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ノアールの風 その1  作者: 家作 文
3/5

異変

第3章 異変

 大きな食堂にはすでに料理が並んでいた。

「久しぶりですね」

 品のあるオフホワイトのドレスに身を包んだ高貴なオーラを放つ女性がゆっくりとリュウに歩み寄った。優雅に微笑む女性はこの屋敷の本当の主かもしれないと思えるほどの威厳を持っている。リュウはカザラの妻サラに丁寧に頭を下げた。

「ご無沙汰いたしております」

「レーナはお元気か?」

「はい。相も変わらず父を尻に敷いております」

「良いこと、良いこと。さ、一緒に」

 席に着きなさいと片手を差し出す優美な姿は母と同じ年だと分かっていても頬が火照るほど魅惑に満ちている。叔母サシルと並び称されるノアールの三大美人の一人である現帝王の王妃ララと双子であるサラの美しさは全く年齢を感じさせない。同じ美貌の持ち主でありながらサラが三大美人に入らない理由は、若かりし頃、軍隊に所属していたという、カー一族の姫としては異例の経歴を持つ、男以上に剛毅な性格のためといわれている。

この世論というものは大して当てにはならないとリュウはいつも感じている。サラはとても穏やかな人物で剛毅な性格は自分の母の方だ。軍の総帥を拝命する父を顎で使い子供達にも使用人にも大きな声で怒鳴り散らす。なぜあの母が三大美人の一人なのか。不思議でたまらない。

 ぼうっとしていると肩を叩かれた。

「いつから年増好みになったんだ」

 イザラがすぐ横に立っていた。

「おまえ。母親と同い年のばあさんにも手を出すのか」

 イザラの兄、マー家の跡取りとなる一つ年上のクザラが呆れ顔で食堂に入ってきた。イザラとは違い母親の血をあまり受け継がなかったのか、見目は決して良いとは言えない。しかし、カザラの若い頃を連想させる精悍で才は総て我に有りという自信を満面に漂わせている堂々とした表情。ガトーの研究院で頭脳の明晰さと技術力で右に出る者がいない秀才である。

「…ふたりして…」

 返す言葉を探していると華やかな空気が食堂に飛び込んでくる。

「…わっ! リュウが来ているの?」

「知らなかったわ! 私、着替えてこようかしら」

 マー家のお姫様、ミーナとカーラがリュウの姿を見て食堂の入り口で足を止める。このふたりは母親の血をたっぷりと受け継ぎノアールの新三大美人と称されている。

 リュウは二人に会釈をする。

「そのままで充分素敵なレディーですよ」

 リュウはにっこり微笑む。ふたりは顔を見合わせくすくす笑うと席に着く。

「女をあしらうのは相変わらずさすがだな」

 イザラが耳元で呟いた。

 にぎやかな食事を済ませるとイザラがリュウを自分の部屋へ誘う。

「…お前も相変わらずだな」

「適当に座ってくれ」

 座りたくともそんなスペースはどこにもない。研究室かと思えるほど大きなテーブルに色々な機材が乗りいくつもモニターが動いている。部屋中に書類やら工具やら機材やらが散乱し足の踏み場もない。

 リュウは椅子を探し出す。上に乗っている箱をどけようと手にし、中身にぎょっとする。

「…おい…これ!」

「内緒…と言っても親父殿は知っている」

「どうする気だよ。こんなもの」

 イザラは真っ暗になった外を見つめる。

「…確かに存在確認は重要なことだと思う。帝王一族も含め各豪族の長が行方不明になった過去の事件も知っている。個人データを管理することは犯罪防止や治安のためには必要だろうし…だが今のシステムはかなり昔のものだ。改良する余地はある。それに、こいつが発する微弱電波がどうも俺には合わない。ガトーの人間にとってICチップに慣れるのはかなりの苦痛なんだ」

「…ICチップに慣れる?」

「特異な環境にあるこの星では微弱電波も体に悪さをするのさ。まずは高熱を発し苦しむ。生まれて間もない子供がだぞ。下手をすると命を落とす。次が手足の痙攣。これを制御するのに2年くらいかかる。最後は頭痛。この症状には個人差があるがほとんどの人が一生つきあうことになる」

「…知らなかった」

「そうだろう。ガトーの人間は誰一人としてICチップのせいだとは思っていない」

「…それじゃあ…シフォンに来て気づいたと」

「ああ。政府のコンピュータシステムのチェックと研究で俺がシフォンに居たのは半年。自分でも初め何が違うのか解らなかった。大地の美しさ空気の美味しさ、その違いが爽やかさなのだと疑わなかったしな」

 リュウは昼間カザラが口にした言葉を思い出した。

「…伯父上も知っていると…」

 イザラは頷く。

「我慢強いガトーの人々も300年経ってやっと気づき始めた。だから、金持ちと権力を手にした奴はシフォンへ移っているんだよ」

 リュウはイザラの隣に立って真っ暗な外を見つめた。

「まさか…マー一族までもが反旗を翻すと…」

 イザラは肩をすくめる。

「さあな。だが、ICチップで苦しんだ歴史は根が深い。ガトーの生後間もない子供の生存率は未だにシフォンの3分の2だ。どれほどの親が苦しみ悲しみを乗り越えてきたか。統一された電波だとはいえ、明らかにガトーの環境には適合しない。この星で音が無いのはそのせいなんだぞ」

「…音…」

 イザラが小さく頷いた。

 1年ほど前、ガトーを出て長期にシフォンで滞在したイザラは、体調の良さに首をひねった。空気の成分、湿度や気温は完璧なほどコントロールされているガトーの都市。何がこんなにも違うのか。

 教育院時代、サッカーに勤しんだイザラは何度となく戦った宿敵の家へ向かった。「家」と言えるような広さではない。帝王の居城と遜色ない規模と品格。それもそのはず、リー一族は今こそ軍を司る一族だが、このノアールを統一した初代帝王の末裔だ。父の妹が嫁いでいるので親戚ということになるが、この家の三男リュウとはサッカー仲間としても仲が良い。

「仕事兼研究の進み具合は?」

 リュウは従兄弟を温かく出迎えた。

「こっちに来て2週間。すっごく快適。頭の重いのも嘘のように取れてる」

「そうか。良かった。父上が推薦した甲斐有りだな。政府の宿舎は結構機械的だろ。母上が是非こっちに住んで欲しいって、手続きしたらしいよ」

 マー一族の姫君で気位の高さは帝王の王妃以上。頭脳はすこぶる優秀で才女と言われているのだがわがままも超一級。近寄りがたいまでの取り澄ました美しさは男の雄の本能を掻き立てるものでノアールの三大美人と称されているレーナ。

「少し見ぬ間に大きくなったものよ」

 涼やかに微笑むレーナの笑顔はやはりとても美しい。叔母でなければ自分になど笑顔は見せてはくれないだろうと思えてしまう。

「これから、お世話になります」

 丁寧に頭を下げたイザラ。

「遠慮はせずに。なんなりと家の者に言いなさい」

 イザラは畏まって頷いた。

「母上。そんな顔して威圧しないでください。ものなんか頼めませんよ」

 レーナは頬を目尻を両手で包むように触り筋肉をほぐすような仕草をした。

「僕の部屋にお茶運ばせて下さい。イザラ。行こう」

 イザラは自分の肩を抱き歩くリュウを見つめた。ノアール一強い女レーナをあっさりあしらえるのはリュウぐらいのものだろう。

 その晩、リー邸に楽団が訪れた。食後のひとときのくつろぎにと。イザラは飛び上がって遠慮する。部屋を出ようとしたイザラの手をレーナが捕まえた。

「座りなさい」

 美しいが厳しい眼差しで見つめられイザラは抵抗の術を無くし頷く。まるで操られているかのようにソファーに座ったイザラの耳元でレーナは呟く。

「この星にいる限り音は害を及ぼさない」

 驚いているイザラに微笑むレーナ。

 レーナの言葉通り、弦の音が鳴り響いてもICチップはなにも反応しない。イザラは信じられなかった。研究者として自分を実験台に波長のデータを取り続けているイザラ。弦楽器特にバイオリンが紡ぎ出す音は聞くだけで気分が悪くなり1オクターブ上のEの音が耳にはいると思考回路が停止する。F以上の高音に見舞われると割れるような頭痛に絶叫する。1オクターブ下のAの音は脱力感を。G以下の音になると息苦しくなり生態機能が停止する感覚にとらわれ気絶する。だからこそ、ガトーでは音楽を一切流さない。弦の音は体調に及ぼす影響が顕著だが、音波そのものがガトーの人間には合わない。それはガトー星の人間の持って生まれた特徴だと教えられる。しかし、レーナの言葉と微笑みはガトーの常識を覆すものだ。

 生まれて初めて聴いた音楽。当初は体の変化にびくつきながら身構えていた。しかし回を重ねるごとに心地良いものだと感じた。

 半年後。シフォンを離れるイザラをレーナが自室に呼んだ。

「今日、ガトーへ帰るそうだが」

「はい。本当にお世話になりました」

「体調はどうだ」

「至って快適です」

 レーナは悲しそうにイザラを見つめた。

「やはりそのようだな」

 レーナは甥の両肩に手をかけ顔を見つめる。

「そなたはとても利発で努力家だと聞いている。改善策を考えなさい。さもなくば、ガトーは死んだ星となってしまう」

「…どういうことですか?」

「星へ戻れば解る。我らに非はない。元凶は総てシステムよ。人間が造りだしたものであれば必ずや解決策はある。私は信じているゆえな」

 この上なく美しく微笑んだレーナはカプセルを2個手のひらに乗せてくれた。

「シャトルに乗る前に飲みなさい。一日は快適に過ごせよう。もう一錠は資料として」

「…資料…」

 レーナは静かに頷いた。あまりにも美しく険しい笑顔。そのきつく結ばれた口元に何かが隠されていることをイザラは感じ取った。

「…また遊びに来ます…」

 レーナは首を横に振る。

「いいや、シフォンに来てはならぬ」

 驚くイザラにレーナは先程とは全く違う温かい笑みを見せる。

「さ、時間に遅れぬように」

 追い立てられるようにリー屋敷を後にした。

 ガトーへ帰ってきた翌日から、頭の重さが以前の二倍になった。食器が触れ合う些細な音にもチップが反応し強烈な頭痛に襲われ死ぬような苦しみを味わった。シフォンでの快適な体調は一体なんだったのか。

 イザラは兄クザラにレーナからもらったカプセルの分析を頼む。

 二日後。クザラは大笑いをしながらイザラの部屋の戸を開けた。

「誰から貰ったものだかしらないが、とんでもない成分が検出されたぞ」

「とんでもない成分?」

「神経を麻痺させるものだ。それも音に関する中枢神経だけをな。これを飲んでいればガトーに居ても音にびくつく心配はない。オーケストラの真っ直中に居てもな。しかし、5日も常用すれば一生音を感じなくなるほど作用のきついものだ」

「…一生…」

「そしてもう一つ。大量のホルモンが含まれてる。自律神経を強制的に安定させる作用があるものだ」

 イザラは笑い出した。

「それさ、レーナ叔母様がくれたんだよ。資料としてと微笑んで」

「…資料…」

 イザラはシフォンでの生活を掻い摘んで説明した。音に関するものは詳しく。

「システムってICチップのことだな。やっぱりガトーの環境には適合していないってことだ。故意か、作為か、戦略か。データを突きつければ叩けるかもしれんな」

 クザラの瞳が不気味に輝く。

「兄さん。俺は事を荒立てる気はないよ。快適に過ごせればそれで良いし、ガトーの大地は我々だけではなく近隣の星系も欲しがる貴重な財産だ。ここを放棄することの方が一大事だと思う。マーの一族で居城をここに残しているのはうちだけになった。叔母様はそのことを心配している。昔何かで読んだことがあるんだが、干渉波を出せば微弱電波を消せると。そこまで大っぴらにやってしまうとまずいだろうけど、少しでも快適な生活をおくれるような改善はしたい。マー一族はこの大地と共に生きてきたんだ。俺はそのことを誇りに思っているし、それは後世にも受け継いで欲しいから」

 母と同じような優しい笑みをたたえる弟を見やりクザラは溜息をつく。

「こわ。おまえがそんな風に笑うときは、とてつもなく恐ろしいことを考えている時だ」

「…なんか、凄い言われようだな。あながち否定しないけど」

「何が目的だ」

「チップを手に入れて改良するのさ」

「…はあ?」

 クザラは自分の耳を疑った。ICチップはシフォンの政府の地下工場でナンバリングをされ厳重な監視下製造されている。ICチップの製造に関わった人間は職を解かれる時、総ての記憶を消去させられる徹底ぶりだ。一生遊んで暮らせる金銭と引き替えに。  

「そんなことは絶対に無理だ」

 イザラはくすりと笑った。

「俺が目的もなしに政府のコンピュータシステムを覗いて来たと思ってるのか?」

 自分以上の策略家。敵に回すと厄介だなとクザラは弟の笑顔に背筋を凍らせた。


 イザラはリュウの腕を捕まえ一つのモニターの前へ連れてくる。

「これが政府のメインシステム。ちょっと操作をしてやれば5日後には1個ぐらいならチップが手に入るというわけだ」

 リュウは言葉を失った。

「ま、俺はおまえみたいにお人好しでもおぼっちゃまでもないのさ。歴としたマー一族の一員。強かって…えっ!」

 イザラは慌てて言葉を切りリュウを見つめる。

「な…なんでおまえがICチップの原型を知ってるんだ!」

 リュウは肩をすくめた。箱をどけた椅子に座ると天井を仰ぐ。

「僕も単なる研究院の院生じゃないよ」

「…あ…」

「穏やかに見えて父上は恐ろしい人だ。恐らく、あの人にはできないことなんてないのかも。ICチップのことは誰もが疑問を抱きながら、過去の惨事を繰り返さぬ為と納得させられてきた。微弱電波はガトーだけではなくシフォンの人間にも感情の面で悪さをしている」

「…感情?」

「そうなんだ。自分ではコントロール出来ない喜怒哀楽が発作のように表れる。子供の頃は特に。だから親は子供とどうやって接して良いのか戸惑ってしまう。子供の生存率は確かに良いよ。でも、優秀な人材はなかなか育たない。そうだろう、突然笑い出す、泣き出す、怒り出す。そんな人間にじっくり物事を考える能力は身に付かない。だからシフォン出身の人間が政府にも研究の分野にも居ないんだと思う」

「ちょっと待てよ。じゃあベイズは…」

 リュウはくすくす笑う。

「ロン・ウーは本当に大物だった。マー一族が遠ざけたのも解るかな。いや、ベイズを造ったマー一族には何か別の目的があったのかも」

「…まさか、何か埋まっているというのは…」

「真実かどうかは分からないよ。でもね、確かに落ち着く。いや、不思議なくらいに集中出来る。15才まで脇目も振らずに勉強してみろ。余程の馬鹿でない限り優秀になる。15才は生物学的にも大人だ。だから微弱電波にも影響されない。それがウー一族の戦略だったとするならば、帝王として祭り上げた血が絶える今、何が起こるかだよ。父上は政府内部に密偵を送り込んでいる。ま、おまえの行動も視野の内だったと思うけど」

 イザラは絶句した。

「管理システムは大切だと思う。でも方法を間違えればとても危険だ。ウー一族が牛耳る今の体制を何とかしなければと思っていたのだろう。その手始めにICチップの管理体制を揺さぶる工作をした。今から半年前かな父上の手元に3個届いた。見せてもらったのさ」

 イザラは蒼白になった。

「…それって俺が手筈を整えた。本当は5個送られてくるはずだったのに3個紛失したと知らせが届いた。綿密に計画を立ててあったので、どこでどう狂ったのか、血眼になって確認したが結局分からなかった。リー総帥が糸を引いていたとは…」

「イザラ。ノアールはもう平和な時代ではなくなったのかもしれない。何かが一つ狂えば争いになる。そんな危険な状態だと思うよ」

「…まさか植物の移植もその為か?」

 リュウは大きく頷いた。

「僕は植物学者じゃない。研究院ではそれなりに認められているから助手を買って出れば誰も疑わないだけだよ」

 ふっと微笑んだが暗い表情を浮かべる。

「…貧乏くじを引いたけど…」

 イザラがリュウの言葉の意味を尋ねようとした時、一つのモニターが音を発した。イザラは勇んでモニターを覗く。

「…来た来た」

「…今、音鳴ったよね…そういえば今回は薬も飲んでないし…」

「半年前にやっと見つけたのさ。理論上はあり得るが実際には不可能だと言われていた干渉波を。今やガトーのどの場所でも極々微量だが干渉波を流している。だから、かなりみんなの生活は楽になったはずだ。この部屋、いや、この屋敷には通常よりもかなり強い干渉波を流してる。1階のホールで認証するだろ。この建物に入っていることは連絡済みだから、後は監視させない。微弱電波と同じレベルに干渉波を上げればガトーでも音楽が聴けるけどな。完璧に消すのはやっぱまずいだろ」

「さすがですね」

 リュウは笑う。

「絶世の美女の子供がこの程度とは。遺伝とは当てにならないものだな」

 イザラの言葉にリュウは慌ててモニターへ駆けつけた。

「…ミヤコ…」

「違うっての。これは昼間見かけたドールのサクラ。そんなに似てるのか?」

「ああ。髪型も声もそのものだよ」

 サクラに関するデータが映し出されていた。

「…ドールのデータなんてどうやって集めるのさ。それこそ管理下には無いだろう?」

「おもちゃだからな。持ち出しも自由だしベイズへも転送出来る。ところが登録はされてるの。おまえには見分けつかなかったらしいが、どう見てもドールはドール。とは言えやはり人間の格好してるから。色々な意味で犯罪の対象にもなるので」

 リュウは昼間のカザラの言葉を思い出していた。

「…ドールって温かいのか?」

「はあ?」

「…冷たきゃ…なんだ…その…萎縮するだろう」

 視線を泳がせながらリュウは苦笑する。

「何言ってんだかしらないが、ドールはロボット。顔や姿は人間そのものだが体温は無いの。その辺はモラルとして一線を画している」

 イザラの厳しい口調にリュウは項垂れた。  

 サクラは採掘の町スートの老夫婦が所有していた。しかし、その老夫婦も1年ほど前に他界している。今は、レストランのオーナーがメイドとして管理していた。オーナーには子供もいるので単なる仕事の担い手としての利用価値しか認められないこと。しかし、今は人手の兼ね合いで手放せないことが記載されている。

「どうする気なんだ?」

「馬鹿だな。本物そっくりなんだぞ。利用しないでどうする」

「えっ?」

「イサヤ姫はへたすりゃ帝王に消されちまう。いや、子胤のない帝王は可愛がるかもしれないか。今一番邪魔なのはカー一族にとってだよな。ひっくり返そうとしている他の豪族にとってもマキト王子の忘れ形見でリー一族の直系なんて出てきたら自分たちの立場無いだろ。ミヤコは誰からも喜ばれない存在だ。危険この上ないんだぞ。彼女を守るには盾も必要。違うか」

「…ま…そうなんだろうけど…」

「なんだよ。おまえらしくないな」

 リュウは山間から覗いたロールを見つけ窓によった。

「ここからだとこんなに綺麗にロールが見えるんだね」

「なにくだらないこと言ってるんだ。今更」  

「イザラ。ミヤコはミヤコだ。イサヤじゃない」

「…リュウ? 任務遂行の前に惚れたのか?」

 リュウは静かに首を横に振った。

「自分でも解らない。みんなが言うように僕の廻りに集まる女達とは比べものにならないほど見劣りするよ。でもね…何かが違う。ミヤコは他の女にはない何かがある」

「従妹だからな。血の繋がりがある」

 リュウは長い溜息を漏らすと天井を仰ぎ見る。

「そんなんじゃないんだ。イザラも会えば分かる。あの子を権力争いの渦中に入れちゃいけない。そんな汚い世界に連れ込んじゃいけない」

「なに神様みたいなこと言ってる。誰かが旗印を掲げて先頭に立たなければ本当にノアールは無くなるかもしれないんだぞ。さっきおまえが言ったようにこの平和もな」

「…それも分かっている。それでも気が進まない」

「異端の子の瞳に射抜かれたのか?」

「かもしれない」

 穏やかに答えたリュウの横顔を見て、イザラは肩をすくめた。

 リー家の三男とはいえ、小さい頃より剣術を習いガンの訓練を受けているので戦いの術は超一流。軍人教育もふたりの兄にいやと言うほど叩き込まれている。跡を取る必要がないからと研究院へ進んだが、リュウはリー一族屈指の軍人だ。命令には絶対服従。任務は何がなんでも遂行する。誰にも知られていないが、サッカーもゼンの教育院での不穏分子を暴きだすために始めたことだ。もともと運動神経は抜群だったのですぐレギュラーとなり試合に参加。そしてゼンへ潜り込んだ。13才の子供がゼンの教育院副院長の反逆証拠を集めて退任へ追い込んだ。不穏分子と言われた教員12人も総て洗い出し、軍へ報告している。隠密行動の有能ぶりはリー総帥お墨付だ。そのリュウが帝国の一大事に私情を挟むとは考えられない。ミヤコという女の子、一体どんな子なのか。イザラは興味を抱いた。


 駒が手元に無ければ勝てる勝負も負ける。イザラのもっともすぎる意見にリュウも従わざるを得なかった。スートへ出かけ、サクラの受け渡し条件を確認する。人手さえ補えればいつでも良いと言われたのだが、この人手を探すのはかなり難しい。

「さてさて。誰に頼めばスムーズに事が運ぶかだな」

 サクラが運んできたコーヒーを飲みながらイザラは早速自分の情報網を検索する。

 リュウはサクラを見つめる。どう見ても本物だ。どうしてこれがドールと判るのか。リュウには理解出来ない。リュウがどんな不振な表情で見つめようともサクラは変わらぬ笑顔を見せている。ミヤコは人の顔色を敏感に読み取る。こんな顔をして見つめていたら蹴り飛ばされるかもしれないなと思い苦笑する。

「いつまでにやけてんだよ。色魔」

「…色…魔ってねえ…」

「廻り見てみろ」

 イザラの言葉に視線を廻りへ巡らすと自分を見つめる熱い眼差しがいくつも不気味に輝いていた。

「…な…僕はなにも…」

「サクラを物欲しそうに見つめてるから、廻りの女共が本物の女はこちらよと媚びてるんだろ。全くな。遊びでしか女を抱かないおまえのどこが良いんだか」

 吐き捨てるように言い切ったイザラに返せる言葉はなかった。

「さ、サクラ回収の協力者が見つかったから会いに行くぞ」

「えっ…あ…」

 イザラにせっつかれリュウは席を立つ。店を出かけたところでみんなに手を振り微笑むリュウ。きゃあと店の中に歓声が上がっていた。

「馬鹿か!」

 再びイザラの冷たい言葉がリュウを突き刺す。

 ふたりが向かったのはガトーの研究院。イザラが戸を開けたのはロボット工学の研究室。

「お邪魔します」

「イザラさん。教授は隣の倉庫です」

「あ、どうも」

 イザラは笑顔で丁寧に受け答える。低姿勢のイザラを初めて見たリュウは不思議そうにイザラを観察していた。

 院生が隣の倉庫と言ったのは機材置き場兼実験場となっている巨大な建物。頑丈な扉の前でイザラがコードを入力すると扉が開く。中には様々な形をしたロボットが並んでいた。

「コント教授。いらっしゃいますか」

「イザラ君。もっと奥だよ」

 声を頼りに奥へ進む。

 ばかでかい人間型ロボットの顔の部分が操縦室になっている。そこから手を振っている人物が尋ね人のようだ。

「…何だ、これ…」

 リュウは呆然と見上げる。

「将来的には戦闘用のロボットだ。今のところはミサイルもビーム砲も搭載が許可されていないがな」

「戦闘用ロボットか。戦艦よりも小回りが利くね」

「遮蔽でもしてみろ。向かうところ敵なしだぞ」

「…誰が操縦するのさ」

「そんなの、おまえ等軍人だろうが」

 リュウは改めてばかでかい機体を見上げた。

「これからは個人戦ってことか」

「でかすぎてな。さすがにスムーズに動かない。まだまだ改良の余地たっぷりだけどな。ま、こんなものが実戦で使われないことを祈りたいね」

 イザラの笑顔がやけに嬉しそうに輝く。

「おい。どういう笑顔だ。今のは」

「知らないか? ロゾフ星系の事?」

「聞いた」

「あれは内紛じゃないと軍は見ている。ガトーの研究者もな。しかし、政府の馬鹿役人は聞く耳を持たない。ガトーは極秘で偵察隊を出している」

 イザラはロボットを見上げた。

「こいつの兄弟だ。初飛行が重大任務を背負ったものだが、あと10日もすると帰ってくる。どんな情報を仕入れてくるか、楽しみでな」

 リュウは特大の溜息をついた。

「ガトーってやっぱ計り知れない星だね。何でそんなことが勝手にできるんだか」

「俺にもよく分からない。でも、親父殿は相当の切れ者だぜ。おまえの親父さんだって相当のくせ者だけど」

「…まあな」

 ふたりは視線を合わせると吹き出した。

「…楽しそうだな」

 いつの間にか隣に立っていたコント教授。

「イザラ君からの依頼品。5日もらえれば出来上がるが」

「5日ですね。じゃ、そのころ伺います」

 イザラは丁寧に頭を下げて倉庫を後にする。 

「さて。まだ時間はたっぷりだ。どうする遊び人。町にでも繰り出して女の子侍らせてどんちゃん騒ぎでもするか」

「…ごめん。僕もう限界かも」

「なに?」

「頭痛い」

 イザラは笑い出す。

「そうか。すまない。気がつかなかった。じゃあ屋敷へ退散だな」

「そうしてくれると助かる」

 イザラは元気のなくなったリュウを抱えて屋敷へと戻ってくる。ゲストルームのベッドに寝かせ整いすぎている綺麗な顔をまざまざと見つめていた。

「具合はどうだ」

 クザラが浮かれ顔で入ってきた。

「信じがたい。こいつは俺の親友だよ。殺す気か」

 イザラは冷たく言い放つ。

「死んじゃいないだろうが」

 イザラはぐっと息を呑みクザラを睨む。クザラはくすりと笑って応えると静かな寝息を立てているリュウを見やる。

「かなりしぶといな」

「冗談じゃない! 干渉波切られた時には俺の方が動揺した。一歩間違えればこっちが絶叫してた。こいつ、頭痛がするって言っただけだぞ。軍人なんだからな。育ちも鍛え方も俺たち技術者とは比べものにならないほど違う。変な試し方するなよ」

「やはりリー一族は侮れないな」

「まさか…張り合うつもりか? だったら俺は手を引く」

「そんなつもりはない。対等につきあえるかどうかの値踏みだ」

 イザラは肩をすくめる。

「兄さんもガトーの外に出てみるべきだ。こいつの兄貴はそれこそ強者だ。体力ばかりではなく知力も優れた軍人だ。リュウは顔の見栄えが良い分優しく感じるがリー家の教育は普通じゃない。リー一族だけじゃない。外の世界には兄さん以上に頭の切れる奴、世渡りの上手な奴がごろごろ居る。良い意味でも悪い意味でも。ガトーが総てじゃない。だからこそ、争いたくない」

「ま、こんなことは二度としないさ。そう熱くなるな。おまえらしくないぞ」

 クザラは愉快そうに笑うと部屋を出て行く。

「…なに考えてんだ。全く!」

 ガトー一の秀才クザラ。その才を持て余すかのように世の中を馬鹿にしている。頭脳は超一流だ。これは誰も否定しない。しかし、今のところ一族の長としての才覚があるかと問われれば否と答えざるを得ない。更に利発故に人間的魅力も無い。そしてこのまま自分勝手に突き進まれたならば、マー一族の未来は暗いものになってしまう。

 溜息をつくイザラ。

「やっぱり試されたか」

 ベッドから突然声が響きイザラは飛び上がった。

「…リュウ…気づいてたのか…」

「変なこと考えるなよ」

 リュウはイザラに微笑む。

「クザラは本当の馬鹿じゃない。時間は必要かもしれないけど」

「…余裕が無いかもしれない」

「マー一族で争いなんてごめんだよ」

 イザラは苦笑する。

「分かっている。今は、少なくとも」

 リュウはイザラの手首を捕まえる。

「未来永劫だ」

 凛と響いた声。眼光鋭い表情は、有無をも言わせぬリー総帥の威圧感を漂わせ、ノアールの三大美人レーナを彷彿とさせる震え上がるような美しさ。イザラは怯えるようにリュウを見つめ返していた。そして、自分の意志とは関係ないかのように言葉が口を突く。

「…約束…しよう…」

 声を絞り出すように呟くイザラ。

 リュウは静かに頷く。

「約束したぞ」

 にっこり微笑むリュウの見惚れる笑顔。イザラは背筋に冷たいものが走った。


 5日後。イザラとリュウは研究院のコント教授を訪ねる。目の前に現れたのはサクラをコピーしたドール。

「信じられない。どうしてこうも同じ人間が後から後から…」

 不思議がるリュウの様子に首を傾げる教授。

「イザラ君。君の連れは本当にドールを知らんのか? そんな人間が居たことの方が不思議だわい」

 イザラはリュウを見やり失笑する。教授に丁寧に頭を下げるとドールのスイッチを入れ連れて歩く。

「リュウ。触ってみろよ」

「…どこを…」

「どこでもお好きな場所を。生身の女じゃないからな。おまえが期待してるような声は出さないぞ」  

 リュウは手を握った。柔らかい皮膚の感触だ。そしてとてもなめらかだ。が、冷たい。

「…信じられない…」

「人工の皮膚。人間の肌の200倍の細かさだ。どんな柔肌の女性でもこのなめらかさには敵わない。このすべらかな冷たい手触りがドールをドールとして認識する手段であり、人間ではないと確認させる手段なんだよ」

「…確かに…実際に触れてしまうとドールだと分かる。不思議なものだな」

「でなけりゃ、いじめるために創り出された意味がない」

「…あ…」

「ガトーの科学者もそこら辺の良識はあったんだろう。しかしな…ねじくれた感情だよ。いじめる道具を自分の姿にするなんて」

「叩こうが殴ろうが蹴飛ばそうが文句を言わない。なされるがままか。凄いストレス発散法だよな」

「こんな陰気な山々に囲まれ人体に悪影響を及ぼす電磁波に晒されて生きていれば、屈折した精神状態が生まれても不思議はないと思う。それをも自分たちの文化として受け入れてドールなんぞと訳の分からんおもちゃを創り出した。ご先祖さんの凄い生命力と生活能力には脱帽だがな」

「イザラ。おまえどうしてそんなに柔軟なの」

「ん? なんのことだ?」

「ガトーの人って大なり小なりクザラみたいだと思うんだ。おまえだけが異質のような気がする」

 イザラは一瞬リュウを凝視すると極上の笑顔を向けた。

「勉強が嫌いだからだろう」

「…嫌い?」

 嘘だろうとリュウは心の中で突っ込んだ。ガトーの第1教育院を首席で卒業し研究院でも首席を維持。学生時代サッカーに没頭していたことは知っている。リュウとも何度も対戦をしている。だが、首席というのは勉強が嫌いでなれるものではない。イザラの柔軟な思考は兄クザラの凝り固まったガトー至上主義の反動なのかもしれない。

 サクラ2号をジェットフライヤーに乗せふたりはスートへ向かった。ガトーは人間の生活する場所をすべてドームで覆っている。ドーム間はジェットフライヤーで移動する。通常は自動制御されているので一定のコースを飛行する。特別の目的があり手動で飛行する場合には事前に飛行コースの申請をしなければならない。申請以外の場所を飛行したら最期、ビーム砲を浴び露と消える。貴重な鉱物資源で構成されている星ガトー。侵入者と盗掘者の管理体制は昔から鉄壁と言われている。

 首都からスートへは3時間。スートのドームが微か遠くに見えた時だった。ジェットフライヤーが停止した。次の瞬間、ぐらりと機体が大きく揺れる。イザラとリュウがなんだと顔を見合わせた時には再び飛行を開始していた。慌ててパネルを覗いたが軌道はそれていない。機体に異常も無いようだ。しかし、何かが変だ。リュウもイザラも黒々と輝く山々を無言で見つめていた。

 レストランの店長はそっくりそのままのサクラ2号ドールをいたく気に入った様子で、サクラ1号はあっさりと手渡してくれた。

 初めて遭遇した時の驚きは今のリュウにはもう無い。サクラ1号の手に触れてドールであることを確認してしまうと、本当に不思議なほどドールとしての扱いができる。ガトーの科学者の人間心理の読みの深さに改めて驚かされる。

相変わらずドールの妙に浸りきっているリュウを眺めイザラは微笑ましいやらあほらしいやら複雑な心境だ。レストランの窓から何気なく空を見上げたイザラは勢いよく立ち上がる。

「…リュウ! 引き返すぞ!」

「…どうしたんだ?」

 友の視線は空。それも鮮やかなピンク色の。

「…なんだこの色は…」

 イザラの顔は蒼白だ。

「…さっきの…フライヤーが止まったことと関係有りか?」

「おそらくな」

 ふたりはサクラ1号を抱え首都へと引き返す。

 今までに見たことのない空の色。心の中にざわつくものを感じながらふたりの視線は首都を睨んで動かなかった。

 イザラは自分たちが乗ってきたジェットフライヤーを研究院のドックへ回すよう指示し屋敷へ駆け込む。自分の部屋のあらゆる機材を動かしてなにやら情報集めをしている。

「リュウ。研究院へ行こう」

 リュウは静かに頷く。

 イザラが訪ねたのはコント教授だった。

「教授。空がピンクなのはロボットが爆発したからですよね」

 イザラの問いにリュウも教授も目を見張る。

「噂通り情報収集が早いものだ」

 イザラは苦笑する。

 解析をかけていた教授がモニターに映し出された映像を見て落胆の色を浮かべた。

「偵察に出ていたロボットが予定よりも早くノアール星系の近くに居るのはなぜなのか。それも問題だろうが軍に攻撃されたとなると笑ってはいられないな」

 イザラとリュウは慌ててモニターに駆け寄る。

 ノアールの戦艦からビーム砲が真っ直ぐ発射され、それをまともに食らっている人間型巨大ロボットの胸。ロボット目線の映像はそこで途切れている。おそらくこの後ロボットは木っ端微塵となり空をピンクに染めたのだ。

「…教授…何でリアルタイムで映像が手に入るんです?」

 イザラは首を傾げる。

「ああ…ここ半年、時々なんだが外部からの電波を傍受出来るようになってね。なのであえてあのロボットには送信装置を取り付けたんだよ。ロゾフ星のデータはうまく送ってこなかったがこれだけは不思議なことに」

 リュウはイザラを見つめる。イザラはとぼけて天井を見上げていた。

「ロゾフ星系からのSOSもなにかしっくりしなかったが、この事態はそれ以上に大変なことなんじゃないのか」


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