6-1 年老いた英雄
――久世透の視点から――
閑散とした白倉の町を、俺は当てもなくさまよう。
ホームレスのような見た目は実に便利だ。そこにいながら存在しないものとして扱われるので、行政の人間か物好きな人間以外声をかけてくる事はない。
もし近寄ってきたのが不良の場合はラッキーだ。ホームレス狩りに興じる調子に乗ったガキを軽くシメて財布をぶんどればそれなりに金も稼げる。しかし残念ながら白倉は治安がいいため、そのような人間は少ない。
もうすぐ最後の一週間が始まろうとしている。この世界の分岐点となる最後の一週間が。
俺は何度繰り返せばいいのだろうか。いつまで戦い続ければいいのだろうか。
(馬鹿馬鹿しい)
その無意味な思考に思わず失笑してしまう。そんな事は美味いコーヒーを味わう事より重要ではない。俺は自販機で様々な味の缶コーヒーをまとめ買いして乱雑にポケットに突っ込んだ。
俺は金を稼げるタイプのホームレスとはいえ地味に痛い出費だ。自販機の缶コーヒーはスーパーで売られているものとは倍近く値段が異なるが、俺みたいな人間が店に入ると嫌がられるからな。
もちろん店でしか手に入らないコーヒーが欲しい場合は風呂に入って身なりを整えるがね。もしくは希典さんとかに依頼する事もあるが。
ガソリンとも言えるコーヒーの補充を終えた俺は橋の下、もとい仮住居への帰路を急ぐ。早く飲まなければ熱々の缶コーヒーが冷めてしまう。
だが自宅まで来たところで俺は意外な人物を発見してしまった。
「もふもふー」
「……………」
物好きな人間がここにいた。彼女は俺の自宅に勝手に上がり込み白いウサギと戯れている。そして白いウサギは家主の帰宅に気が付きぴょんぴょんと近付いて俺を出迎えてくれた。
「あ、すみません、お邪魔してます」
「お邪魔もクソも厳密にはそもそも俺の自宅じゃないがな」
その少女――ピーコは少し照れ笑いをして子犬の様に俺に近付いて来たので、俺はため息をついて頭の後頭部を掻いてしまう。全くもってこの警戒心のなさは不安でしかなかった。
「で、何の用だ」
「いえ、用があったのはウサギさんのほうで。でもすごく懐いていますね?」
「まあ、な」
俺は足元にすり寄る白いウサギに視線を向けるが、彼女は飽きたのかピーコの元に戻ってしまう。薄情な奴め。
しかし折角再会したのに手ぶらで返すというのもよろしくない。ここは一つ、いつぞやかの礼をしようと思い俺はポケットから缶コーヒーを一本取り出した。
「ああそうだ、折角だから受け取れ。この前の礼だ」
「え? いや、いいですよ」
だが当然ピーコは断ってしまう。なので攻略法のわかっていた俺は意地悪な説得をする事にした。
「遠慮するな。こんな小汚いオッサンから物を受け取りたくないのはわかるが」
「あ、いえ、そういうわけではなくて。では、も、貰います」
ピーコは少し困った表情だったがようやくコーヒーを受け取ってくれた。心優しい彼女はこう言えばほぼ確実にコーヒーを受け取ってくれるからな。
「これで貸し借りはなしだからな」
俺は最後にそう言い放ってその場を去ろうとした。これ以上俺は彼女に関わってはいけない。それがお互いのためなのだ。
「ピィ、それもちょっと残念です」
「残念?」
だがピーコはそんな奇妙な事を言ったので、俺は思わず聞き返した。
「私はもっと、あなたとお話ししたいので」
「……これまた変な事を言うな、お前は」
その発言を聞いた俺は即座に警戒してしまう。彼女が何故こんな道端の小石のような人間に興味を示すのか、その理由は一つしかなかったのだから。
「はい、今から変な事を言います、構いませんか?」
「……聞くだけは聞いてやる」
「……ありがとうございます。では質問ですけど、私、前にあなたとどこかで会った事ありませんか?」
「ない」
俺は彼女の疑問を真っ向から否定する。だがピーコはその程度では怯まなかった。
「ですよね。自分でも変な事を言っているのはわかります。初対面だってわかっているはずなのに。でも、あなたとはずっと、ずっと前から知り合いだった気がするんです」
「……………」
彼女の瞳の奥に映るのは遠い日々の記憶。けれどもう思い出す事も出来ない、過ぎ去ってしまった青春の日々。
「私は毎日がとっても幸せなんです。でもやっぱりなんだか、心のどこかにぽっかりと穴が開いているような気がして時々無性に寂しくなるんですよ」
それはどれだけ幸せでも決して思い出してはいけない。それらはもう今を生きる彼女には必要のない記憶だから。
「……そうか。若いんだからそういう時もある」
「そうですね。本当に何を言っているんだか」
突き放すように発した俺の言葉を聞き、ピーコは寂しそうに苦笑したあとこんな質問をした。
「あなたにも、そういう時はありますか?」
「そうだな……」
その問いかけに俺は少し悩んで、一つの答えを出した。
「もうそんな時代はとっくに過ぎちまった。見ての通り俺は歳をとったからな」
「そうですか」
そう告げた時のピーコの儚気な笑みに俺は一瞬心をかき乱されてしまう。だけどこんな事はもちろん想定内だ。
俺は周囲に助けてくれそうな人がいないか見渡してみる。ちょうどいいところにマルクス、ではなく天神クリスが土手の上からこちらの様子をうかがっていたので彼女を利用する事にした。
「多分お前の知り合いだろうが心配そうにこっちを見てるぞ。これ以上だべってたら通報されちまう。とっととどこかに行け」
「え、あ、はい、すみません。突然押しかけて。それではまた今度」
「……ああ」
ピーコは最後には俺に笑みを向けてくれる。そして彼女はいそいそとその場を立ち去りクリスの下へと向かった。
彼女が親友にどう弁明したのかわからないがこれでしばらくは寄り付かないだろう。一週間、時間を稼げれば十分だ。
俺のどうしようもない孤独感を察したのか白いウサギは俺の足元にすり寄ってくる。手持ち無沙汰で他にする事もなかったので俺はブルーシートの上で胡坐をかき、彼女の相手をする事にした。