2-1 物語の始まりはスターダスト・プレスとともに
――御門善弘の視点から――
カーテンから漏れる朝の光が部屋中に舞った埃を照らす。ろくに換気もせず、かび臭い室内に置かれたベッドの上で俺は惰眠を貪っていた。
目覚ましのアラームとしてセットした音ゲーの名曲――正確にはそれをとある企画でカバーしたバージョンの歌がスマホからやかましく鳴り響いた。メタル調の凛として咲く花のようなこの曲は俺のようなすぐに二度寝する人間を起こすにはピッタリである。
「んー……」
俺は半分寝ていたが、アラームを止めたあと続けてスマホを操作する。毎朝の日課であるソシャゲの回収作業だ。ログボを貰って、スタミナを消費して、時間限定の無料ガチャを回してと。
「お、SR確定チケットか、ラッキー。そんじゃおやすみなさい」
いつもの作業を終えて俺は再び布団の中に潜り込む。だが突如としてゴリラが全力疾走するような足音が聞こえ、身の危険を感じた俺はうっかりそれを見てしまった。
そのメスゴリラは机を足場にどこぞのトランキーロのようにギョロリと目を見開く。俺は殺される前に逃げ出そうとしたがもう遅かった。
「起きんかコラーッ!」
空中で捻り旋回する様は流れ星のように美しい。制御不能なカリスマがたゆまぬ努力で会得した自らの肉体を凶器へと変えるその技をこのゴリラは見よう見まねで容易に自分のものにしてしまったのだ。
その名もスターダスト・プレス。死の間際にこんなに素晴らしい技を見れたのならばなんの後悔もなかった。
「ぎひょーんッ!」
重力の力を借りたゴリラの全体重が俺の胴体に伸し掛かり、猛烈な勢いで胃液が逆流する。
呆れた顔で見下ろすメスゴリラの顔を、朝っぱら死にかけた俺はジト目で見上げたのだ。
「せめて普通に起こせないのか、お前は」
「んー? ヒロ、こういうの好きじゃん。ギャルゲーとかで幼馴染の可愛い女の子にダイビングプレスで起こされるのってよくあるだろ」
「さすがにゴリラと恋愛する斬新なギャルゲーはないぃいぶぼぼべ」
「なんか言った?」
キレ気味のゴリラはバタフライロックを繰り出し俺の関節を痛めつける。降参した俺はベッドを手のひらでバンバンと叩き、どうにか解放してもらうとそのメスゴリラの顔をまじまじと見つめた。
「なあつるぎ。少なくともお前はレスリングのインターハイ覇者でオリンピック出場間違いなしって言われている。そんなメスゴリラがこんな現代社会の青少年の鑑である貧弱な人間に技を決めるな、死ぬから。お前が握手するだけで俺のこの繊細な手は粉々に砕けるんだよ」
「うーん、まあそれもそうか。なら今度はソフトな技にするよ。コブラツイストとかどうだ? あれ実際はそんなに痛くないからさ」
「まず寝起きにプロレス技を浴びせないという発想はないのかね」
ほとんど言っちゃったが一応解説しておこう。こいつは俺の幼馴染の真壁つるぎ。見てのとおり女子高生の姿をしたメスゴリラだ。レスリングの日本チャンピオンでありバキバキの体育会系で、もやしっ子な俺とは対極に位置する。
親父さん譲りのその黒い肌は一見すると外国人に見えるけど、一応れっきとした純血の日本人だ。しかしその身体能力は日本人どころか人間のものですらなく、レスリングを始めるや否やその天賦の才と並々ならぬ努力により数々の賞を総なめにし、オリンピックの代表も確実視されているわけだ。
「無理やりにでも起こさないとぐーたらなお前は学校に行かないだろ? ほら、とっとと着替えろよ」
「へいへい。だが寝技とかもやめてくれ。お前はゴリラだけどさ、その、な」
「ん? どういう事?」
意味が分からずキョトンとするつるぎに、俺は目をそらしてボソッと呟いた。
「まあ、その、さ、昔と比べて……なんでもない」
「あっそう、まあいいや。じゃ、あたしは先に行くよ」
察しの悪いバカなつるぎはそれ以上気に留めず、俺に背を向けて部屋の外へ出ていった。
幼馴染の『可愛い』女の子かどうかはともかく、健康的な身体というか、時代の流れとともに体つきも無駄に女っぽくなっているからなあ。
こんな事とてもではないが言えないけれど。言ったが最後、パイルドライバーを食らって地面に頭が刺さってしまうだろうから。