序章
序章
その日、長い陣痛の後、女は一人の赤子を産んだ。
だが、子どもには右足の先端が無く、左腕は半分が存在しない子であった。
男は女に言った。
「この子はだめだ。足も腕もまともじゃない。強い戦士にはなれない。」
「どうか、お許しください。大切な子どもなのです。あなたと私の。」
男は聞いていない様子だった。悲痛な女の声は男に届かなかったらしい。
「この子は谷行きだ。」
「そんな」
女は止めようとするが、男は生まれたての弱々しい赤子を従者に手渡した。
従者は内心戸惑った。だが、男は、これも母と子どものためと思い、振り切った。
この国は強者で無ければ生きられない。どうせ苦しむのであれば、早く楽にしてやった方がいい。
そして赤子を抱いて外へ出た。谷へ子どもを捨てに行くのだ。
女の悲痛な鳴き声が聞こえたが、従者はそのまま行ってしまった。
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従者は谷の上から底をのぞき込んでみた。
下の方は真っ暗で底などないように見えた。
ここに赤子を投げれば、すべてが終わる。
次に生まれてくるときは、五体をそろえて生まれてくるか、この国では無い場所で生を受けるんだぞ、と従者は声に出さず子どもへ語りかけた。
と、そのときに。
男の声が聞こえたのだろうか、赤子が大声で泣いたのだ。
男はうろたえた。これでは野鳥が寄ってくる。自分たちに向かってきてもおかしくは無い。
この谷にすむ野鳥というのは、肉食の生き物たちで、小さな動物たちや人の死骸を食らって生きる。時には生きた人さえ食うし、小さな赤子など格好の餌食だ。
すぐに捨てて帰ろうと思ったとき、背後に人がいる気配を感じ振り返った。
「おい、おまえ。」
男か女かわからない、中性的な声がした。
振り返るとそこには、布のフード付きの上着をまとった、世捨て人の風貌をした者が立っていた。
「それ、捨てるのか?」
それというのは赤子の事だろう。ここに来ることがどういうことか、わからないわけでもあるまい。従者は「ああ」と言ってうなずいた。
「そいつをよこしてくれないか。」
男は驚いた。まもなく捨てられようとしているこの赤子を、こいつはいったいどうしようというのか。
「何、ただとは言わないさ。」
言って、銀に光る何かが従者の足下に投げられた。銀貨だ。1枚で一月生活ができるほどだが、それが数枚、足下に転がっていた。
「口止め料も含めてやるよ。おまえは谷に赤子を捨てた。こっちも他言はしない。」
「いいのか?本当に。」
「何、かまわないさ。ちょうど、赤子がほしかったからね。」
従者は急いで銀貨を拾い、世捨て人へ赤子を渡した。
「おーよしよし、元気のいい子どもじゃ無いか。ただで死ぬのはもったいないね。」
明るい声色で赤子を抱くのを見て、従者はひどい罪悪感に見舞われた。自分は大罪を犯したのでは無いか、という気がしたのだ。
「いったい、その子をどうするんだ?」
思わず聞いていた。すると、世捨て人は従者を見てこういった。
「無論、幸せに暮らすのさ。一緒にね。」
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その日中に、従者は男に子どもを捨てたと報告した。男はうなずき、女はさらに鳴き声が強まった。だが、従者の心は晴れなかった。ポケットに入れた銀貨がとても重い物のように感じた。家路についた後も、頭の中にはずっと二人の残像が残っていた。
あのものはいったい何者なのだろう。赤子をいったいどうするのか、考え始めたら眠れなくなった。夜に街の外へ出れば、危険な動物や魔獣がおそってくることがある。そんなことはわかっている。だが、自分も誇り高い戦士の一人。獣への恐れよりも、二人への興味が勝ってしまった。
従者は再び谷へとやってきた。
世捨て人と会った場所の辺りを見回すと、少し離れた場所に炎がともっている様子が見えた。きっとあの者が野営をしているのだろう。従者は静かに近づくことにした。
しかし普通よりも炎の数が多いことに途中で気づいた。そしてその炎が円形に上げられていること、その中に世捨て人が座っているのが見えた。
そして気がついた。これが儀式であることを。
その場には得体の知れない、不気味な雰囲気が漂っていた。
世捨て人は地面に置かれた赤子に向かって何かを語りかけているようだった。だが、しばらくして両の手を上げたと思ったら、周囲を囲んでいた炎が、瞬時に消失した。
「あっ・・・」
従者は思わず声を上げた。すぐさまその声に気づき、世捨て人が振り返った。表情は見えなかったが、従者はおののいた。それほどの恐怖を戦場でも訓練でも味わったことが無かった。
とっさに逃げなくてはと思ったが、体が固まってしまい、動けなくなっていた。
「おやまぁ、見ちゃったの。おうちでゆっくりしていれば、もう少し長生きできただろうに」
そう言って左の手の平を彼に向けた。彼は気づいただろうか。瞬時に発生した風の刃で自身の体が切り刻まれて死んだことを。
赤子が声を出して泣き始めた。すると世捨て人は赤子をそっと抱いて、体をゆすった。
「やぁ、どうやら成功したみたいだね。名前はどうしようか。」
少し考えるそぶりをした後、にっこりと笑って言った。
「よし、ティフォンにしよう。ティフォン。かわいい子。」
二人の情報は隠匿され、それから18年の月日が流れる。
スパルタをイメージした物語です。
本当のスパルタではありませんので、若干設定部分が異なります。
この手の話は書いてて楽しいなぁ。