5-10 ナビ子との喧嘩
ゲームのプレイ動画の撮影に使った機材を片付けたあと、皆でお土産の和菓子とともにコーヒーブレイクを楽しんでいるとヒロは少し真面目な顔をしてこう切り出した。
「ああ、そうそう。俺、この間父さんと仲直りしたぞ」
「え、おじさんと?」
「ああ」
「へぇ、よかったじゃん」
僕はヒロのお父さんとそんなに絡みはないけど不仲なのは知っていた。だけどあの人は心が弱いだけでいい人なのは知っていたし、親友が肉親と和解出来たという事実は手放しで喜べるものだった。
「でも意外だね、あんなに仲が悪かったのにヒロが仲直りするなんて」
「どっちかって言うと俺が一方的に嫌っていただけだけどな。向こうの世界で色々あってさ、うちのじいちゃんとばあちゃんも警察に捕まって御門家の問題は大体片付いたよ」
「さらっととんでもない事を言った気がするのデスが?」
「ああ、あのおじいさんたち捕まったんだ。いつかはそうなると思ってたけど」
補足の説明に僕はそんなに驚く事はなかった。普通はそっちのほうが衝撃的なはずなのに。
「……みのりさんにすらこんな風に言われるなんて、おじいさんとおばあさんは相当だったんデスねー」
「ああ、親族からも滅茶苦茶嫌われていた。まあその話は本筋じゃないから置いておこう」
苦笑するナビ子ちゃんに気にする事なくヒロは別の話を切り出そうとした。だけどそこで言いよどんでしまう。
「ああ、その、な。それでさ」
「……………」
つるぎちゃんはお饅頭を食べつつちらちらと様子をうかがう。思えば何だかさっきから口数が少ない気が。どうやら二人は大事な話をしたいのだと僕は察してしまった。
「お前も、お母さんと仲直りしたらどうだ?」
そしてヒロがようやく口にしたのは、そんな馬鹿馬鹿しい言葉だった。
「え、いや、どうしてそうなるの?」
「向こうの世界に戻った時ギスギスしたままじゃ居心地が悪いだろう? お前の病室で話をしたんだけど、昔よりもだいぶマシになっていたし、その、どうだ」
「嫌に決まってるよ」
僕ははあ、と大きなため息をついて呆れてしまう。こっちの世界でお母さんの話なんて聞きたくなかったのに。
「ヒロがお父さんと和解出来た事は僕も嬉しいよ。けど僕はそもそもあの人が悪い人じゃないのは知っていたし、時間が経てば仲直りも無理じゃないって事は分かっていた。だから僕のお母さんと同じ次元で語るべきじゃないよ。お母さんが救いようのない人物だって事は二人もよく知っているよね?」
「ううむ」
「いやー、あたしもその場に居合わせたけど本当に変わってたよ」
「口先ではなんとでも言えるって。お母さんは演技をしているだけさ。仮に本心だったとしても金銭欲と自己顕示欲にまみれたあの人はすぐに手の平を返す。そういう人だよ」
つるぎちゃんは援護射撃をしたけど僕はバッサリと切り捨てた。お母さんがどれだけ酷い人間なのかという事は娘の僕が一番よく知っているのだから。
「二人もお母さんに嫌な気持ちにされた事は何度もあるでしょ? どうやっても無理だって。あの人は僕の母親じゃなくてマネージャーになる事を選んだ。だから僕もあの人をお母さんとして見る事をやめたんだ」
「うーん」
「そうだけどさ……」
「わたわたわた。うう、喧嘩は良くないデス」
心優しいナビ子ちゃんは重苦しくなった空気に慌ててしまった。この問題に関しては完全に部外者でどっちの味方になればいいのかわからないのもあるのだろうけど、きっと今彼女のCPUやディスクは真っ赤に暴走している事だろう。
「だからこの話はもうお終い。大体まだ元の世界に戻る方法は見つかっていないのに気が早いよ」
僕は常套句を使ってこの場を強引に切り抜けた。実際元の世界に戻れない以上こんな話をしても無意味なのだし。
「それにナビ子ちゃんの記憶を見つける事も大事だからさ。ね、ナビ子ちゃん」
「は、はいデス」
笑顔の僕に同意を求められたナビ子ちゃんはシュンとして頷く。つまらない家庭の問題に巻き込んで悪いとは思っているよ。
「で、でも……」
だけどナビ子ちゃんは緊張した面持ちで、こう切り出した。
「前から薄々とは思っていたのデスが、みのりさんはワタシの事を言い訳にして本当は元の世界に帰りたくないのではないでしょうか?」
「っ」
彼女は僕の本心をズバリと言い当てる。それはもちろん図星で僕は少なからず動揺してしまった。
「そ、そんなわけじゃないか」
どうしよう、この事がバレたら僕はナビ子ちゃんに嫌われてしまう。だからなんとしても誤魔化すんだ。
「いえ、ワタシは別に言い訳にしても構いませんが……」
卑怯な僕とは対照的にナビ子ちゃんはそんな優しい言葉を言ってくれる。でも、色んな気持ちを隠し、寂しそうな顔をしているのが何よりも辛かった。
「デスが、その、ワタシには家族というものはわかりませんがやっぱり喧嘩をするのは悲しい事デス。だから仲直りが出来るのなら仲直りしたほうがいいと思います」
そしてやっぱりというか、ナビ子ちゃんはヒロの側についてしまう。それは初めてとも言える僕への反抗だった。
「ナビ子ちゃんは何も知らないのに、偉そうにそんな事言わないでよ」
その時の僕の絶望は言葉では言い表す事が出来なかった。怖くて、悔しくて、動揺した僕はムキになってしまったんだ。
「大体ナビ子ちゃんはロボットでしょ。ロボットなんかに何がわかるのさ」
「っ」
そして声を荒げた僕はそんなひどい事を言ってしまい、悲しそうなナビ子ちゃんの顔を見て自分が何をしてしまったのかようやく理解してしまう。
「……ごめん」
いたたまれない気持ちになった僕は小さく謝罪の言葉を言って、バスの乗降口から外に出る。
結局弱い僕はまた、現実から逃げ出してしまったんだ。