始まりの世界
一週間それは――大抵の人間にとっての日にちをチャンクにしたら一区切りはそこでつくだろう――短い時間だ。
世間ではGWなどと浮かれているが俺こと九条相馬にとっては全く関係の無いことだった。
別に付き合ってる彼女がいるわけでもなければ親密な付き合いの友人もいない、それを除けば高校で過ごす17歳としての生活にそれほど特異なものは無い平凡なものだった……あの日までは。
GW初日、俺は自堕落な生活を送ろうと昼にも近い時間に起き出してきて部屋のドアを開けた……
そこには木造二階建ての住宅とは明らかに違う石造りの廊下が続いていた。
「なんだこれ? 俺は寝ぼけているのか?」
それにしては壁のさわり心地や靴を履いていないので大理石床から足に伝わる冷気は確かに本物のように思えた。
夢? なのだろうか?
夢だとしても、いや、夢だからこそ好きなように行動すればいいだろう。
そう決めると俺はその廊下……というか通路を進んでいった。
幸いなことに分岐路はなく一本道だったのでドンドンと進んでいく。
足が痛い、靴も履いていないのに木造とは違う雑な作りの床を歩いているので痛みが伝わってくる。
そしてその痛みが『これは現実だ』と告げている。
俺はその心の声を無視して、足の痛みをこらえながら歩き続けること数分、ドアのようなものに行き当たった。
ドア……だよな?
目の前にあるのは防腐処理をした木材に金属のベゼルを付けたおよそ日本家庭には似つかわしくない扉で……うん……夢だわ。
少しだけ、ほんの少しだけ俺が寝ている間に攫われたんじゃないかと考えたが……まあ普通の人さらいはこんなとこに住んでないだろう。
ドアにはノブではなく金属のリングがついておりそれを引っ張って開けるタイプのようだ。
鍵とか……俺はドアのリングに手をかけ引っ張ってみる。
ギィイ……
なんとも重苦しい音を立てながらドアが開いた、どうやら鍵はないらしい、そして少しだけ開いたドアの隙間からは光が漏れてきていた。
俺はドアを思い切り引いて全開にした、するとそこには小学生くらいの女の子が立ってこちらを見ていた……
可愛い……のではあるがどこか邪悪な感じをかもしている。
金髪碧眼でフェドラをかぶり、ローブを身につけていて体の線は見えないが少なくとも顔は整っていて綺麗なのだろう。
いかん、人間関係を絶っている手前夢だとしても異性の顔をガン見するのは心理的に抵抗感がある。
俺が周囲の様子を見てみるとそこは質素な、しかし堅実な作りをした部屋が広がっていた。
壁に目をやるとそこはちゃんと窓があり、光が差し込んでいた。
ケバケバしい電飾の光かと思ったので一安心する、そういうところはぼっちにはつらいものがあるからな。
そんな感じでキョロキョロしていると目の前の少女が口を開いた。
「あ、あの! 突然ですけどお願いを聞いてくれませんか」
おっとこの少女、どうやらグイグイ来るタイプらしい、しかし語尾に「?」がついていないような気がして、それはお願いではなく命令なのではないかと俺の直感が告げていた。
「えっと……悪いんだけど俺は誰かの願いを叶えるほど立派な人間じゃ……」
少女は少し戸惑ってから解説役をしてくれた。
「すいません! いきなりでしたね、ちょっと説明をしますね」
すると少女はいきなりとんでもないことを言い出した。
「ええと、ここはあなたの居た世界とは違う世界なんです……あなたは私が召喚しました」
おっとどうやら異世界転移らしい、いくら日本では流行だとは言えそんなベタな展開を許すわけにもいかんだろう。
「は? 冗談は顔だけにしてくれる? 異世界なんてあるわけ無いじゃん」
この少女にマウントをとろうとえらそうな口調で言う、見たとこ12,3歳くらいであろう少女を威圧しているのは端から見ると情けないことこの上ないが初対面の印象というのは重要だ、初手で相手に上をとられるとそのポジションが定位置になってしまう。
「いえ、ここはあなたの居た世界ではないですが、まあ百歩譲ってそれはいいです、でもそれを認めてくれないとあなたが困りますよ?」
少女はこっちの威嚇を全くものともせず返答をしてきた。
しかし……困る? 俺が?
「どういう意味だ? こんな夢幻に俺の順調な人生を邪魔できるとでも?」
まあ順調と言っていいかは人によるが少なくとも飢え死にするようなことはないはずだ。
「まあ話を聞いてください、まずあなたを召喚するために使った魔術ですが……」
「待て、魔術? え? なに、そんなものあるの?」
俺は狼狽する、少なくとも少し前まで居た俺の居た地球では魔法学校や魔法研究なんてものは無かった、そんなものがあったら軍事利用されてガンガン発展する技術だ。
「魔法はありますよ? えい!『フレイムビット』」
少女がそう口走ると小さな炎を球が指先に出来た。
見たところ炎のようだ、少なくともCGには見えない。
「どうぞ、触ってみてください、熱いのでやけどしないでくださいね?」
俺は恐る恐る手を出して炎に触れてみる。
ジリジリと肌に焼けるような痛みが走った……これは炎だ、認めよう。
「確かに魔法のようには見えるがトリックじゃないのか?」
「わざわざそんなことしませんよ、これは初等魔法なのでトリックを使う方がよっぽど手間です」
え? 異世界転移? マジで?
俺は自宅のことを考えてみる、これは夢? これが夢?
俺が軽いパニックを起こしていると少女はようやく自己紹介を始めた。
「私はナル、魔法使いの初心者です」
俺はどう答えたものか逡巡し別に少女に害意はなさそうなので自己紹介する。
「俺は九条相馬だ、この非常識をなんとか出来ないのか?」
どう考えてもこの状況はマズい、現代日本なら社会福祉におんぶだっこで死なない程度の生活はできる、異世界なら命の保証はどこにもない。
「クジョーソーマさんですか、またえらく長い名前ですね」
先ほどのやりとりで気づいたがどうやらこの世界にはファミリーネームの概念がないようだ。
「ソーマでいい、名字は気にするな」
「ミョージ? よく分かりませんが? ソーマさんに説明しますね」
彼女は自分たちの国が魔王に滅ぼされそうなことを伝えてきた。
それはよくあるおとぎ話のような勧善懲悪の物語だった、違いと言えば『善』が居ないことだろう。
つまるところは魔王に襲われて大変なので助けてということらしい。
しかしである、俺はただ一介の高校生、魔王など倒せるはずもない。
いや、この手のお話定番のチートがあったりするのか?
「じゃあ何か? 俺に魔王を倒してこいと? まあいいや、転生特典は何だ?」
「転生特典? なんですかそれ?」
え? 何この子? 異世界からわざわざ召喚しといてなんのサポートもないの?
「ええっと……じゃあ俺はどうやって魔王と戦えばいいんだ?」
少女は不思議そうに答える。
「ちょっとこの爆弾もって魔王城の近くまで行くだけですよ? 大丈夫です! あなたに未練は無いはずです! ちゃんとしがらみが少ない人を選びましたから」
ええ……どうやら俺は自爆特攻用にわざわざ異世界から召喚されたらしい……
「いや、それ別に誰でもいいんじゃ……?」
俺のもっともな疑問に少女は答える。
「だってこの国の人とかにやらせたら迷惑じゃないですか? 悲しむ人がたくさん居ますよ?」
俺はいいんかい!
そう叫びたいのを押さえて俺は反論する。
「いやいや、俺にやらせるって慈悲は無いんですか……?」
「大丈夫です! ちゃんといろんな平行世界を探してその世界との依存度が低くて人望のない人が暇を持て余している時期をピンポイントで狙いましたから!」
ナチュラルにディスってくるナルに俺は頭痛を感じながら言葉を絞り出す。
「で、俺が死んだら前の世界に戻れるのか?」
「さあ? 私が魔王討伐のために呼んだので魔王が死ねばこの魔法は消えますから戻れるんじゃないでしょうか?」
「で、俺が死んだら?」
ピーピーとよく分からない口笛を吹きながらそっぽを向くナル、これ俺が死んだらそのままってパターンじゃね?
「まあ細かいことはいいじゃないですか! ほら、元の世界にも未練無いでしょ?」
「だからって死んでいいって訳じゃねえよ!」
俺は心から叫ぶ。
「おかしいですね……? ちゃんと私の鉄砲玉になるように魔方陣を描いたはずですが……」
しれっと恐ろしいこと言うナルさんに俺は心底恐怖した。
「あっ!」
「どうした?」
露骨に動揺するナル。
「あ、ここがこの線を越えるようにしないと……」
どうやら幸いなことに召喚は完全ではなかったらしい……完全だったら……うん、深く考えるのはよそう。
オッホン!
咳払いをするナル。
「私は召喚者と対等な関係を築こうと思ってたんです! そう、あなたには自由意志で魔王城に突っ込んでもらおうと……」
「だいなしだよ! 全部聞こえてるから!」
「たおーしーてくーださーいよー! 魔王くらいポンと吹き飛ばせる爆弾ですよ、十分な武器じゃないですか? 何が不満なんですか!?」
逆ギレをするナルにどうしたものかと思いながらふと気づく。
「なあ、その爆弾ってどうやって作ったんだ?」
「へっ?」
あっけにとられるナル、ただし俺が生き残るにはこれが大事だろう。
「それは……『カガク』っていう失われた技術を勉強して……」
どうやらこの少女は肝心なところを見逃しているようだった。
「なあ、召喚されたんだよな……俺。ってことは魔王城の近くにその爆弾を召喚の要領で転送すればいいんじゃ……」
「えっ!? 確かにそれなら……」
「ほら、空間魔法とかよくあるんじゃないのか? あれで転送すればわざわざ人が運ぶ必要ないだろ?」
今気づいたようだ……ええ……
「天才ですかあなた! それなら誰も死ななくて済みますね! 凄いです」
言うが早いかナルは部屋の床に魔方陣を描いていく。
円と直線の幾何学模様が描かれていき、始端と終端がぴったりくっつき……
俺が鉄砲玉として運ぶ予定だった爆弾が運んでこられて魔方陣の真ん中におかれる。
たいしたサイズではないのだが……一体どんな技術を使えばこれで仮にも城と名前がついているものを壊せるんだろう?
「なあ、お前の勉強したカガクってどんなものだ?」
興味本位で聞いてみる。
「はい! 重さとエネルギーが交換かの……ふぐっ!」
「はい分かりました、その話をするとぶち切れる面倒な奴がいるのでやめよう」
そうしてナルが本を片手に、もう一方で片手杖を掲げて唱える。
「トランスポート!」
ナルが言うと黒い球体の爆弾は光の粒子になって消えていった。
そうして少し経った後、ナルが手元に意味ありげにもってきたスイッチを押した、その途端。
ゴオオオオオン!
ここにまで通じる衝撃が伝わってきた。
地球ではどこぞの朱い旗の国で作られた爆弾の衝撃が地球を一周以上したと言うが……これは酷い……
オーバーキルもいいところだった。
「よっしゃあああああ! 敵を討ちましたよお父さん、お母さん! 私はやり遂げました」
何やら成し遂げた風で満足しているので俺は放っておいた。
「あ、そうそう!」
ナルはこちらに向き直り俺に顔を近づけ……唇が触れた瞬間に俺の体の崩壊が始まった。
体は光の粒子になり視界がぼやけていく、意識が途切れる直前に『ありがとう』という言葉が聞こえた気がした。
ベッドからずり落ちて俺は目が覚める。
変な夢……だったな。
たまにはこんな夢があるのだろう。
そんなことを思いながらキッチンに歩いていく途中、妙に足の裏に覚えのある痛みを感じるのだった。