗する人間がいる事を知っていながらまだそんな事を言うんですか?」
「わ、私たちはそういうつもりじゃ……」
悲しそうな先生の顔を見て自分もさすがに大人気なかったと反省してしまった。けれど今言った言葉はすべて俺の嘘偽りのない気持ちだからそれを否定する事も出来ないからなあ。
こんな事を話すつもりはなかったのに。だがもうこれであれこれ言ってくる事もないだろう。
「すみません、ちょっと嫌味が過ぎましたね。だけどまあそういう事です。俺には勉強をする意味が見出せません。勉強をすれば可能性が広がるとか言いますけど、可能性がない人間は勉強をしても意味がないので。この意見が受け入れられないなら廃ゲーマーの戯言として受け流してください。多くの理解しようとしない人がそうしているように」
「……………」
なんだか白けてしまった。俺はゲームアプリを閉じて制服の上着のポケットに突っ込み、その場から歩き出す。
そんな俺にうみちゃんは何も言い返す事が出来ず、俺は逃げるように彼女のもとから去っていった。