4-38 変わらないものと、動き出す家族の時間
夜も更け、御門家の居間ではそれぞれの両親が集まり晩酌を楽しんでいた。俺は楽しい時間を邪魔しないように廊下を移動するが、もちろん談笑する声は聞こえてくるので思わず聞き耳を立ててしまった。
「いつぐらいぶりかしら。皆でこうして飲むなんて」
「ヒロを産んだ時じゃないの? あの日は夜通しどんちゃん騒ぎをしたわね。私は授乳期だったから飲まなかったけど」
「ああ。あの日に飲んだ酒が今まで飲んだ酒の中で一番美味しかったよ」
「本当に楽しかったよなあ。盛り上がって唐突にプロレスの試合が始まってさ。利枝ちゃんのパワーボムは今でも忘れられねぇよ」
オカン、産後で何しとんねん。
だけど俺が生まれた事をこうして家族ぐるみで祝ってくれたんだな。まるで自分たちの事の様に。
「でもまあ……その後はそれっきりだったね。僕は会社で色々あって、白倉に戻って……」
父さんはしんみりとしながら、いつものようにネガティブモードになった。
そう、ちょうど俺が生まれたあとくらいだ。父さんが精神を病んで会社を辞めて白倉に戻ってきたのは。
「……二人は、どうしてこんなに変わった僕を受け入れてくれたんだい?」
「そりゃあお前、ダチってのはそういうもんだろ。他に理由がいるか?」
けれどそんな空気を真壁父は笑い飛ばし、一気に明るいものに転換した。
「俺たちの関係は変わらない。ハゲてもデブになっても、ボケ老人になってもな。だから、もしまたこの町を離れたとしてもいつでも戻ってこい」
「ケン……」
頼もしい親友からそんなエールを送られ俺までも勇気づけられてしまう。俺の父さんはこんなに素敵な仲間がいたんだな……。
「病気になるまで会社で働いた時も、今日怒った時もそう。聡君が無茶をするのはいつだってヒロ君のためよ。あなたは何も変わってなんかいない」
「っ」
そして、おばさんのその言葉を聞いて俺は胸が震えた。
俺は今までの記憶を思い出す。
小さいころ、はしゃいでいた俺が車に轢かれそうになって、ものすごく叱った時も。
能力と釣り合わないうえ、ブラックな会社で心がズタボロになるまで働き、歯を食いしばって耐え続けた時も。
ゲームが下手なくせに、俺と対等に戦うために夜更かししてレベル上げをした時も。
勇気を出して一歩を踏み出すために、プライドも学歴も捨てて作業所に通うようになったのも。
そして、今日ゲーム機を勝手に売った祖父に初めて歯向かったのも。
全部、全部。
父さんはいつだって俺のために無茶をしてくれていたんだ――。
何で、どうして。俺は理解しようとしなかったんだろう。こんな優しくて頼もしい最高の父親の事を。
なのに俺はずっとずっと酷い言葉を投げかけた。いないものとして無視をし続けた。それがただただ悔しくて情けなかった。
俺はようやくその事に気が付き、自然とボロボロと涙があふれてしまったんだ。
「ヒロ……?」
つるぎがやって来てももう涙を止める事なんて出来ない。
彼女は少し驚くも何も聞かず、優しく肩に手をポンと置いてくれる。
ただ物音に気が付いたおばさんが廊下に出て俺たちの存在に気が付いてしまった。そして泣きじゃくる俺を見て何となく察したらしい。
「つるぎ。弱っている今がチャンスよ。今のうちに部屋に行って既成事実を作りなさい!」
「ちょいオカン!?」
「全然察してねぇ!」
俺は泣きながらツッコミを入れる。何ともまあ笑えないのに幸せになれるギャグシーンだな。
「ははは。うちのつるぎは嫁入り前だ。鎖で縛り殺すぞゴルァ!」
「しませんから!」
「まあ冗談はさておき、聡、あれを出すタイミングじゃねぇか?」
「う、うん」
おじさんは豪快に笑ってそう促し父さんの背中を押す。俺には何の事だかわからなかったが父さんは見覚えのある箱を持ってきた。
「父さん、これって……」
それはジジイに売られたゲーム機だった。正確には別のものだろうが、父さんはそれを見せてぎこちなく笑った。
「全部じゃないけど買いなおしたよ。ほ、ほら、このゲームも……昔よく遊んだよね」
そして父さんはボロボロの箱を差し出す。それは俺がバザーで買ったあのレースゲームだった。
あの思い出は父さんにとってもかけがえのない宝物だったんだ。ちゃんと覚えてくれていたんだ。
「僕は立派な父親じゃないかもしれない。強くないかもしれない。だけど……ヒロを想う気持ちだけは誰にも負けないつもりだから。だから、仲直りしてくれるかな……?」
立派な父親じゃない?
強くない?
そんなわけはない。それは息子の俺が一番よく知っている。
ああ、こりゃもうダメだ。これはいかんよ。今までやったどんな泣きゲーよりもぼろ泣きしてしまう。まさか親父に泣かされるなんてな……。
俺は涙を拭って、くしゃくしゃな笑顔で言った。
「そう、だな……早速久しぶりに遊ぶか、父さん」
「……うん!」
泣いているのは父さんも同じだった。皆はその光景を優しく見守ってくれる。
そんなわけで、かなり回り道をしてしまったけれど俺はようやく父さんと和解する事が出来たんだ。
いや、違うな。拒んでいたのは最初から俺だけだった。父さんはいつだって俺の事を想ってくれていたんだから。
そして止まっていた家族の時間はもう一度動き出す。これから何が待ち受けているかはわからないけれど、今の俺ならどんな敵だって倒せるだろう。
だって、こんなに頼もしい父親が味方になってくれたんだから。
んで。
「ヒィッヤッハー! 死ねやオラァァァッッ!」
「ひーん!?」
緑の恐竜のカートを操る世紀末な顔をした母さんは俺をコウラで吹き飛ばし、トップへと躍り出てしまう。
余韻もクソもねぇ。家族の絆は早速木っ端みじんに崩壊しそうになっておりました。
「ヒャッハー! どけよオラ! でっていう様のお通りだー! 汚物は消毒だァ!」
「あー、そうだ、おばさんってこういうキャラだったな」
「ぬう!?」
つるぎは昔の母さんを思い出しおつまみのジャーキーをもしゃもしゃと食べていた。そうしている間に、母さんは真壁父にバナナの皮を放り投げコースアウトをさせてしまった。
そう、母さんはコントローラーを握るとこんな風に性格が変わるのだ。このゲームは絆を壊す事に定評があるので相性はある意味ピッタリである。
「おうおう赤のヒゲ! 汚ぇケツが見えてるぜ! いっつもいっつも穴に落ちそうな時に踏み台にして逃げやがって地獄に落ちろオラァ!」
「ひゃー!」
「周回遅れなのに容赦ねぇ! まさに外道!」
母さんは父さんの操る赤のヒゲにバナナの皮をぶつけスリップさせて奈落に突き落とす。まったくもって一片の慈悲もない鬼畜の所業である。
これで本当に仲直り出来た……のかなあ?
とにもかくにも夜通し続いたゲーム大会も終わる。翌朝目が覚めた俺はトーストを食って身支度を整えた後、玄関のドアを開けた。
太陽はこれでもかと世界を明るく照らす。雲一つなく実に清々しい天気だ。
庭のほうから物音が聞こえなんの気なしに見てみると、そこでは父さんが軍手と草刈鎌を装備して草むしりをしていた。
「ありゃ、父さん、何してるんだ?」
「見ての通り草むしりだよ。花でも植えようかなって。そこそこ広いしほったらかしにするのはもったいないだろう?」
「そっか」
俺は昔の庭を思い出す。今でこそこんな有様だが昔は野菜とか花とか植えていたっけ。プチトマトとかも食べたりしてさ。あんまり美味しくなくてすっぱかったけど。
父さんは朝から作業をしていたのかゴミ袋いっぱいに雑草が溜まっていた。しかし長年放置していた雑草はかなりの量で一日でどうこう出来るものでもない。ずっと肉体労働をしていたためか額には汗が浮かんでいた。
「俺も手伝うよ」
「そう? じゃあお願い」
だけど手分けをすればどうという事はない。手が空いた時にでもぼちぼち手伝えばいいだろう。
俺はこの庭にどんな花を咲かせようか楽しみにしていた。びっくりするほど立派な庭にしてみのりが戻った時に自慢をしてやろう。
庭のほうは急ぐものでもない。ゆっくり、のんびりでいいからまた花を咲かせればいいのだから。