6-10 大人になる決意と別れ
その後も、時間の許す限り星鳥市を観光して。思う存分はしゃいで、その光景をカメラに記録して。
そんな楽しい時間だったから過ぎてしまうのはあっという間だった。気が付けば空はすっかり赤く染まってしまった。
星鳥市観光のラストを飾るのは浦富海岸。厳密には市外だけど、星鳥市は自分たちのもののように扱っている。
何処までも透き通る深紅の海と穢れ無き砂浜。海岸に点在する松が生えた小島を眺めながら僕らは砂浜にたたずみ、微かな波の音を黙って聞いていた。
「いやー、楽しかったデスねー」
「うん」
ナビ子ちゃんの問いかけに、僕はそんな上の空な返事をする事しか出来なかった。
「綺麗な夕日デス。もうすっかり日が暮れちゃいましたね。楽しい旅でしたけれどお家に帰らないといけません。最後の日のための準備もありますし」
ああ、そっか。
これがナビ子ちゃんとの最後の旅行なんだ。
紅に輝く海を眺め、僕にもようやく実感がわいてくる。お別れの時なんだって。
「もうお腹ペコペコデス。今日の晩ごはんは何にしますか?」
「……………」
「みのりさん?」
「帰りたくない」
「ほへ?」
本当に楽しかった。
楽しすぎた。
ナビ子ちゃんと過ごした毎日は。
出来る事なら、このまま星鳥市で過ごし決断を放棄したかった。
「帰りたくないよぉ……!」
「みのりさん……」
分かっている。これがただの甘えだって。子供の我がままだって。
ナビ子ちゃんはいつものように僕を抱きしめようとする。けれど、
「っ」
何かに思い至り、ものすごく辛そうな顔をしてその手を引っ込めてしまった。
世界から全ての音が失われる。聞こえたのは僕のすすり泣く声だけだった。
僕はうつむく事なく頑張って彼女の顔を見る。それは決意したような悲しい笑顔だった。
「みのりさんは、もうワタシがいなくても平気デスよね」
そんなわけない。そんなわけないよ……!
だけど僕は必死でその言葉を飲み込む。
「僕がいなくなったらナビ子ちゃんはどうするの? また独りぼっちになっちゃうんだよ? それでもいいの!?」
「ワタシはいいんデス、独りには慣れていますから。独りぼっちでも、みのりさんが幸せな光景を思い浮かべる事が出来たのならそれだけで十分デス。本当はそこにワタシもいたいんデスけどね」
ああ、わかっていたじゃないか。ナビ子ちゃんめ、なんてひどい笑顔をしているんだ。
我慢しているのはナビ子ちゃんだって同じじゃないか。いっつも僕の事ばっかりを優先して。
「でも、もういいんデス。みのりさんとの毎日は、ただ朽ち果てるのを待つだけだったワタシにとって大きすぎる幸せでした。ワタシはみのりさんとの幸せな思い出を胸に、静かにこの世界で終わりの時を待ちます」
僕があの世界に帰ってしまえば、ナビ子ちゃんは再び永遠にも近い時を独りぼっちで生き続けるのだろう。この、終わってしまった世界でずっと。
それが僕には何よりも耐え難かった。
「みのりさん。元の世界に戻るのは怖いかもしれません。けれどあなたはこんな終わってしまった世界にいるべきではありません。ワタシのために未来を失ってはいけないんデス」
「嫌だよ! それでも嫌なんだよぉ! どうしてナビ子ちゃんと離れ離れにならないといけないのさ!」
僕はなおも駄々をこね続ける。そして、
「ワタシだって嫌に決まっているでしょう!」
ナビ子ちゃんは堪えきれずに涙を流して叫ぶ。だけどそれでも抱きしめる事はなく、拳をぎゅっと握りしめるだけだった。
「みのりさんと一緒に居られて毎日楽しかったデス! ごはんが美味しくて、いろんな場所に行って、たくさんの素敵な思い出を貰って! もっともっとみのりさんと遊びたかったデス!」
「ナビ子ちゃん……!」
「でもそれじゃあダメなんデス! わかってくださいよぉ……! みのりさんはもう一人で歩いて行かないとダメなんデス! しっかりしやがれデスよ!」
ナビ子ちゃんはようやく本当の気持ちを打ち明けてくれた。彼女が僕を護るためにずっと無理をしてきたんだって、とっくに気がついていた。
そしてお互い抱き合って子供のように泣き叫ぶ。その雫は海に還り、終末の世界の一部となった。
泣き言をいうのはこれが最後だから、今はただこうして泣かせてほしい。明日を生きる強さを手に入れるために。
どれほど泣いただろうか。
「そうだよね……大人にならなきゃ、駄目なんだよね。そうしないと、ナビ子ちゃんは安心出来ないから……」
弱い自分を海に投げ捨て、僕はようやく決意する。
僕のために、そして親友のために大人になる事を。
この優しすぎる世界を抜け出して、僕は前を進まないといけないんだ。
それが出来るくらい、僕はたくさんの宝物をナビ子ちゃんから、ヒロや、つるぎちゃん、光姫ちゃんにうみちゃん、もふもふ君たち、そしてこの世界から貰ったじゃないか。
「僕は生きるよ、元の世界で。そこには未来があるから」
「はいデス……!」
その答えにナビ子ちゃんはようやく心の底からの笑顔になる。涙でくしゃくしゃになっていて、とってもおかしい顔だったけれどきっと僕も似たような顔なのだろう。
そして最後の旅が終わる。水平線の彼方に沈む夕日はあまりにも美しく、果てしない紅の空が広がる鏡のような海に僕らは涙を流さずにはいられなかった。
なんて美しい光景だ。ここは天国なのか。僕はもう死んでもいいとさえ思ってしまった。それほどまでにこの景色は美しかったのだ。
旅の終わりには最高過ぎる。この思い出さえあれば僕はどんな過酷な現実でも生きていく事が出来るだろう。
僕は生涯この風景を忘れてはならないと誓い、心の中でシャッターを切った。