5-30 最愛の人間との決別
だけどそんな中、トオルは冷たい目をして前に出た。
「お涙頂戴の展開の中空気が読めなくて悪いが、俺はお前を元の世界に帰すわけにはいかない」
「え……?」
トオルのその言葉に、ナビ子ちゃんは信じられないといった表情になってしまう。
その時の彼の顔はタイムカプセルの中の映像とは大きく異なっており、冷徹無慈悲でまるで人間のものではなかったのだから。
「な、何で、トオルさん」
「どういう事だ」
その言葉を看過出来ずヒロたちもトオルを敵と認識する。だけど彼は一切狼狽える様子はなかった。
「笛と鼓の音は人々の精神を破壊するだけじゃなく時空の歪みを開く。別の世界とこの世界をつなげるという事は原初の泥や様々な脅威をもたらす可能性がある。あるいは対消滅の様な現象を起こす可能性もな。だから俺は扉が開く前にオクラとオヨシを殺すつもりだ。そして二つの世界を完全に切り離す。二度と行き来出来ない様に」
「そ、そんな……!」
ナビ子ちゃんは絶望するけどその理屈はわかる。そして、彼は言葉を続けた。
「鈴木みのり。このままこの世界に残る事を選択すれば俺は一切お前たちに危害を加えない。お前の仲間を護るためにどういう選択をすればいいか、わかるよな」
むしろ僕は彼と同意見だった。僕らがしようとしている事は、僕一人のために何十億人もの人々の命を危険にさらすという事なのだから。
以前とは違った理由で僕はもうあの世界に戻りたいだなんて思わなくなってしまっていた。ヒロやつるぎちゃんたちの身に危険が及ぶのなら僕は一生この世界に残っても構わない。それくらいの覚悟は出来ている。
「……僕は、」
僕はそう言おうとした。だけどすぐに激高したヒロたちが割って入る。
「あんたの意見はわかった。けどな、俺は親友を助けるためなら世界を敵に回してもいい! たとえクズだって罵られても、ここで大人しく引き下がるのは俺のプライドが許さねぇんだよ! 俺の代わりにみのりがこうなったって知っちまったら、なおの事だ!」
「トオルさんだっけか。その意見はごもっともだがこれ以上口喧嘩しても意味がない。ここから先はわかりやすく力尽くで行きましょうか!」
「二人とも……」
その強い想いがただただ嬉しかったけれど心苦しくて仕方がなかった。つまり二人は僕なんかのために自分たちの世界を滅ぼすリスクを背負うと言っているのだ。それは僕の望む事ではなかったのだ。
「……阿呆が」
呆れたトオルは右手に光の粒子を集め巨大な金棒を作り上げる。人の背丈ほどもあるその重そうな武器を彼は片手で軽々と扱い、僕らを敵として認識したんだ。
「トオルさん! 駄目デス! ワタシたちの話を聞いてください!」
最愛の人と親友。どちらの味方になるべきかナビ子ちゃんは選ぶ事が出来ずに、悲痛な面持ちでただただそう叫ぶ事しか出来なかった。
「喚くナ! もう話し合いは無理だヨ!」
そんなナビ子ちゃんを光姫ちゃんは叱りつける。少し怯えているようにも見えたけど彼女は中国拳法の構えで臨戦態勢に入った。
「あわわ、先生は足手まといになるので下がっていますね!」
「けんかはよくないよー」
「ちー」
一方、うみちゃんともふもふ君たちは戦闘を放棄し傍観する事に決めたみたいだ。もふもふ君の力は未知数だけど、彼からすれば知り合いかもしれないし戦いにくいのだろう。
「死にたい奴からかかってこい。てめぇらみたいなガキを黙らせるには暴力が一番だからな」
「上等だオラァ!」
ヒロたちは叫びながらトオルに立ち向かったけれど僕にはわかる。この現人神に人間は絶対に勝つ事が出来ないんだって。
「駄目ッ!」
僕は叫ぶ。けれど遅かった。
トオルが金棒を一振りすると衝撃波が放たれる。たったその一撃で、三人は遥か後方に吹き飛ばされ機械に身体を激しく打ち付けてしまったんだ。
「っがは!?」
「あぶ!」
「ゴァ!」
「皆!?」
三人は手も足も出ずに秒殺されてしまう。せめてもの救いはトオルがそれ以上攻撃してこなかったという事だ。
「トオルさん、ど、どうして!」
かつての仲間の非道にナビ子ちゃんはそう泣き叫ぶ事しか出来ない。だけどその時、ようやくトオルは人間らしい悲哀を帯びた表情になったんだ。
「俺は多くの犠牲を出して護った世界をまた滅ぼすわけにはいかない。あの世界には、生まれ変わったピーコたちがいるからな……」
「でも、でもッ! うわーんッ!」
ナビ子ちゃんはブレードを展開し無意味な攻撃を繰り出した。けれど殺意のこもっていないそんな攻撃がトオルに通用するはずもない。それはまるで子供のチャンバラごっこだった。
「うぐッ!?」
「ナビ子ちゃんッ!」
トオルは攻撃を容易くいなし、頃合いを見てナビ子ちゃんに一撃を浴びせて吹き飛ばす。あんなに強いナビ子ちゃんですらトオルの足元にも及ばなかったんだ。
僕はもう、これ以上皆が傷つくのを見るのが耐えられなかった。
「わ、わかったよ! 僕はこの世界に残るから! もうやめてよッ!」
「ふざけるな……そんなの認められるかよ……!」
だけど僕の思いをよそにヒロはなおも立ち上がる。これだけ圧倒的な力を前にしても彼はまだ抗おうとしていたんだ。
「あたしも……まだ、戦える……!」
「クソモヤシには……負けられないナ!」
皆は僕のために必死で戦ってくれていた。けれどそれが無意味な事だなんてわかり切っていた。
「トオルさん……どうしても駄目なんデスか……!?」
「……………」
ナビ子ちゃんの涙の訴えに戦意を失ったトオルはふう、とため息をついて構えを解く。
「今から一週間後、オクラとオヨシがこの世界に現れる。その時までに答えを決めろ。ただしもし鈴木みのりが向こうの世界に戻ろうと時空の歪みを開こうとするなら俺は全力でそれを阻止する。じゃあな」
「ほいじゃあのう。ま、俺っちは干渉しないけどね」
トオルと、そして希典さんは傷つくヒロたちを哀れな目で見た後、その場から去っていった。
「クソが……!」
「こんなのって……」
「み、みなさ~ん、大丈夫ですか?」
「いまてあてをするよー」
「ちー!」
気力を使い果たしたヒロたちは悔しそうにその場に倒れ込む。僕たちは手分けして地上まで運び、全員に応急処置を施した。
皆は致命傷を負っていなかったけれどトオルが本気を出せば全員を簡単に殺せただろう。今それをしなかったという事は一応優しさはあるのだ。
けれど僕は決めなければいけない。この世界に残るのか、元の世界に戻るのか。
一週間後の、運命の時までに。