プロローグ 人類滅亡後の日常・リテイク
そこは、ゴミ捨て場のように汚く暗い部屋だった。
目の下にクマがある少年が突っ伏している机の上には飲みかけのコーラのペットボトル、それにエナジードリンクの缶に、スナック菓子の空袋が散らばっていた。
あちこちに脱ぎ散らかした衣服が散乱し、ある意味では年相応の若者らしい部屋とは言える。
今の時間は深夜未明。世界が寝静まり動きを止める時間ではあるものの、彼のような自堕落な日々を美徳とする不健全な人間にとっては最も活動的になる時間だ。
寝落ちする前少年は動画を見ていたらしい。正確には探していた、だが。
けれど結局目当てのものは見つからず、ここ最近は夜更かしを続けたため脳の疲労が限界になり、強制的に機能を停止してしまったというわけである。
「グゥゥウ」
田舎特有の人付き合いに馴染めなかった孤独な彼にとっては様々な娯楽を提供してくれるパソコンやゲーム機こそが唯一の友人だ。いびきをかいて束の間の休息をとる彼をノートパソコンのブルーライトが優しく照らす。
しかしその時、雑多なオススメ動画が表示された画面が歪んでしまう。
それは簡単に考えればバグが発生した、の一言で片づけられる事象である。だがそれだけではなく自動的に動画の再生が始まってしまった。
再生された動画には廃墟の街が映し出されていた。コンクリートの建物は崩落し、街は植物に侵食され自然の一部となっている。コンビニは野生動物の交流の場となり、倒壊した電信柱の上で茶色の野ウサギがキョロキョロと周囲の様子をうかがっていた。
『うーん、相変わらず廃墟デスねー。ここは昔、どんな場所だったのでしょう? あ、ウサギさんデス!』
少女らしき人物の持つカメラに映し出された野ウサギはその耳をひくひくさせ、近付く気配を察知し慌てて逃げ出してしまう。
『あ、行っちゃった。もふもふしたかったのに』
もう一人の髪の短い中性的な少女はほんのりと残念そうな声を出してしまう。どうやらこの動画で撮られている廃墟には投稿者である二人の少女以外誰もいないようだ。
青空を白い雲が流れていく。二人は気の向くまま市街地を散策していた。
『もう、ナビ子ちゃんが食欲を前面に出すから怖がったんだよ、きっと』
『むむ、そんなつもりはなかったのデスが。でもウサギさんは可愛いだけじゃなくて美味しいデスから仕方ありません! 毛皮も有効活用出来ますし!』
『いやまあ、この世界で貴重なタンパク源なのは否定しないけどさ』
やや甲高い声で喚く撮影者のナビ子という少女に、中性的な少女は思わず苦笑してしまう。
『それにしてもやっぱり人がいないなあ』
『そりゃここは鳥取デスからね。山陰が束になっても群馬にすら勝てませんから』
『そういう問題でもないけど。あとさりげなく群馬をディスってるよね。それに栃木のほうが田舎じゃないかな』
『茨城も忘れずに。あそこもなかなかデスよ』
『うん、この話はいい加減怒られそうだからやめようか。北関東は結局天下の関東地方だし、山陰がナマ言ってんじゃねぇよ、ってなるから』
『そうデスねー、鳥取は大人しく唯一勝てそうな島根と低レベルな争いをしておきましょう。けど折角誰もいないデスから群馬に想いを馳せて道路の真ん中でサンバでも踊ってみますか? はい、てーてーててーれててー、ダンシン! エビバデーダンスナウ!』
『遠慮しておくよ。あとそれサンバの曲じゃないし、バブルの奴だよ』
『むう、ノリが悪いデスね』
若干ウザさを感じる撮影者の少女はつれない返事にぶーぶーと抗議をする。その時、建物の影から茶色のもこもこが現れカメラを不思議そうに見つめた。
『あ、タヌキだ』
『ふむふむ、これはたまらないもふもふデス! 終末の世界でなんていうわがままボディなんでしょうか。今夜の晩ごはんはタヌキ汁でもいいかもしれません!』
『あはは、もういい加減食べる事から離れようか。ナビ子ちゃんにかかれば広東人が食べない机に椅子や飛行機でも食材になりそうだね』
『むう、さすがにワタシでも限度がありますよ』
誰もいない無音の街に二人の楽しそうな声が響き渡る。
少女たちはとりとめのない話をしながら廃墟の街を歩き続ける。食べられる野草などを採取し、川で釣りもして食料の調達もバッチリだ。
しばらくしてから場面が転換し晩御飯の光景になった。日没後、彼女たちは路上で焚火をして入手した川魚やキノコを焼き有意義な時間を過ごす。
澄み切った空気と人工の光を失った大地により、夜空に光り輝く星々は本来の輝きを取り戻していた。
そんなどこまでも孤独な世界で、ショートカットの少女は倒れた電信柱に腰掛け古ぼけたアコースティックギターを奏でる。
――あの日の記憶を僕は忘れない
――どれほど歩き続けたのだろう
――どれほど生き続けたのだろう
――旅はまだ終わらない
――そしてこの世界で生き続ける
――旅を終えてしまった君の分まで
――僕はこの物語を紡ぐんだ
――闇夜に星は瞬く
――風が静かに抱き締める
――ほらこの世界はね
――君が思っているより
――ほんの少しだけ優しいんだよ
――だから僕は歩き続ける
――どこまでも果てしないこの道を
星と月の明かりをスポットライトの代わりに、彼女はたった一人の大切な観客と終末の世界にその穏やかな音色を捧げ、すべての生きとし生けるものに安息をもたらすバラードを歌った。
――僕の隣にはもう君はいない
――悔しくて泣きたくなる日もある
――悲しくて泣きたくなる日もある
――旅はまだ終わらない
――そしてこの世界で生き続ける
――旅を終えてしまった君の分まで
――僕はこの物語を楽しもう
――目を閉じれば思い出す
――君との楽しかった日々を
――でももう十分だよ
――僕は君の笑顔に
――負けないくらいに強くなったから
――だから僕は生き続ける
――この世界が消え去るその日まで
――lu……
――もっと君と旅をしたかった
――もっと君とケンカしたかった
――もっと君と笑いたかった
――もっと、もっと、
――けどもう振り返りはしない
――強く生きていこう
――そして僕は歩きだす
――この先の未来になにが
――待っているのだろうか
――君を忘れはしない
――涙の向こうに道は続いてる
――だから僕は生き続ける
――この旅路が終わるその時まで
まるで母親が我が子に子守歌を歌うように、少女は調べに乗せて優しい言の葉を紡ぐ。
それは画面の向こう側にいた少年にも届き、その悪夢にうなされていたような表情はほんの少しだけ安らかなものに変わる。
パチ、パチ、パチ。
『ブラボーデス!』
ナビ子が惜しみない拍手を送ると、ショートカットの少女は恥ずかしそうに笑った。
そして撮影していたナビ子はカメラを固定して自分を映し、いつものようにシメの言葉に入る。
『さて、みのりさんの素敵な演奏はいかがでしたでしょうか? もしご覧になっている方がこの演奏を聞いてほんのちょっぴりでも幸せになれたら、こんなに嬉しい事はありません。気に入っていただけたら、チャンネル登録よろしくお願いしますね!』
『あはは。いるといいけどね』
その発言にみのりと呼ばれた少女は思わず苦笑いをした。
この世界はもう滅んだのだからそんな人間などいるはずがないのだ。ならばなぜ自分たちはこんな事をしているのか、という話ではあるのだけれど。
『今日の終末だらずチャンネルはここまでデス! それでは皆さん、よい終末を!』
そして彼女は――ナビ子はかつて誰かがそうしていたように、満面の笑顔でその言葉を言った。
パソコンの画面は再び歪んでしまう。そして何事もなかったかのように元の画面に戻ってしまった。
「ぐぅうう」
そんなこんなで少年はなにが起こったのかも知らないまま、いつの間にか灰色の毎日を生きる活力を与えられたのだ。
もう、この世界では言葉を交わす事も出来なくなってしまった、彼の大切な親友から。
カーテンの隙間からわずかばかりの朝日が差し込み、散らかった部屋を照らす。
「……ん」
その光によって少年は目を覚まし、愛用のゲーミングチェアにもたれ精一杯背伸びをした。
座ったまま寝たため全身の節々がかすかに痛む。けれどそれとは打って変わって心はどこか晴れやかだった。
「……………」
そして少年は気が付いた。自分がなぜかボロボロと涙を流している事に。
意味もなく無性に悲しく、同時に嬉しかった。
自分でもなぜそのような感情が湧いてしまったのか理解出来ないまま彼はパソコンの電源を落とし、しっかりと休息するためしわしわのベッドに寝転がったのだった。