1-17 二人の花嫁・リテイク
そして僕たちは、とあるホテルの結婚式場に辿り着いた。
「……ここは」
屋根と壁が壊れ、優しい太陽の光が降り注ぐ廃墟の式場。ナビ子ちゃんはふらふらとおぼつかない足取りで進み、僕は戸惑いつつも彼女のあとを追った。
「ナビ子ちゃん、何か思い出せそう?」
「はい。何となくデスけどワタシはここに来た記憶があります。そして誰かの結婚式に参列していました。それはとても幸せだった気がします」
「そっか」
ナビ子ちゃんはそれ以上何も言わなかった。いや、何も言えなかった。なぜならそれしか思い出せなかったのだから。
「あ、ピアノがあります。永遠にともにいる事を誓う曲でも弾きますか?」
「壊れてるし、離婚しそうだからやめようか。あれ結婚式で流したらダメな曲になっているそうだし」
ナビ子ちゃんは暗い空気を冗談で誤魔化す。だけどその時何かを閃き僕のほうに向きなおった。
「むむ、ここはひとつ結婚式の真似をして思い出してみましょう! というわけでみのりさん、ワタシと結婚してください!」
「いやなんでそうなるの!?」
彼女が突拍子もない事を言うのはいつもの事だけど今回のものは飛び切りで僕は慌てふためいてしまう。さすがに僕にはそこまでの勇気はない。
僕が断ると、ナビ子ちゃんはわざとらしく落ち込んでしまう。
「ナビ子を選んでくれないのデスか? しょんぼり。責任取ってください」
「責任を負うような事をした記憶もないけどね」
「あはは、まあこれは冗談デスが、ちょっとだけでいいので……どうデス?」
「どうって、うーん。結婚ってこんなに気軽にするものじゃないけど」
躊躇いが無いと言えば嘘になる。今回する事は今までのじゃれあいとは一線を画すのだから。
だけどそれがナビ子ちゃんの望みなら。それにそれでナビ子ちゃんの大切な思い出が取り戻せるなら、断る理由はどこにもない。
「わかったよ。結婚すればいいんだよね」
「わぁ! こんなワタシをもらっていただきありがとうございます!」
かなり後ろ向きなプロポーズだったけどそれでもナビ子ちゃんは喜んでくれて、その屈託のない笑顔に僕は不覚にもドキッとなってしまう。
「はいはい、それじゃあちゃちゃっと始めよう」
「はいデス!」
「あれ、そもそも二人とも花嫁になるけどそこはどうするの?」
「あ、そういえばそうデスね」
ナビ子ちゃんはそんな初歩的な事にも気づかなかったらしい。けれどすぐに、
「なら二人ともお嫁さんの格好をしましょうか!」
と、またまた尖がった提案をしてきたのだ。
「あーはいはい、やればいいんだよね。もうこの際どうでもいいや」
僕はヤケクソ気味に受け入れる。ヘンテコな展開はいつもの事だしこれはいわゆるあれだ、毒を食らわば皿までとかそんな奴だ。もうやるっきゃないね。
まったく、僕にそういう趣味はないんだけどなあ。
そんなこんなで、廃墟の式場で二人っきりの結婚式が始まる。
当然の事ながらウェディングドレスは用意出来なかったけど、せめてもの、という事で申しわけ程度にベールっぽい布は被ってみた。
そして、僕の目の前には精一杯のおめかしをしたナビ子ちゃんがいた。
「っ」
なんて美しい。
それはまさしく廃墟に咲いた一輪の白い花。余計なもので着飾る必要なんてない。それらはかえってその可憐さを損なってしまう。最初から完璧な彼女はありのままの姿がもっとも美しいのだ。
トク、トク。あまりの美しさに僕の心は奪われ、高鳴る胸の音だけが聞こえる。
そして艶やかな唇を開き、ナビ子ちゃんはその言葉を口にした。
「アナターハ神ヲ信ジマスカ!」
「いや違うから、それ家にやってくる人!」
「あれ、違いました?」
ナビ子ちゃんが素でボケてくれたおかげで僕は正気に戻った。あのままだったら本当に友達以上の感情を抱くところだったよ。危ない危ない。
「えーと、でもどんな風に言うんだっけ。確か健やかなる時も病める時もとか、そんな感じだったかな」
僕も正直うろ覚えだし訂正出来るほどの知識はない。ナビ子ちゃんはうーんと、少し考えたあとこう切り出した。
「ではオリジナルでやってみますか!」
「まあ、ナビ子ちゃんがそれでいいのなら」
ふう、何はともあれこれでいつもの展開だ。こんな茶番ちゃちゃっと終わらせよう。
気を取り直し改めてナビ子ちゃんは誓いの言葉を告げる。本来は神父さんの仕事だと思うんだけどな。
「ワタシ、ナビ子は、健やかなる時も、病める時も、お腹が空いている時も、みのりさんと一緒にいる事を誓います」
「僕、鈴木みのりは、幸せな時も、不幸な時も、温かな春も、寒さの厳しい冬も、ナビ子ちゃんと一緒にいる事を誓います」
絶対違うと思うけど僕らは我流で誓いの言葉を言った。でもなんとなくそれっぽくなったね。
「みのりさん。世界が終わるその日まで一緒にそばにいてくれますか?」
「誓うよ。そして、生まれ変わっても、何度だって巡り合おう」
その言葉は考える事無く自然と出てしまった。まるで僕以外の誰かに言わされたかのように。
なんとなくだけど僕は既視感を覚えていた。不思議な感覚を抱き、僕はまたしてもぼうっとしてしまう。
そしてタコの口になって迫ってくるナビ子ちゃんの顔を認識し、僕は慌てて彼女を押しのけたんだ。
「ぶちゅ?」
「さすがにそこまでは駄目だって。で、記憶は取り戻した?」
僕は慌てて話題をそらす。そもそもはそれが本来の目的なのだ。けれどナビ子ちゃんはしっくりこない顔をしていた。
「いえ、残念ながら。けどなんとなく何かを思い出しそうな……うーん。前にも誰かとこんな事をしたような」
「え? だ、誰かと?」
それはつまりナビ子ちゃんが誰かと結婚式をしたかもしれないという事だ。僕はその事実に今日一の動揺をしてしまう。
「あれ、みのりさん、妬いてます?」
「や、妬いてないから!」
小悪魔スマイルをするナビ子ちゃんに僕は意地を張るように抗議する。まったく、こんな顔も出来るのか。
二人っきりの世界で、僕たちはいつまでも仲良くじゃれ合う。
たとえ夢の中の世界でも、幸せならばどうだっていいじゃないか。
この世界には僕のすべてを受け入れてくれる親友がいる。暗闇から僕を救ってくれた彼女のためならば全てを捧げてもいい。
結婚なんてしなくても、僕の心は最初からナビ子ちゃんのものだった。
静寂の世界にいつまでも、いつまでも、僕たちの笑い声が虚しく響いた。