1-18 世界から忘れられた少女と、少年の償い
今にも雨が降り出しそうな、曇天。
町を歩く有象無象の群衆はその猫背の少年を路肩の石ころのように気に留める事なんてなかった。
彼はまるでゾンビと間違えるほどに生気のない目をしていた。
少年は平成に入ってから建てられたやや真新しい中規模の病院に入っていく。何度も歩き慣れた道のりであり受付も基本的に顔パスだ。
彼は院内の自販機で冷たい安物の缶コーヒーを買い、それを無理やりポケットに押し込んだ。
なぜ自分はここにいるのか。そこに明確な理由はない。自分はそうしなければいけないのだから。彼はもう考える事すらしなくなった。
そして、少年は目的地の病室に入る。
「来てやったぞ、みのり」
返事はない。様々なチューブが繋がれ生かされている彼女にはもはや人間としての尊厳はなく、生きる事も死ぬ事も出来ない、ただ呼吸をするだけの植物だった。
椅子に座った少年は缶コーヒーをちびちびと飲む。それは麻薬のように甘くカフェインは脳を無理やり活性化させた。
ゴクリ。コーヒーを飲み込む音と静かな機械の稼働音だけが聞こえる。
謝罪。優しさ。怒り。叫び。後悔。
ありとあらゆる言葉を眠り続ける彼女に与え尽くした少年はもう語る言葉を持ち合わせていなかった。なので最近はもっぱらこのように何もしていない。
もう彼女が目覚める事はないのだろう。ただ死を待つだけなのだ。自分も薄々その事は理解していた。
見舞客は一人、また一人と居なくなり、もう彼女の事を知っているのは自分だけだ。だから自分は何としてでもここに居続けなければいけないのだ。
その時少年はみのりの顔に、わずかばかりの変化があった気がした。
笑っているのか?
だがそれは気のせいだった。そんな事はあり得ない。
しかしもし幸せな夢を見ているのならばそれはそれで喜ばしい事なのだろう。異世界転生でもしてチートでウハウハな日々を送っているのかもしれない。
(んなわけねぇか)
少年は自嘲気味に笑った。結局あんなものは小説の中の夢物語。この世界には残酷なリアルしか存在しないのだ。
無言でコーヒーを飲み終えた少年は椅子から立ち上がり、
「じゃあな」
とだけ呟いて、彼女に背を向けて病室をあとにしたのだった。
ピシャン。
無機質なスライド式の扉が閉められ、観測者のいなくなった鈴木みのりはこの世界から切り離された。