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5-2 母の懺悔

 でも、みのりとあの人を和解させる、か。それはある意味薩長同盟を結ぶよりもずっと難易度が高いだろう。家族の確執というものは人類が神話の時代からずっと悩まされ、未だに抜本的な解決が出来ていない問題なのだから。


 俺はみのりと母親を和解させるために病院に行ってまずは彼女を探す。いるかどうか保証はなかったが幸いにしてみのりの母親は彼女の病室にいた。


「あら……こんにちは」

「お久しぶりですね」

「どうもです」


 俺達は少しでも愛想をよくしようと試みたが、潜在意識が断固拒否しこのようにぎこちないあいさつになってしまった。自分に京都府民の様な社交スキルがあればいいのにな、と思いながら俺は彼女と会話を続ける。


「今日も来ていたんですね」

「ええ。全部を失った私にはもう他にする事もないし」


 そう自嘲するように笑ったみのりの母親には、かつての様な傲慢さや恐ろしさは微塵も存在しなかった。


 彼女はブランド物を一切身に着ける事無く、古着店で買ったかの様な地味でみすぼらしい服装をしている。そのボサボサの髪や、荒れてしわが目立つ肌からは過剰なまでに美容に気を使っていた当時の面影はどこにもなかった。


 その存在は風が吹けば塵芥の様に散り散りになってしまいそうなほど脆く、ひどく弱々しいもので、揉め事を予想していた俺達は少なからず戸惑ってしまう。


「あれから私もみのりの動画を探してみたけど見つける事が出来なかった。やっぱり結局は都市伝説なのかしら」

「あるいは、あなたに見てほしくないのかもしれませんがね」

「そうかもしれないわね」


 喧嘩をしない様に気を付けていたが俺はやはり嫌味を言ってしまった。だが、仕方がない事なのだ。


「俺も用事が無ければ正直あなたとは話したくもありませんでした。昔の事とはいえ、あなたに詰め寄られた事はまあまあトラウマになっているのでね」

「……何の申し開きも出来ないわね。あの頃の事は本当に悪いと思っているわ」

「……………」


 本当に彼女は俺たちの記憶の中のみのりの母親と同一人物なのだろうか。何の力も持たない無抵抗の子供に、使ってはいけない言葉でものすごい剣幕で罵詈雑言をまき散らしたあの人間と同じだというのか。こんな惨めにも程がある負け犬が。


 つるぎはたまらず、彼女に問い詰めた。


「あなたは、何であそこまで必死になっていたんですか」

「そうね……」


 そしてみのりの母親は眠り続ける娘の頬を優しく撫でて、当時の事を語り始める。


「うちはそんなに裕福じゃなかったけど、みのりが芸能界で活躍するようになってからたくさんのお金が入るようになった。スーパーで半額になったお惣菜を見つけて喜んでいた事が馬鹿らしくなるくらいに通帳に振り込まれたお金は桁外れの金額だったの。貧しさを知っていたからこそ、私はそれを失う事が怖くなった」

「……………」

「主婦って大変なのよ。一番辛いのは家政婦の様に働いて何も変わらない毎日を過ごす事かしら。毎日家事をして、家計を支えるためにパートをして、誰からも感謝されずに社会の背景にいる人間として無意味にやりがいのない時間を過ごす。それってものすごく苦痛な事なの」


 それは彼女に限った事ではない。結婚は人生の墓場とも言うが日本というのは女性が住みにくい国だ。その選択をすれば多くの女性がキャリアを諦め人生を捨てざるを得ない。ある人は結婚は公的に認められた奴隷制度、なんて形容もしていたっけ。


「でもみのりがスターになって私の生活は激変した。最初は軽い気持ちで、友達の付き合いで子役活動をさせて、何の気なしに地元のミュージカルに応募したら主役に抜擢されて、それが注目されてあれよあれよとみのりは時代の寵児になった。そして私はお金と国民的人気子役タレントのマネージャーという肩書を手に入れた。テレビに自分の娘が映るたびに私はまるで自分がスターになっているかのように錯覚したわ」


 今ならわかる。彼女が執着していたのはお金だけではないのだと。彼女は鈴木みのりの母親になった事で望んでいたものをすべて手に入れる事が出来たのだ。


「だから私は人気子役の鈴木みのりを護るためにあらゆる手段を使ったの……いいえ、私の華々しい日々を護るためにね。芸能活動の障害になるあらゆるものを排除して、ライバルを蹴落とすために手段を選ばず根回しをして。結局私は全てを失ってしまった。神様は私に罰を与えるために私から一番大切なものを奪ったのよ」


 そして彼女はみのりの頬から手を離し、途方もなく虚しそうな表情になる。


「みのりが眠り続けているのはこんな現実が嫌になったからかもしれない。彼女が小説の中の主人公の様に別の世界で幸せに過ごしているのなら、それはそれで幸せなのかもしれないわね」


 彼女は懺悔を終えて俺達もまた脱力し戦意を喪失してしまう。最悪殴り合いになる事も想定していたが、予想していなかった展開に俺達はどうすればいいのかわからなかったのだ。


 俺は意を決してあの質問をした。


「もし、みのりが目を覚ましたとしてあなたはまた芸能活動をさせますか?」


 だがその質問をすると彼女はフッと笑みを見せる。


「まさか。その日が来れば私は何もしない。みのりがそれを望めば別だけど……いいえ、望んだとしてもどちらにせよ私はみのりの幸せの邪魔にしかならないわ。だから自由に何でも好きなようにさせるつもり。私の呪縛から解き放ってね」

「そう、ですか」


 彼女はみのりが眠り続けてから罪悪感に苛まれずっと後悔していたのだ。俺がそうであったように……。


 そして俺達は確信する。今の彼女とならば十分和解のチャンスはある。みのりがこの世界に戻った暁にはきっと命懸けで彼女は我が子を護るだろう。


「わかりました。話してくれてありがとうございます。俺達はみのりの顔を見に来ただけなので、ここらでお暇します」

「ええ、それじゃあね。また会いに来てくれると嬉しいわ、善弘君、つるぎちゃん」

「はい、それじゃあまた今度」


 別れを告げたつるぎもどこかスッキリした顔になり俺と一緒に病室を出た。俺達は向こうの世界でいつでもみのりと会えるが、彼女はここでしか会えないしこれ以上親子の語らいを邪魔するのは無粋というものだろう。


 そして廊下を歩きながらつるぎは俺に問いかける。


「いけそうだな」

「ああ、あの様子ならな。人間って変わるもんなんだな……」

「だな」


 俺達は互いに笑みを向け母の想いを知った喜びを分かち合う。最大の難敵であった彼女があのように変わったのだから、ちゃんと説明すればみのりの説得もそこまで難しくないだろう。


「つるぎ、準備が出来次第向こうの世界に行くぞ。お前も向こうに持っていくためのお土産を準備しておけ」

「ああ、わかったよ」


 次にみのりと会う時。それはきっと彼女の人生の大きな分岐点になる。俺は多少の緊張感とともに、どこかワクワクしながらお土産を求めてスーパーに向かったのだった。

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