①始まりの朝
大学を中退し、ビルメンテナンスの仕事で生計を立てていた俺は、気がつけば30歳になろうとしていた。
このままではいけないと、転職を模索するがいい仕事が見つかる訳がない。
いままで生きてきた中で、まさか自分が選ぶなどと想像したこともない職業、警察官。
当たって砕けろの精神で、人生の逆転を目指す物語が始まる。
11月の肌寒い朝、田尻町には小雨が降っていた。
外はまだ暗く、空気は澄み渡っていた。人口1万人にも満たないこの街にスピーカーの音が鳴り響く。
「起床、起床6時30分起床。本日の朝礼は...グラウンドで行う。」
今日もまた、1日が始まる。
「え〜、雨降ってんじゃんかよ〜」
「自主点呼じゃねぇのかよー」
あちこちから文句が漏れる。
ここ、大阪府警察学校では朝6時30分に一斉に点呼が行われる。その際、雨天ならば廊下に整列の後、生徒から選ばれた寮長により点呼を行う。
これを自主点呼という。
晴天の場合、グラウンドに寮ごとに整列し教官立会いのもと、点呼を行う。
「教官にィーー、注目!!」
総代の号令のもと、指揮台に登った教官に一斉に頭を向ける。
「おはよう!!!」
静まり返ったグラウンドに田邊教官の声が響き渡る。
「おはよォォオーーー、ございます!!!」
700名もの生徒が声を揃え爆音で返事をする。
点呼を終え、体操を行う。
この体操は小学校などで慣れ親しんだラジオ体操ではなく、府警独自の警察体操だ。
体操を終えると寮ごとに一周500メートルのグラウンドを4周走る。 早朝からかなりのペースだ。
走り切ったら寮内の自室に戻る。
大阪府警察学校には北寮と南寮がある。
採用試験を受け、合格した者は入寮し高卒なら10ヶ月、大卒なら6ヶ月の間、この警察学校で過ごす。
携帯は取り上げられ、土日も外泊許可がなければ家には帰られない。
毎日、厳しい規律の中授業や訓練を行う。
卒業までに2割ほどの人間が厳しい学校生活に耐えられずこの場を去っていく。
生半可な覚悟ではやっていけないのだ。
朝のランニングを終え、俺は南寮3階にある自分の部屋に戻ってきた。
各寮にはひとつのフロアに10ほどの部屋があり、その中に8つの小部屋がある。
2.5畳ほどの小部屋には小さなベッドと机とロッカーがあるだけだ。
部屋の扉は引き戸になっており、閉めることは許されない。プライバシーなどないに等しいのだ。
「今日、絶対自主点呼やと思ってギリギリまで寝てました(笑)」
隣の小部屋から男の笑い声がした。
「朝宮さん、朝のランニングギリギリやったっしょ」
そう笑いながら、室内用のジャージに着替えて出てきたのは同じ303号室に住む中谷だった。
中谷は大阪出身の20歳で高校時代は野球部の気の良い奴だ。
「うるせぇ、こっちだって必死なんだよ!」
汗だくでシャツから湯気が立ち上る俺。
「さぁ、さっさと着替えて食堂いきましょ!」
中谷は優しく微笑んだ。
「あぁ、そうだな。」
まだ、小雨は降り続いている。