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5-14 荒木阿蘇神社と、初めて恋をした記憶

 ナビ子ちゃんはとても足が速く、車外に出てすぐに見失ってしまう。どこに行ったのかヒントもないし直感を頼りに探すしかない。


 僕は町を走り回る。市街地を、古い町並みを、球磨川の船着き場を、機関車の博物館を。


 だけどそのどこにも僕の親友はいなかった。


「どこにいるのさ……」


 血を吐きそうなほどに肺を酷使し、日が沈んで空が赤く染まるころ、やっとの思いで辿り着いたのは朽ち果てた神社だった。


 崩落した茅葺屋根の正門を僕は小山を上るように乗り越えて境内へと向かう。そこは今まで訪れたどの廃虚よりも、シン、と静まり返っていて近寄りがたい空気が漂っていた。


「っ」


 周囲の風景が歪む。気が付くと僕は星空に照らされる神社の境内にいた。


 不思議な事に神社は壊れていない。さっきまでひどい有様だったのに。


 だけどそんな事よりも僕はそこにいたナビ子ちゃんと一人の少年が気になってしまう。二人は深刻そうな顔をして向かい合っていてとても声をかけられる雰囲気じゃなかった。


(ナビ子ちゃんっ)


 それ以前に声が出なかったけれど。どうやら僕は声を出す事も姿を認識される事もないようだ。


 そんな僕を無視して、ナビ子ちゃんは泣きそうな顔で少年に語り掛ける。


「やっちゃんがなぜ死ぬ事を選んだのがワタシにはわかります。いいえ、わかってしまいました。なぜならワタシも別の世界で孤独でしたから。ほんのちょっとデスけど思い出したんデス」

「……………」


 その言葉を少年は否定出来なかったようだ。そして、僕も。やっちゃんが誰なのかはわからないけれど、きっとナビ子ちゃんにとっては大切な人だったのだろう。


「彼女はワタシデス。もし世界を救ったとしてもワタシもいつか取り残されます。そうなった場合どうすればいいんでしょうか……教えてください!」


 愛しいコッペリア。そして悲しきコッペリア。孤独をなによりも恐れ、他者から愛されなければ存在出来ない魂無き少女。


 それがナビ子ちゃんだった。彼は、僕よりも先にその事に気付いてしまったようだ。


「俺は」


 何も出来ない僕の代わりに少年は彼女に伝える。僕が伝えたかった言葉を。


「俺はお前を独りにしない。最期のその時まで俺はずっとお前と一緒にいる。ずっとずっと馬鹿をやって笑い合うんだ」

「トオルさんは……ワタシを求めてくれるのデスか?」


 静かに泣くナビ子ちゃんに、トオルと呼ばれた少年ははっきりと伝える。


「ああ。俺だけじゃない。みんながお前を必要としている。お前はもう道具じゃない。かけがえのない仲間なんだよ」

「っ!」


 ナビ子ちゃんは泣き顔を見られないようトオルに抱き着き、胸に顔をうずめる。そんな彼女の背中を彼は優しく撫でた。


「そうなった場合だって? こんな世界で遠く先の未来の事なんて考えるな。今を一生懸命生きればそれでいい。辛い事なんてなにも考えるな」


 ナビ子ちゃんは静かに泣き続ける。弱虫な誰かが言ったどこかで聞いたような言葉に。


 その言葉は所詮現実を見ていないだけだった。この言葉が正しかったのかどうか彼女と生きてきた僕にはわかっていた。


 この温かさの記憶はやがてくる永遠に近い孤独の世界では、ただの呪いになってしまっていたんだ。


 けれど無責任だとしても、僕は彼の気持ちが痛いほど理解出来てしまった。


「だから精一杯生きていこう。いつか来るその時を笑顔で迎えるために。俺たちは今ここで生きているんだから」

「……はい、デス」


 満天の星空の下、満月に照らされた彼女は人間の少年と結ばれる。影絵となった二人は闇の中に溶け込み、世界は消失していく。



 そして、いつの間にか僕は現在の神社の境内に戻っていた。


 僕は今、何を見てしまったのだろう。いや、そんな事はどうだっていい。


 僕はようやく彼女を見つけたのだから。


「ここにいたんだね、ナビ子ちゃん」

「……………」


 だけど返事はない。彼女は虚ろな目で何もない紅の空を見上げていた。


 そして、彼女はようやく言葉を紡ぐ。


「ワタシはここを、荒木阿蘇神社をよく覚えています。ワタシはここで大好きなトオルさんに告白されたのデスから」


 ナビ子ちゃんは静かに涙を流した。その綺麗な雫を見てしまえばトオルという人物がどれだけ彼女にとって大事な人だったのか、説明されなくてもわかる。


「大吉市は当時暴走したロボットに支配されていました。ワタシはトオルさんたちと一緒に町の人を救うために一生懸命頑張ったのデス。犠牲は出ましたけれど、どうにかワタシたちは大吉と町の人々の心を救う事が出来ました」

「そっか」


 この場所で昔どんな事があったのか今の幻だけでは詳細な事は僕にわかるはずもない。それに何より僕にはもっともっと気になる事があったし。


「そのトオルって人への大好きは、友達として? それとも、恋人として?」

「恋人デス」


 ああ、やっぱりそうなんだ。ナビ子ちゃんは少し照れながらそう言ったので僕はちょっぴり悔しくなってしまう。さっきのを見れば誰でもわかるし、そりゃ恋人くらいいてもいいけどさ……。


「トオルさんはとても頼りがいがあって、皮肉屋デスが優しくて、時々おバカでしたが……ワタシたちの事をどんな事があっても命懸けで護ってくれる素敵な人でした」

「……そっか」


 ナビ子ちゃんの口からは好意的な言葉しか出てこない。少なからず嫉妬はしてしまうけれど、彼がナビ子ちゃんを護ってくれたから今こうして僕は彼女と巡り合う事が出来たんだ。だからそこは認めなくちゃいけない。


 だけどもうあれから何百年も経っている。きっとそのトオルって人もとっくの昔に……。


「もう皆いなくなっちゃいました。トオルさんも、ピーコさんも、ゴンさんも、マルクスさんも、キャシーさんも、ともちゃんさんも、銀二ぎんじさんも、クーさんも、がんめんちゃんも、もちぞうさんも……この世界から」


 彼女は記憶を取り戻した事で本当の意味で孤独を知ってしまう。僕にはこれ以上悲しむナビ子ちゃんを見る事が出来なかった。


 気がついたら僕も彼女を抱きしめていた。力の限り、離さないように。これはさっきみたいな幻なんかじゃない。


「僕がいるから。だから、だから……!」


 僕はいつの間にか泣いていた。慰めるつもりだったのに、ナビ子ちゃんは優しく微笑んで僕の頭を撫でてくれる。


「ありがとうございます。ワタシも今の時間を同じくらい大切に思っています。みのりさんと過ごした数年間はかけがえのない日々でした。ワタシは自分のために泣いてくれる親友がいてとっても幸せ者デス」

「ナビ子ちゃん……」


 そして、僕は泣きじゃくりながら前から決めていた決意を告げた。


「ナビ子ちゃんが望むなら僕はこの世界に残るよ。お母さんの事とか関係ない。僕にはナビ子ちゃんが必要なんだ。たとえ世界が滅んだとしても構うものか」


 僕はこの終わってしまった世界で真実の愛を知ってしまった。それを手に入れるためならば喜んで絶望も受け入れよう。それほどまでに僕はダメ人間になってしまったんだ。


「みのりさん。それはいけません」


 だけどナビ子ちゃんは悲しそうに笑い、優しく拒絶する。彼女ならそう言うのだとわかってはいたけれどやっぱり辛かった。


「ワタシはみのりさんが元の世界に戻る方法を探します。機関車の怪物の時もそうデスが、この世界は危険すぎます。デスが向こうの世界は平和で美味しいものもたくさんあります。なんならワタシも一緒に行きますから」

「けど……思い出は? 本当に全部思い出したの?」

「……………」


 そう尋ねるとナビ子ちゃんは困ったように笑う。彼女もその事を理解しているようだ。


「はい、まだ全部ではありません。ワタシの記憶領域は損傷が激しく思い出したのはほんの一部デス。けれどそれはみのりさんよりも重要ではありません」

「それじゃあダメだよ!」


 僕は怒りを込めて叫ぶ。こんな顔をさせちゃダメだ。僕は彼女の愛に答えなければならない。今度は僕がナビ子ちゃんを助ける番だ。


「僕も一緒に記憶を探す手伝いをするよ。元の世界に戻るかどうかは、それから考えよう」

「……ありがとうございます」


 ナビ子ちゃんはその言葉を待っていたのか、ようやくぼろ泣きをして弱さを見せてくれた。僕らは抱き合い、ずっとずっと泣き続け傷を舐め合ったんだ。


 この先に待ち受ける、残酷な現実に気気付く事もなく。


 ううん、本当はもうわかっていた。だけど弱い僕は見ようとしなかった。それだけの事だったんだ。

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