記憶の中の想い
第4章 記憶の中の想い
シフォンに戻ったリュウは父シェナ・リーが統括する軍本部へ足を向けた。正門から軍の建物に入るのは生まれて初めてだった。入り口でコンピュータによる認証作業を受け、中へと進む。息子といえどもおいそれと軍のトップに会えるわけではない。控え室で待つこと1時間。使いの者が現れ、別室へ案内される。そして30分。
「なんだ。まだガトーでちょろちょろしていたとは」
「父上。人間型巨大ロボットをご存じですか」
核心を無表情で切り出したリュウにシェナは苦笑する。
「知っている」
「軍がなぜ軍用にと開発しているロボットを爆発させるんです?」
リュウがコント教授のところで見た映像は実際の映像ではない。ガトーでロボット観測をしている者に見せるため作為的に流された映像だ。
「見破ったか。さすがと褒めてやろう」
「残念ながら、あの映像だけでしたら分かりませんでした。僕はたまたま自動操縦のジェットフライヤーに乗っていた。フライヤーは波動を食らって一瞬止まった。ガトーに僅かでも大気圏があったから良かったものの。ロボットを爆破したのはビーム砲じゃありません。あれはコンピュータの機能を麻痺させるオーベイ光線砲では…違いますか。実験段階のそんなものを誰が発射したんですか。父上が許可するとは到底思えませんが」
「おまえ、体調はどうなのだ」
「は? これといって何も…」
「ジェットフライヤーは止まってもICチップには何ら影響が無いのだな」
「…はあ…おそらく…」
「開発者に報告しておこう」
「父上! はぐらかさないで下さい」
シェナは厳しい表情でリュウを見つめる。
「不穏分子はゼンだけではなかった。こう言えば何かが見えるか?」
父の言葉から真っ先に浮かんだ顔はクザラ。
「オーベイ光線砲の開発そのものが彼の実績だ。それにソーマ・カーが目を付けた。息子のトーマを帝王に担ぎ出すためにな。協力すれば好きなだけ研究をさせてやるとでも言ったのであろう。実戦で試してみろと。理論上オーベイ光線をまともに食らえば電子制御されているものは制御から解放されて好き勝手なことをする。ICチップに悩む彼の渾身の研究成果だ。カーの後押しでそこへ新たな命令を組み込むことに成功してしまった」
「…自爆…ですか…」
シェナは頷く。
「ロボットに乗っているのはクザラだ。ロゾフ星系からの救難メッセージはクザラ達の工作だったと判明した。巨大ロボットをガトーの研究室から出すためのな。そしてオーベイ光線砲を搭載して事に及んでいる。実際に爆発したのは軍の大型偵察艇だ。ま、これもちょっとした手違いで阿保が私の命令に背いたのだがな」
「…阿保?」
「まあ良い。既にロボット捕獲の命令は出している。クザラの身柄を拘束するのは時間の問題だ」
「…イザラはこのことを知っているのですか?」
「おそらくな。だからあえて政府のシステムを覗きに来た」
「…そんなに前から…」
「クザラとトーマ・カーはガトーの研究院で同期だ。ともに首席を争い戦うライバルだ。だからこそ手を結び次期帝王を我が手にと計画を練ったのであろう」
リュウは一気に落ち込んだ。
イザラはどんな思いでクザラの批判をしたのだろうか。自分はそんな友の心の葛藤も見抜けずに、兄弟愛の未来永劫を誓わせた。
「伯父上もご存じと…」
「当然だ。半年ほど前、カザラが調べて欲しいと言ってきたことだ」
シェナは遠い視線で壁を睨む。
「前帝王は生まれてすぐに大病をしたラメルに子胤がないことをご存じだった。ジダン王子はご自分に体力的保証がないからと初めから帝王を辞退されていた。だからこそ、マキト王子に椎の実を託された。マキト王子とカザラと私は同期の友。このノアールのためにマキト王子を助けできる限りのことをしようと誓った仲だ。亡き王子への忠誠のためにカザラは断腸の思いで息子を告発した。物事を冷静に判断し先を見越すマー一族の長としてクザラを排除せねばとな。カザラの強さには今もって敵わぬ」
「…父上…僕は…どうすれば…」
シェナは深呼吸をするとリュウを冷ややかに見据える。
「イサヤ姫をリーの城へ連れて参れ。必ずや無傷で。良いか、おまえの命と引き替えてもだ」
リュウは父の厳しい瞳を見つめ返す。この人は父である前に上司であり、国を守る軍の総帥なのである。リュウは一軍人としての駒。国を守るための駒なのだ。
しかし父の瞳の輝きはそんな息子の生き様を誇りにこそ思え哀れとは微塵も思っていない、自信にあふれるものだ。
リュウは総帥に敬礼をして部屋を後にする。
リニアカーで家へ向かう。見慣れた町並み。長く連なる壁に門。果たしてここをもう一度通れるのだろうか。大好きな椎木の森は今も昔も変わらない。リュウは木に登り幹に座って空を見上げる。
なんの変哲もない明日が迎えられる幸せ。伯父カザラの言葉が重く胸にのしかかる。
「どいつもこいつも何故帝王になりたがる!」
リュウは拳を何度も幹に叩き付けた。爪が手のひらを傷つけるほどに。叩いている手が腫れるほどに。
血だらけの手を押さえながらリュウは屋敷へ入った。レーナが真っ先にリュウを見つけ溜息を漏らす。
「相変わらず考えなしで行動したとみえる」
消毒をして手当をする。
「…うっ…痛っ!」
「当たり前ぞ! この傷が見えぬとでも言うのか」
リュウは口を引き結びうつむいた。
レーナに一番似ている末の息子リュウ。子供の頃はその容姿から女の子と間違われたこともある。兄達を追いかけ兄達の真似をし、いつしか軍人としての精神も技術もそっくりそのまま受け継いでしまった。それでも野原が大好きで椎木が大好きで、鳥と遊び花を育てる心優しい子。誰よりも甘えん坊で笑顔の似合う優しい子。
そんな我が子が、何も知らずに平穏に育った娘に権力という魔物を教えなければならないとは。自分の命を失っても姫を守らねばならない使命を背負うとは。いつの間に凛々しくなったのか。いつの間に心を隠し黙する術を覚えたのか。レーナはリュウを抱きしめる。
「よいか。そなたも必ずや生きて帰る。約束ぞ」
「…母上…」
「そなたの命は母のものでもあることを忘れてはならない。良いな」
ノアールの三大美人と称されるそれはそれは凛とした美しい母の優しい笑顔。
リュウは静かに頷いた。
いつもと変わらない夕食。兄ふたりがリュウを小馬鹿にする。しかし、今夜のリュウにはその兄達の変わらぬ態度が痛いほど嬉しかった。
自分の兄を敵に回すイザラ。どんな気持ちで日々を過ごしているのだろうか。それに比べて自分はなんと幸せなのか。父と母と兄達へ感謝することくらいしかできないが。
その夜、リュウの部屋のドアがノックされた。
「寝てないな」
ふたりの兄が入ってくる。
「…死人のような顔だな。怖いのか?」
「…そんなことは…」
「よいか。父上はなんと言ったか知らないが、おまえが死んだら姫も死ぬんだぞ」
「…あ…」
長兄のジャンが笑う。
「やっぱり。全くあの人は言葉が足りないから。分かるか、何が何でも生き延びろ。姫とな」
「はい!」
次兄ショウが何やらポケットから取り出した。手のひらに収まるほどの筒。
「グリップを握り振り抜くとサーベルになる」
しなやかな鋭い刃が延びサーベルの姿に。スイッチを押すと元の筒に戻る。
「筒の状態でスイッチを押すとレーザーガンだ。これは今試せないがな」
「威力は」
「この壁はぶち抜ける。そしてポートセンターの金属探知器に引っかからない設計だ」
ショウはリュウに手渡す。
「ありがとうございます」
「ま、私たちふたりが仕込んだ腕だ。金でなびくような軍人はおまえの相手ではない」
リュウは肩をすくめ頷く。
「とは言え員数は約100。おまえ一人ではやはり心許ないので、ベイズへ出向けるよう父上に打診してみたよ」
「あっさり却下されたでしょ」
「まあな。目立ちすぎだとさ」
「そりゃそうですよ。僕は植物の移植研究のためにベイズへ行っているんですからね。兄上達は誰がどう見ても軍人です。基地のないベイズに入る理由がありません。イサヤ姫がベイズにいることを宣伝するようなものじゃないですか」
ジャンとショウは見合って笑い出す。ジャンがリュウの頭を撫でるように小突いた。
「生意気になったものだ」
ショウが肩をすくめる。
「馬鹿者が付かないだけで、父上と同じことを言いおるか」
「…兄上…」
両肩をふたりの兄に叩かれる。その温かさがリュウはとても嬉しかった。
ベッドに入り目を閉じる。深呼吸をすると睡魔に襲われた。
ガラス越しに差し込む朝日。鳥のさえずり。
リュウは窓を開け放ち外の空気を部屋いっぱいに入れる。清々しい空気が全身を包む。こんな目覚めは久しぶりだ。深呼吸をして空を仰ぐ。
どこまでも深く遠く続く碧い空。当たり前のように思える景色が決してそうではないことを知った。そして、この自然をこの星を守らなければならないという事態に直面していることを。
リュウは苦笑し窓から離れようとして慌てて振り返る。
「ものは試しだな」
朝食を済ませると庭に出て草をより分け土を掘り返す。
「あった。あった」
リュウが手にしているのは小さな球根。
「これで準備完了。いざ、ベイズへ」
リュウは思いっきり背伸びをして空を仰いだ。行ってきますと言うように。
イザラは生まれて初めてゼンのポートセンターへ入った。認証作業は自分の家の入り口と何ら変わりはない。しかし、地上から地下へ転送されることを考えると初体験の身としてはいささか不安がよぎる。
「我が家も転送でなきゃ入れないのにな…なんでこんなに違う気がするんだろ」
「音のせいさ」
背後から声をかけられ柄にもなくおののいたイザラ。
「そうとう緊張してるな」
今にも吹き出しそうに口元をゆがめている美形の男。
「…な…何でおまえが、こ…ここにいるんだよ!」
「失敬だな。ベイズは僕の研究の場だよ」
イザラは特大の溜息をつく。
「背筋に虫酸が走ったのはおまえのせいか」
「ガトーの人間にはちょっと馴染めないかも。ここはやたら騒々しいから」
イザラがその通りだと言わんばかりに顔をしかめる。
「シフォンもシャトルステーション以外はとても静かな星だ。当初は面食らった。イザラが落ち着かないのはそのせいだよ」
物を移動する台車の音。ポート番号を告げる残響混じりのアナウンス。大声で会話をする人々。靴音に物が落ちる音。雑多な音が氾濫している。ICチップに影響しないのが不思議なくらいだ。
「異世界へようこそ…ってとこかな」
戸惑うイザラの肩を抱きリュウは転送ポートへ向かった。
「イザラこそ、何しにここへ来たんだ?」
ベイズのポートセンターは地上以上に賑やかだ。人があふれリニアカーを待つ行列が延々とつづいている。
「…なんか言ったか?」
隣にいるリュウの声が聞き取れないほどうるさい。
「おまえは何しに来たんだ?」
「知人に会いに」
必然的に声が大きくなる。
「場所は分かっているのか?」
「ああ。居場所はチェックしてきた」
イザラはポケットからナビパネルを取り出す。覗いたリュウが肩をすくめる。
「ここなら歩いた方が早いよ」
ふたりは行列を掻き分けポートセンターを抜け出す。
道行く人もかなり多い。ぼうっとしていると肩が触れそうだ。
「…なんでこんなに人が多いんだ?」
「ベイズと他世界を結ぶ唯一の場所だからな。物も人も総てここに集まるのさ」
音に対してとても神経質なガトーの人間にとって、いくらICチップに影響がないとはいえこの騒々しさは耐えられない。脳天気に大口を開け笑いしゃべるベイズの人々を見ているとそれだけで気分が悪くなる。兄クザラのベイズ嫌いは極端で異常だと思うがベイズの人混みをいらいらしながら通り抜けている自分の精神状態は案外兄と同じなのかもしれない。
「あと2ブロック先だね」
商店が並ぶ繁華街を抜けるとさすがに静かになった。
イザラが溜息をついている。
「分かるよ。僕も始めて来た時は耳栓しようかと思った」
「不思議だな。こんな無秩序な音聞いても何ともないなんて」
「ああ。僕も感情のコントロール出来るのかと不安になったけど、なんでもない」
「やっぱり何かあるな」
リュウは肩をすくめて笑う。
「かもな」
ナビパネルが目的地に着いたことを知らせた。
リュウはその家の佇まいを見てイザラを見据える。
「どういうことだ!」
家の扉には「医師トラド」と消え入りそうな字で書かれている。
「ドールの確認だ。おまえも興味があるんじゃないか」
リュウは口をつぐむ。トラドと会うということは、総てを肯定することだ。
「今更避けられない。だったらどう向き合うかだ」
イザラの厳しい表情にリュウははっとする。
トラドは扉を開けて入ってきたふたりの青年を暫く無言で見つめていた。辛く苦しかった思いも、時間はほろ苦い思い出に変えてくれたようだ。遠い昔の友の面影を残す青年にトラドはほんのわずか笑顔を向けることができた。
「やはり、来たか」
太い声がこの時を知っていたかのように響いた。
「はじめまして。イザラ・マーです」
「リュウ・リーです」
「用件は分かっている。私はどんな罰でも素直に受ける。しかし、なにも語らぬぞ」
イザラは頷く。
「父も私が訪ねることを無駄だと言っていました。それは承知しております。お渡ししたいものがあって伺いました」
「渡したいものだと」
イザラは記録用チップを差し出す。トラドは再生した。モニターに映ったものはカザラの横で給仕をしているサクラの姿。
「未だ開発できていない自然成長するドールを、あなたは13年も前にやってのけた。本人と寸分違わない姿ですよね」
トラドはくすりと笑う。
「理論を実証することだけが科学ではない。時には冒険と遊びも必要だ。でなければ進歩はない。ガトーの石頭どもにはなかなか理解出来ぬらしいが」
「半年前にやっと干渉波の周波数を見つけました。ガトーでも音楽が楽しめる日が来ることを願っています」
「ガトーにもそんな研究者が生まれたか。カザラはさぞ喜んでいることだろう」
「いいえ」
イザラはきっぱりとトラドの言葉を遮った。
「次期帝王の座を狙う愚か者の一人は私の兄です。だからリー一族までもが動くこととなりました。イサヤ姫を旗印にしなければノアールは戦場と化します」
「帝王の座か。何時の時代にも欲しがる馬鹿が居るのだな。今の私にはなんの力もない。手助けなどできぬぞ」
イザラはそれも知っていると言わんばかりに頷く。
「はい。ただ首を縦に振って頂くだけで構いません」
イザラは満面の笑みでトラドを見つめた。トラドはその凛とした知的な顔にふっと笑みをこぼす。
「サラによく似ているな。一族のくだらぬ考えよりも未来の実を取るか」
トラドは遠い視線で左の手のひらを見つめる。
女は遊びの道具と豪語するシェナが絶対の信頼を置いていたシフォン統括本部の本部長付き副官サラ。快活で行動的な彼女を目にしたのは今からもう20年以上前になる。
トラドの父親が帝王の末弟という王家の血筋と、年が同じだったということで王子マキトとは物心付いた時からの友だった。教育院に入りマキトとサッカーに夢中になった時、リー本家の跡取りシェナと知り合う。チームの要として一緒に戦う同士として三人の友情は深まっていった。練習試合で訪れたガトー。その神秘的な景観に心を奪われ科学が好きだったことも相まって、ガトーの研究院へ進路を進めた。初めての地で不安を抱えていたトラドに手を差し伸べ、支えてくれたのが、かつてサッカーで戦った相手カザラ。トラドは科学者として研究を重ね新理論を打ち出し新発見を実証していった。その輝くばかりの才能をガトーの古参科学者達は快く思わず、何時しかトラドは異端者のレッテルを貼られてしまう。
トラドは傷心シフォンへ戻り、今一番欲しい笑顔を求めリー屋敷を訪ねた。シェナの妹サシルとけたけた笑いながら現れたのがサラだった。軍服に身を包んだ凛々しい姿とは裏腹に光り輝くような美貌が印象的だった。
サシルはトラドの疲れ切った顔を見つめ微笑む。
「トラドは決して悪くないわ。私は信じているから」
この上なく穏やかで優しく美しい笑顔にトラドは救われる。
その晩、止めるシェナの言葉も聞かず飲めもしない酒を飲み夕食のあとで人生最大の失態を演じる。精神的に落ち込んでいたことは誰もが分かっていた。しかし、アルコールがあそこまで感情のコントロールを狂わせるとは誰も思わなかった。勿論トラド本人も。
泣き叫んだあとに、手当たり次第ものを投げまくった。そして最後に手にしていたのは壁に飾られていたリー一族に伝わる宝剣。刃を握り絶叫と共に振りかざす。宝剣はトラドの左手を切り裂き弧を描いて飛んで行く。扉を突き破り隣室にいた最愛の女性サシルの背中に突き刺さりやっと止まる。
トラドの意識が戻ったのはずいぶん経ってから。体の自由がきかない。動く目だけで確かめるとベッドに縛られている。左手には包帯が巻かれ鈍い痛みがある。見上げた視界に映った顔はこれほど険しい表情があるのかと感じるほど殺気に満ちたサラの顔。
「己の選んだ道はどんなに険しくとも進むしかあるまい。その覚悟が出来もせずに己に負けるとは、なんと情けない男か。サシルが命を落とすようなことがあらば、私は一生おまえを恨む。良いか。覚えていよ」
怒りを露わにした美しい顔は血まで凍り付くような冷たさ。人間の顔が本当に恐ろしいと感じたのは後にも先にもあのときのサラの顔だけだ。
サシルは一命を取り留めた。しかし背中には隠しようのない傷が残された。トラドは一生どんなことをしてでも償うとサシルに許しを請う。
「私のことは気にしないで。あなたはあなたのやりたいことをしなければ。あなたが正しいと思うことをしなければ。それが私達の未来のために役に立つように」
意識を回復したサシルはベッドの上で静かに高貴に慈愛に満ちた微笑みをトラドに贈った。
サシルの言葉を支えにガトーに戻ったトラドは、誹謗や中傷をものともせず、自分の研究に没頭する。その底知れぬ才能にカザラの父がいち早く目を付け保護した。マー本家の後ろ盾を得たトラドはその才能を花開かせようとしていたのだが…。
サシルがラメルの側室として王家へ嫁ぐことになったという知らせが届き愕然とする。
「カザラ。どういうことだ。サシルは…サシルは君の妻になるのだとあんなに喜んでいたのに! 君だったら絶対にサシルを幸せにしてくれると…私が傷つけてしまった彼女でも君となら必ずやと。なのに、どうしてだ!」
トラドは納得がいかないとカザラに詰め寄る。
「レーナのことだけではなく、カー一族が後ろで糸を引いているらしい」
「カーが。何故?」
「サラが軍に入ったのはシェナが手を出したからだと。その報復にサシルを差し出せと」
「むちゃくちゃだ」
「分かっている。分かってはいるんだ。でも、争えはしない。そうだろう。王家の申し出だ。ラメルがどんな男か知っていても、サシルがどれほど悲しんでいても。今の僕には戦う力なんかない!」
「…カザラ…」
「王家でもせめてマキトなら…誠実なあいつにならサシルを託してもと思うが、ラメルは決して諦めはしないよな」
絶望だと言いたげなカザラの表情を暫く見つめていたトラドは左手を握りしめる。
「ダメでもともと。私が説得しよう。帝王は分からず屋じゃない。馬鹿なのはラメル」
「…何を考えているんだ…」
「これでも私は王家の一人だ」
カザラが今まで見たことのない程の気品ある凛とした笑顔を残しトラドはガトーを後にする。その後、トラドがガトーの地を踏むことは二度となかった。
トラドは帝王に直談判する。どうしてもリー家の血筋が欲しいのならマキトでなければ意味がないと。
帝王はトラドの言葉に目を見開く。
「なぜ知っている」
「ガトーで症例を見かけました。私の母はラメル王子の看護をしていたそうです。あの病気にかかった者は子を残せない」
「ガトーの科学者が煙たがる才。さすがだな。この事実。そなたの胸に秘めよ。良いな」
「お約束します。その代わり、サシルの嫁ぐ相手はマキト王子。これだけは譲れません」
「相分かった。そなたの望み叶えよう」
トラドがラメルの怒りをかったのは当然。ベイズへ連れ込まれICチップを取り出され放置された。命はあるが二度とベイズは出られない。野垂れ死にしそうだったトラドを助けてくれた医師のもとで生活し、医師の手伝いをしながら勉強をし、医師として生きて行けるだけの知識と技術を身に付け、今までひっそりと暮らしてきた。
そして、トラドの願い通りサシルはマキトの后となった。
一方、愛する者と引き裂かれ自分の無力を責めて自暴自棄になっていたカザラを、サラが一喝したのはシェナがレーナと結婚した時だった。シフォンに来ていたカザラはリーの屋敷で悶々としていた。妹のそれは美しい花嫁姿にも笑顔を見せない。そんなカザラにサラが張り手を食らわした。
「妹の幸せも祝えぬ男に女を愛する資格など無い」
カザラは面食らう。生まれて此の方女に叩かれたことなどなかったが、それ以上に、カザラを叩いたサラが何故か泣いているのだ。
「サシルの幸せを願って欲しい。彼女は本当にあなたを愛していた。あなたが彼女を本当に愛しているのなら、堂々と生きなければ。違うか」
カザラを見つめる強い光の瞳。固い意志と信念を持って己の信じた道を進む女。帝国一の美貌を誇るカー一族の姫でラメルの后となったララと瓜二つの双子の妹。その美しい顔を涙で歪ませながら大切な友の幸せを願う高貴な瞳。サラの真の優しさに触れカザラはサシルを失った悲しみを1年経った今、初めて感情として表した。サラを抱きしめカザラは泣いた。子供ように。そんなカザラをサラは何時までも温かく見守った。
イザラはトラドを見つめる。
「ミヤコはイサヤ姫ですね」
長い沈黙ののち、トラドは頭を縦に振った。
「ありがとうございます」
イザラは深々と頭を下げる。ぼうっとしているリュウの肩を促し家を出ようとする。
「イザラ。ICチップの改良を試みているそうだな」
トラドは棚からごそごそと何かを探し手に握りしめてイザラの前に立つ。傷が深く刻まれた左手に乗っていたのは3個のICチップ。覗いたリュウが溜息を漏らす。
「全くあの人は…」
「ここへ運ぶのは苦労したらしいが、シェナに不可能という言葉はない。昔からな」
肩をすくめるリュウ。
「時間がないのなら無理にとは言わぬが」
「…お知恵を拝借しても良いんですか?」
「カザラには返しきれぬほどの恩がある。私の知識で良ければいくらでも利用するが良い」「ありがとうございます。では1か月。お世話になります」
トラドはノアールの明るい未来が垣間見えたようで小さく微笑んだ。
「リュウ。後はおまえの役目だぞ。しっかりな」
「…イザラ…ずるいぞ。結局、僕がミヤコに告知するんじゃないか」
ICチップを見つめほくほく顔のイザラにリュウは特大の溜息をつく。
「まだまだ人間観察が甘いな」
トラドは静かに笑った。
「あの子は生みの親がいることを知っている」
「えー!」
「帝王の血筋だと話しても、さほど驚きはしまい。興味などないからな」
リュウは肩をすくめる。ミヤコには権力も地位も不要のものだ。そんなものがいくらあっても好奇心や探求心を満たしてはくれない。
「だからこそ、大切に育ててやりたかった。心の赴くまま探求心だけを大切に生きて欲しいとな。ラメル…いや、権力だけが生き甲斐のカー一族は1年も待てなかったようだが」
トラドの言葉にリュウは目を見張る。トラドはリュウを見つめ口元を緩ませた。
「リー本家の秘蔵っ子。シェナ直属の隠密工作軍人が植物移植だけでベイズに来るとは、裏を知る者ならば誰も思わぬ。シェナもそこは甘かったな。さすがにまだ、探し出してはおらぬ。くだらぬ流行も幸いしたようでな」
「…流行って…ベイズで教育を。ですか?」
「純正とは少々異なるが、栗色の髪にグリーンの瞳を念のためにと増やしておいた」
飄々と語るトラド。
増やした? リュウとイザラは顔を見合わせた。トラドが取りあげた赤ん坊に細工をしたのであろう。ガトーでその才能を妬まれるほど優秀だったトラド。医者としての知識や技術も卓越したもののはず。そんな超一流の科学技術者で医師のトラドにとって色素の遺伝子をいじることなど朝飯前。一歩間違えればやはり恐ろしい人物だ。ガトーの古狸科学者の選択はあながち誤りではなかったのかもしれないとリュウもイザラも心の中で頷いた。
「リュウ。ミヤコを帝王に据えること反対はしない。しかし、あの子の望むことは叶えてやって欲しい。そして、あの笑顔を決して奪ってくれるな。親友の許嫁を娶らねばならなかったマキト。サシル同様マキトも心を痛めた。あのふたりは婚姻の手続きを取ったが床を共にしなかった。マキトはサシルを大切に扱った。壊れ物のようにな。サシルもマキトが手すら触れぬことに心を打たれた。心傷ついた者同士が時を費やしてお互いの心の傷を少しずつ癒していった。ふたりにとって何よりも嬉しかったのはカザラが父親になり幸せに暮らしていること。そして10年。お互いの悲しみをお互いの思いやりに変えふたりはやっと名実共に夫婦になれた。その掛け替えのない愛の証がイサヤ姫だ。シェナもカザラもそしてこの私もイサヤの誕生をどんなに喜んだか。その喜びも長くは続かなかったが」
トラドは左手を力の限り握り込む。
「イサヤの幸せだけは誰にも邪魔させぬ。それが遺された者の使命だ」
年のわりには顔に刻まれた皺のせいで老けて見える。それは、トラドが歩んできた道の険しさを物語っている。しかし、一点を見据え己の信念を語る姿は帝王の血を引く威厳を湛えていた。
「…リー総帥にうちの親父殿。そして先生にまで守られている子か…会ってみたくなったな…イサヤ姫…ミヤコに」
イザラがリュウを見やり笑う。
「これからか?」
「リュウ。リニアカーなら裏にあるぞ」
出かけてこいと言わんばかりのトラドの態度。リュウは肩をすくめると渋々頷いた。
イザラを乗せリニアカーで20分あまり。ベイズの外れにある教育院へ到着する。
「結構、良いところだな」
イザラは設備や建物を観察して頷いている。
「相当金をかけている。ベイズは豊かな商業都市だ。今までの偏見が変わるよ」
「ガトーは別として、これだったら、こぞって子供を送り込むわけだ」
「集中力の件もあるからね」
歩くこと30分。校庭に辿り着く。隅に並べられたプランター。夕闇の採光の中、プランターを見つめている少女がいた。
「あの子か?」
「ああ」
ふたりはそっとミヤコに近づいた。
リュウがミヤコの背中に「ただいま」と声をかけようとした時。
「リュウの馬鹿!」
先手を打たれリュウは咄嗟に頭に浮かんだ言葉を口にした。
「…ごめん」
ミヤコは振り返りもせずに宿舎へ走り去った。
「完全に嫌われたな」
イザラが肘でリュウの脇腹を小突く。
「…えっ? 僕…何か嫌われることしたのか?」
イザラは呆れ果てる。この見目麗しい遊び人はなんと鈍感な奴なのか。女がちやほやするから本当の愛情を知らないのかもしれない。
「馬鹿。やましいことがなければ謝ったりしないのが普通だ」
苦笑しながらイザラはプランターに歩み寄る。
「…植物か…確かこれは叔母様が好きなガーベラだっけ。もう少しで咲くんだよな」
土を触り嬉しそうにリュウは頷く。
「ああ。2、3日で開くよ。ミヤコは完璧に水やりをしたってことだな」
隣のプランターは枯れてはいないが元気がない。蕾のある苗を移植したもの。その更に隣はほとんど枯れている。花の付いた苗を持ってきたもの。やはりシフォンで成長させたものはこちらの環境には適合しないようだ。花でこれなのだから樹木では根を下ろす前にダメになる。やはり時間はかかるが実から発芽させなければ椎木は育たないだろう。
「ミヤコは緑の手を持っていた。嬉しいね」
リュウはガーベラの蕾をぽんと触って揺らす。
「なんだそれ?」
「植物を育てられる手のことだよ。これって才能でね。だれでも育てられる訳じゃない」
「じゃあ、おまえも緑の手を持ってるってことか? あの気の遠くなるような屋敷の植物おまえが育ててるんだろう?」
リュウは肩をすくめる。
「ま、そうだけど、僕の場合は本当に緑の手かな」
リュウは自分の手のひらを見つめる。
「人の生き血で染められた手だからな」
イザラはリュウの肩を抱く。
「馬鹿」
何時になく温かい瞳でイザラはリュウに微笑んだ。
翌日の夕方、イザラは図書館にいた。司書のラートンと雑談をしているとミヤコがはいってくる。イザラに会釈をするとラートンに微笑んだ。
「先生。遺伝子情報の配列が載ってる本。どこにあります?」
「なに。今日の講義は遺伝子だったの?」
ミヤコは瞳を輝かせながら講義の話と自分が疑問に思ったことをラートンに伝える。
「…感情を司る遺伝子か…」
イザラはミヤコに微笑む。
「本の方がよい? 俺が教えようか?」
「…えっ?」
ラートンはくすりと笑う。
「こちら、イザラさん。ガトーの研究院の院生さんだよ」
「あの…教えてもらっても良いんですか?」
イザラは優しく微笑んだ。
ミヤコは満面に笑みを浮かべ全身で喜びを表現するかのように丁寧に頭を下げる。
「ありがとうございます」
イザラの説明をじっと聞くミヤコ。時々「あの…」と質問を入れる。その鋭い指摘にイザラは当初驚いたが、噛み砕いて話を進めると大きく頷き理解出来るようだ。その吸収力たるや並大抵の頭脳ではない。イザラの知識は研究院で得たもの。教員院でここまでの話を理解する者も珍しいだろうが、そんな疑問を抱くミヤコの探求心にはやはり目を見張るものがある。1時間近くのイザラの講義を完全に自分のものにした。
ミヤコは再度丁寧にお辞儀をする。
「じゃ、おさらいのためにこの本を読んでみると良いよ」
イザラは書棚へミヤコを連れて行き2冊本を手渡す。
「…あの…」
「ん?」
「ここにはいつまでいらっしゃるんですか?」
「…ああ…1か月くらいかな」
ミヤコはうつむく。
「ごめんなさい」
「えっ? なに謝ってるの」
「だって、私のくだらない質問につきあって下さって。本当は大事なお仕事あったんですよね」
イザラはミヤコの肩を抱くと顔をのぞき込む。
「教え甲斐のある生徒だよ。やらなきゃならないことはあるんだけど、君に教えるんだったら大歓迎かな」
「本当ですか!」
「ああ。今日は町に宿取っちゃったけど、あとでここの宿舎借りる申請しようかな」
「明日、レーザー工学の講義があって…私苦手で。また、質問しても良いですか?」
「じゃあ、図書館で待ってるよ」
「はい。頑張って講義聴いて質問します」
ミヤコは笑顔を残し図書館を出て行った。
「イザラさん。良いんですか、あの子のおもりなんかしてて」
「なんか不思議な子ですね」
「あの瞳でしょう。吸い込まれそうなほど澄んだ純粋な輝きだ。あの瞳で見つめられるとね、いやとは言えないんですよ」
ラートンは年甲斐もなく照れ笑いをする。
母親の血をたいして受け継げなかったことをドールのサクラを見た時には、かわいそうにと感じたが、ミヤコは別の意味でとても美しい。話をする相手を真っ直ぐに見つめる瞳はダイヤモンド以上に綺麗に輝いている。物事を正面から見、一つ一つ自分のものにして行く賢さ。天才ではないが努力を確実に自分の実力に換えられる超一流の秀才だ。好奇心と探求心が創り出す笑顔は内から輝く美しさ。それはどんな見栄えの良い女性よりも魅力的に見える。リュウならずともあの深いグリーンの瞳は男心を揺さぶる異端の輝き。
「…まずいな…」
1時間話しをしただけのミヤコなのだが、とても印象深く心に残る。そしてリュウよろしく、あの子を担ぎ出すことが本当によいことなのかと自問自答している自分が居る。
イザラはトラドの家から教員院の宿舎へ寝る場所を移すことにした。
翌日ミヤコは約束通り図書館へやって来て、イザラに質問をしまくった。昨日以上にイザラは知ることを教える。
「ありがとうございました。ちょっとだけ自信付きました」
「その調子。なんでもきっかけだからね」
「はい!」
ミヤコは図書館を飛ぶように出て行く。
イザラが食堂で夕飯を食べているとリュウに肩を叩かれる。
「なんでおまえがここに居るの?」
「ちょっとな、先生をしててね」
「…先生?」
暫く考えていたリュウが肩をすくめる。
「女になんぞ絶対に教えないおまえが珍しいことで」
「出来の良い生徒に教えるのは楽しいよ」
「…これだ。ミヤコに油断するなと忠告しなくちゃな。見かけによらず手が早いから」
「おまえに言われたくないね」
そこへミヤコが不思議そうな顔をして近づいてきた。
「…イザラさんとリュウは知り合いなの?」
リュウはミヤコを手招きして呼ぶ。
「サッカーのライバル。こいつね、ガトーの第1教育院で名選手だったんだよ」
ミヤコの瞳が輝く。
「明日、イザラも練習に参加させるよ」
「わっ。また、ロイカが大喜びするわ」
ミヤコはふたりに頭を下げて宿舎へ帰っていった。
「…なんだよ勝手に」
「たまには体を動かせよ。気持ちよいから」
放課後、学生で賑わう校庭。サッカーコートにリュウとイザラがやって来る。
リュウは筋肉質のがっちりした体格で何でもこなすスポーツマンタイプ。イザラは華奢とは言わないが、メガネをかけた知的な整った顔のせいもあってか、スポーツができるという雰囲気ではない。体型もリュウに比べるとやはり見劣りする。しかし、ボールを扱いはじめると違った。鮮やかな足捌きでゴールを決める。
「ミヤコの知り合いって凄いじゃん」
ロイカはまたしても有名人に会えて大喜びだ。
「2週間後にシフォンの第3教育院と試合するんだったよね」
リュウがロイカに確認する。
「はい。手強いと聞いてます」
「第3教育院てトーマの弟がキャプテンやってるぞ」
イザラの言葉にリュウが頷く。
「ミヤコを試合には出さない。イザラ、一緒にこのチームをちょっと鍛えて欲しいんだよ」
「…ちょっと待った。ミヤコを出さないって…ミヤコ選手なのか?」
「見ててみろよ」
リュウはチームを二つに分けて試合をさせた。運動神経が抜群なのは動きを見ればすぐに分かる。男を相手に鮮やかにボールを奪いゴールへ向かって走り抜ける。そのはつらつとした姿。右足がボールを見事に蹴り上げる。
「…嘘だろ…」
イザラはミヤコの高々と掲げられた右足の太ももを見つめ言葉を失う。
「普通なら目に触れないはずなんだよ。だけどミヤコは惜しげもなく披露してしまう。危険すぎるよ」
「リュウ。おまえにもな」
「…はあ?」
「女の太ももなんて見飽きてるはずだろ。なのに食い入るように見つめてるぞ」
リュウは苦笑する。
「クローバーの痣は見慣れているけど女の人の肌に浮いているのを見るのは初めてだからね。それこと血が騒ぐって感じ」
「阿呆! おまえが一番危険だ!」
リュウはイザラに思いっきり殴られた。