椎の実の真実
第2章 椎の実の真実
試合開始まであと10分。リュウを囲み作戦の再確認をする。
「ま、気楽に。それが一番の勝因だよ」
リュウは明るく笑う。
「まあね。どうせ俺たちは帝国競技会には出られないんだし、ガトーの連中も足慣らしぐらいにしか考えてないだろうからな」
「1点でも取れれば…いや取られなきゃ良いか」
「そうだな」
リュウの笑顔は気負っていたメンバーをあっという間にリラックスさせていた。
試合開始のホイッスルが鳴る。
これが本当に教育院の学生かという立派な体。体格の良いロイカですら小さく見える。当初ベンチに座っていたリュウも試合が進むにつれピッチサイドに立ってメンバーに声をかけ指示をする。ガトーのあわやゴールかと思われたボールはゴールの枠に当たりピッチの外へ飛んでいった。白熱する試合にミヤコの緊張は限界に達しそうだった。落ち着かなければと自分に言い聞かせるが、心臓は駄々っ子のように暴れている。
40分が経過。予定通り失点0を死守できた。リュウが選手交代を告げる。
「大丈夫だよ。いつものように走ってごらん。あいつ等はでかい分小回りはきかない。ミヤコの機敏さはかなり有利だから」
リュウの大きな手がミヤコの頭をくしゃくしゃと撫でる。
「僕が言うんだから信じてごらんよ」
リュウは自慢げにそしてこの上なく優しく笑った。ミヤコはくすりと笑みをこぼすと大きく頷く。ピッチに入ってきたミヤコをガトーの選手は眉をしかめて眺める。
「俺等もだいぶ馬鹿にされたもんだな」
「女だぜ。しかもチビな」
罵倒に近い言葉があちこちで囁かれる。
「どうやらガトーの第3教育院にはミヤコの噂は届いてないらしいな。ま、笑っているのも今のうちだよ」
ロイカがミヤコの肩をぽんと叩いて微笑む。
ミヤコは首にかけているお守りをシャツ越しにぎゅっと握りしめる。精一杯走れますように、ミスをしませんように。お守りはミヤコの願いを効き入れたかのように微かに輝く。
試合再開。リュウが予想したとおりガトーの選手はミヤコの登場を馬鹿にした。へらへらと笑いながらボールがパスされる。ミヤコの目の前に生気をなくしたボールが流れて来る。チャンス到来。ミヤコは簡単にカットすると巨体の林をかいくぐりゴール目がけて走り込む。その鮮やかなボール捌き。呆気にとられるガトーの選手の面前でボールがネットを揺らす。
「相変わらず見事!」
「よい子よい子」
仲間がわっと集まりミヤコの頭を撫でる叩く。リュウが大きく頷いている。ミヤコは花がほころぶように笑みをこぼす。
それからというものミヤコは巨体に囲まれ動くことすらままならない。
「これってラグビーじゃないよね」
まるでスクラムの中のボール状態。ミヤコは残り5分。走ることも許されずに巨体の森の中でじっとしていた。
前半終了のホイッスル。
「やれやれ。かわいげのないガキどもだな」
リュウは肩をすくめてガトーの選手を眺めた。後半、ミヤコをどうやって配置するか。無駄なマークをさせないためにはディフェンスに置いて動かさないのが得策だろう。ボール捌きの妙技は防衛にも充分役に立つ。そしてラストチャンスは…あの力任せの7番。これでもう1点は頂けそうだ。
リュウは自分が描いた試合展開を皆に話す。ミヤコは不思議な顔をしてリュウを見つめていた。なぜ、相手も含めて誰がどのように動くかが解るのか。
「それが天才と言われる所以」
難しい顔をしているミヤコの肩を叩くロイカ。
「凄いよな。リュウさんには選手の動きが瞬時に読み取れるんだよ。前半のゲーム、彼の思惑通りに運んだだろ」
疑う余地無く相手チームの動きはリュウの言葉通りだった。
「後半、ミヤコにはディフェンスを任せる。ゴール前でボールをカットしたら一番深くにいる仲間へ回す。これでかなりの時間稼ぎにはなるから。そして終了間近に…いや、ロスタイムに打って出るかな。センター付近でゼッケン7番にパスが出たらそのボールは絶対にミヤコが貰う。これができたら追加点だね」
リュウはミヤコの肩を抱くとくすくす笑う。
「信じてないね。まだ」
「…そんなこと…」
「大丈夫。僕の目に狂いはないよ。さあ、頑張って」
リュウに背中を押されミヤコはピッチに立つ。これまたガトーの選手はあざ笑う。
「あいつがディフェンスだってか」
「チョロいね」
ところが30分を過ぎてもガトーは得点につながるシュートが打てない。ゴール前でちょこまかと目障りに苛つくほどに動き回るミヤコにことごとくボールをカットされてしまうからだ。40分を過ぎたあたりからガトーの選手もミヤコの技術の高さに気づき始める。しかし、時はすでに遅い。ロスタイム。ミヤコがカットしたボールがロイカへ。ガトー側の3人がロイカを壁のように囲みボールを奪い走る。
「ミヤコ!」
リュウが大声を上げた。今まさにボールが7番の足を離れようとしている。ミヤコは矢のように走り込みボールを奪う。巨体の間をすり抜ける。前方にも3人。ミヤコは巧みにフェイントをかけ突き進む。全速力で走るミヤコの首に輝くものが揺れる。艶やかなビロードの美しいエメラルドグリーンの光。
「…嘘だろ!」
リュウは一瞬にして蒼白となる。
見事ミヤコはゴールを決める。あまりにも鮮やかな走りとボールの扱い。ガトーの選手は棒立ち。そして試合終了のホイッスル。
誰もがミヤコを褒めて微笑む。
「全く、これで女の子かって本当に思うよ」
「なんかリュウの指摘って凄いなって」
「だろだろ」
みんなはわいわいベンチに戻ってきた。しかし、リュウの姿はどこにもなかった。
翌週。花の苗が大量にベイズへ送られてくる。プランターへ植えているのはモアイ教授と助手二人。リュウの姿はどこにもない。
「…あの…リュウさんは…」
ミヤコは恐る恐るモアイ教授に尋ねる。
「何でも急用ができたとかでシフォンへ戻ったのだよ」
「…そうですか…」
「お水の管理をよろしくと言っていたのだがね」
「…はい」
ミヤコは苦笑する。種を撒いたプランターは本葉が出始めている。よく見ると形が違うことに気づいた。本当に植物とは不思議な生き物だと感心するばかり。
すでに大きく成長している植物をどうやら苗というらしい。教授達が植えていたものには花の付いているもの、蕾だけのもの、そして、まだ蕾もないものと3種類。花の形も葉の形も異なるものが沢山並んで植えられている。
初めて本物の花を見て感動した。可憐で小さな花は色とりどりでとても綺麗だ。自分の部屋にもあったら素敵なのにと思ったが、摘んだら退学だろうと手を止めた。
大量の苗にも芽吹いた苗にも水をやり成長を見守っている。花は一度咲いたきりでその苗から新しい蕾が出てくることはなかった。蕾のある苗も咲いたもの咲かないものがまちまちだ。葉だけで移植された苗はすくすくと育ち1か月経ったところで蕾を持ち始めている。これが咲いてくれたらよいのにと、種類の異なる苗ごとに付けている観察記録を眺めながら祈る毎日。やることはとても沢山ある。時間的に余裕など全くない。それでも達成感がなぜかない。
もう少しで咲きそうな花達。1か月前に咲いていたのは赤に黄色にピンクに白ととても綺麗だった。自分が水やりをした苗から蕾が伸びそれが花として開く。図鑑を見ながら想像していたわくわく感はどこへ行ってしまったのだろう。あんなに楽しみにしていた開花なのに。夕闇の採光の中、蕾を見つめ溜息が漏れた。
「リュウの馬鹿!」
「…ごめん」
突然後ろから響いた聞き覚えのある声にミヤコは振り返ることなく宿舎へ走り去る。
リュウはミヤコの胸で輝くエメラルドグリーンのペンダントを目にし驚きのあまり暫く放心状態だった。体の痣に宝玉。エメラルドの椎の実が偽物という可能性もあるが、継承者の証を二つも持ち合わせている偶然の方が不自然だ。唯一の食い違いは名前。自分の尋ね人の名はミヤコではない。リュウはミヤコが帝王の正当な継承者ではないことを願い家へ飛んで帰る。
帝国軍のシェナ・リー総帥の屋敷は手入れの行き届いた芝生の絨毯が延々と連なる公園のような佇まいの中に建つ歴史を感じさせる石壁の建物である。
家人が夕食のために集まっていた食堂に息を切らして駆け込むリュウ。
「なにごとか!」
不作法な行動に叱責を飛ばしたのは、若い頃はさぞ綺麗だったろうと多少の皺を刻んではいても面長の白い肌が美しい凛とした厳しさのある見目麗しい女性。リュウの母である。
「…申し訳ありません」
言葉では謝っていてもリュウはずかずかと食事をしている父の元へ歩み寄る。
「父上がお探しの姫の名はイサヤですよね」
50の一歩手前なのだがリュウよろしく端正な顔の造り。白髪の混じる髪の色を除けば兄弟と間違えそうなほど整った艶やかな顔。とても軍人とは思えない穏やかな趣だ。
食事の手を止めリー総帥は頷く。
「いかにも」
リュウはほっと溜息をつく。
「ミヤコではありませんよね」
念を押すように父を見つめるリュウ。
リー総帥は暫く無言のまま目をつぶっていたが、ほんの少し口元を歪ませるとリュウを見やる。
「見つけたのか」
厳かに響いた声に料理をほおばっていた兄二人が素早く反応した。
「これまた手際が良いな」
「して、美人か?」
兄二人は年子というせいもあってかとてもよく似ている。リー一族の血はよほど濃いのであろう。母の面影ではなく父に似ている美丈夫。勿論、リュウともよく似ている。
お気楽にリュウに笑みを投げかけている兄たちにむっとしたリュウは首を横に振る。
「いいえ。だから確かめに戻りました」
「そうか…叔母上は子供心にも絶世の美女であると分かったものだ。お城に遊びに行くのが楽しみだったのにな。娘はダメか」
2才年上の次兄ショウが残念そうに肩をすくめる。
「14では将来の姿まで予測出来ないもの。時が来れば花開くこともあるであろう」
腕を組んで何やら想像し自己満足をする長兄ジャン。
「土台というものは侮れないものだよ。ダメなものはダメだって」
「いやいや…それはだな、磨けば光るというものもあるのだし…」
馬鹿話はおまえ達だけでしていろ。リュウは心の中で叫ぶと拳に力を入れた。
「どのような子だ」
リュウは深呼吸をする。
「運動神経のとても良い活発な子です」
「痣は」
リュウは頷く。
「右足の太ももの内側に」
その言葉に食堂内の空気が一気に冷え込む。
「父上。だから言ったではありませんか。リュウは女に手を出すのが早いんですから。姫が傷物じゃあこの先何を言われるか」
ショウが溜息をつく。
「ここしばらくは病気が治まっていたと思っていたが…美人でもない女に手を出すとは…よほど溜まっていたんだな」
ジャンが哀れむようにリュウを見つめる。
リー総帥もやや困惑顔でリュウを見上げた。
「…ちょっと! なに言ってるんです。みんなして。僕が色魔のように聞こえますけど」
全員の視線が違うとでも言うのかと突き刺さる。
「…それは…女が離さないから…ああ。もう! そういうことじゃなく。ミヤコの足にある痣はサッカーをしていて見かけたんです」
「サッカー?」
カルテットのどよめきが食堂にこだました。
リュウはミヤコとの出会いを語った。
「右肩に傷はなかったか?」
「傷?」
リー総帥は遠い瞳で小さく頷く。
「もう13年も前のことなのだな…」
13年前。前帝王が倒れ次期王を誰にするかで国政がざわめき始めた。正当な継承者は第一王妃との間に生まれた長子のジダン王子だ。病弱ではあったが頭脳は明晰で皆の信頼もある。長子が病弱な分、末子になる実の弟マキト王子が軍の副総帥にあり支えていた。当初は誰もがジダン王子が帝王を継ぐものと思っていた。しかし、新帝王の任命をする前に帝王は突然息を引き取る。その翌日。ジダン王子の居城が紅蓮の炎に包まれ后と二人の幼い皇太子の命まで焼き尽くしてしまった。放火ではないかとの噂が流れる中、マキト王子も軍の武器庫で整備中に暴発したレーザー砲の残留光線を全身に浴び一命は取り留めたが危険な状態が続いた。
帝王には王子がもう一人いた。第二王妃との間に設けた次子ラメルである。ラメルの后ララはノアール帝国の政治を担うカー一族の娘だったため、ラメル王子には揺るぎない後ろ盾が居た。ラメル王子は交渉の駆け引きがとても見事で政治手腕も経済手腕も持ち合わせていた。経済界を牛耳るムー一族にも覚えがよく、両豪族の後押しもあり、年齢の順からもラメル王子が新帝王に就いたのである。
ラメル帝王の治世は可もなく不可もなく、極々平穏に進んでいる。しかし、就任の経緯は未だに謎であり、玉座欲しさの陰謀を企てたのではないかという噂も連綿と息づいている。そのため国民からの信頼が絶大な名君とは決して言えない。
マキト王子が事故に遭遇し意識を回復したときに、軍の統合参謀本部本部長をしていたシェナ・リーは枕元に呼ばれた。
「これは事故ではない。一刻も早くイサヤを安全な場所へ。いや、帝王の血縁などとは無縁の生活を与えてやって欲しい。なんとしても生き延びて欲しい」
マキトは自分の首に掛かっているエメラルドの椎の実のペンダントをシェナに手渡した。
「…ラメルは父王が私にこれを渡されたこと知らぬ…しかし、持ち続けることももう叶わぬ。サシルに…何かの時には役に立とう」
「承知いたしました」
マキトは深呼吸をすると天井を見据える。
「ラメルは帝王の器ではない。くれぐれも国を頼むぞ」
シェナは静かに頭を垂れた。
「…最悪の場合はそなた…シェナ、君が玉座に座れ」
「…何を申されます…」
マキトは首を振った。
「本流への復古ではないか」
「300年も昔の話です」
「しかし、家訓は大切にしている。違うか」
「…それは…」
「このノアールにとって何が大切か。シェナの裁量に任せる」
マキトはふっと笑みをこぼす。
「…私は良き友を持ったよ。シェナ」
マキトはシェナの手を握る。
「…カザラにも…よろしくと…」
懐かしそうに天井を見つめにっこり微笑むと静かにまぶたを閉じる。シェナの手からマキトの手がするりと落ちる。
シェナはマキトの手を胸の上で組み穏やかな死に顔を見つめ祈った。
何があってもイサヤの命は守りましょう。そして、この国の未来だけは潰さぬように。どうかあなたのご加護を。そして安らかに。
時はかけられない。シェナは妹であるマキト王子の后サシルとやっと歩けるようになったばかりの姪イサヤをベイズへ送り込む。
「ベイズへ着いたならばこのパネルの示す場所へ行きなさい。イサヤのチップを除去してもらう手筈になっているから」
「…下手をすれば命が…」
「ここにいても殺される。いや、チップがある限りどこにいても生きられぬ。王子の遺言だ。生き延びて欲しいと」
母の胸で無邪気に微笑む幼い姪。絶世の美女と言われる母の遺伝子はどうやら受け継げなかったようだが、生まれてこの方泣き顔を見たことがない。忌み嫌われる読心という異能と、母の髪と瞳の色を受け継いでしまう異端の子、忌まわしい運命を二つも背負うことなど感じさせないつぶらな澄んだ瞳と笑顔の愛らしさは、贔屓目だが一族一かもしれない。
「さ、一刻も早くシフォンを出るのだ」
歴代帝王の証として継承されるエメラルドで作られた椎の実のペンダントを手にサシルは幼子の手を取りシフォンを脱出する。ベイズには難なく到着した。兄シェナからの言いつけ通りパネルを頼りに訪ねた場所にいた男は知り合いだった。自分の知る風貌とはずいぶん違っていたが、トラドは厳めしい顔をほころばせてイサヤを抱く。
「すぐに手術をしよう。サシルは控え室で待っていてくれ」
サシルは自分の手の中にあったペンダントをイサヤの首にかける。
「どうかこの子の命をお守りください」
ペンダントに願いをかけるとサシルは控え室へ。
個人情報を管理するICチップは生まれて間もないときに埋め込まれる。年月が経てば経つほど体に根を下ろし取り出せなくなると言われている。確かに三本の触手が皮下で開くため無理矢理引き抜こうとすれば激痛を伴うし体に相当の負担をかける。所在地確認のためと、体内に入った異物排除の生理的作用を麻痺させるために神経を刺激する微量の電波を放出しているので扱いを間違えれば命の危険もあり得る。しかし、医者の立場から言えば、それは摘出をさせないための脅しだ。とは言うものの、そこは管理体制がしっかりしているので、摘出しようとすればすぐに情報が伝達されてしまう。その電波を上手く消すように干渉波を流す必要がある。ICチップに小細工ができる、いや小細工しようなどと考える医者はノアール中を探してもいない。
トラドはイサヤに麻酔をかけるとバイオドームに寝かせる。素早くデータ測定をする傍らパネルを操作し干渉波の確認をする。準備が整うと手際よくチップを取り出し傷口にバイオグラフの光線を当てる。メスの傷跡はほとんど目立たなくなる。イサヤの血液をシャーレに取り側にあった機械に挿入する。
トラドはとことこ歩くイサヤの手を引きサシルの待つ部屋へ入った。
「さ、この子を連れて行きなさい」
サシルは一瞬目を疑ったが、すぐに目の前の子供がイサヤではないことを認識した。
「…この子は…」
「ガトーから届いた最新のドールに私が手を加えたものだ。イサヤの遺伝子を組み込んだので見た目は同じだ。チップも移動した。認証作業は誤魔化せよう。ドールのメンテナンスもあるのでガトーのサリナン工場へ行きなさい。そこには…手筈は整えておいた」
サシルはイサヤそっくりに出来上がったドールの手を取ると抱きしめる。
「このドールを必要としていたご夫婦がいるのではないの?」
トラドは小さく微笑む。
「しっかりとした考えの持ち主だ。私もちゃんと見届ける。安心してくれ」
サシルはイサヤがその夫婦の手元に預けられるのだと分かった。
「ありがとう。トラド。どうぞ、イサヤを…」
深々と頭を下げるサシルの気高くも美しいが、悲しみに押しつぶされそうな姿にトラドはかける言葉を無くし、ただ見送るばかりだった。
そして3日後。ガトーへ入ったサシルはトラドから教わったサリナン工場へ向かう途中で行方不明となる。それから2か月後。ティガード山地の鉱石採掘場で遺体となって発見された。しかし、イサヤのドールは見つからなかった。
「ティガードは磁力がことのほか強い場所だ。防御壁のない場所で10日も放置されれば、いくら精巧で丈夫に出来ているドールであっても機能はしなくなる。現にイサヤのデータは13年前で止まったままだ」
リュウは静かに聞いていた。
「父上。だからと言ってミヤコがイサヤだという証拠はどこにもありません」
「私が見ればすぐに分かるのだがな」
「名前…名前が違います」
シェナは執事に紙とペンを持ってこさせた。さらさらと文字を書き記す。紙を手にしたリュウが愕然と立ちつくす。
「…これは…」
紙に記された文字はリー一族に伝わる一族固有の古典言語文字。書かれているのは「イサヤ」という言葉。しかし…
「ベイズの人間ならばこの綴りをミヤコと読んでも何ら不思議ではないぞ」
「…それではやはり彼女が…」
「栗色の髪、エメラルドグリーンの瞳。それだけでもリーの血を引く者だと断定できよう。その上、体の証と宝玉の椎の実まで持ち合わせているのであれば、疑う余地など無い。必ずや連れて参れ」
リュウは暫く何も答えなかった。
「…僕がですか」
暗く重たいリュウの声が食堂に響いた。
「父上は彼女を冠して王位を奪回するおつもりですか」
シェナはすっくと席を立つとリュウの頬に張り手を食らわす。
「知った風な口を利くな。学問ばかりに現を抜かしているおまえにこの帝国の現状など分かるまいからな! おまえはイサヤをここへ連れてくればそれで良い! 食事の邪魔だ。出て行け」
厳しい声が広い食堂にこだました。
リュウは自分の部屋で1か月近く悶々としていた。
「まだすねているのか。ガキじゃあるまいに」
ジャンが入ってきた。その後ろからコーヒーをショウが運んでくる。
「怪しいのは国内ばかりではないのだぞ」
リュウはショウを見つめる。
「どういうことです」
「4か月前、ロゾフ星系からと思われる奇妙な電波が届いた。解析したのだがSOSとしか解読出来なかった。星系内の揉め事ならばまだしも、別の形での救援信号ならば、ノアールとしてもそれなりの準備が必要だ。その最中に内輪揉めなどしていられるか?」
「にもかかわらず、豪族どもは私利私欲に駆られて我が子をと、水面下で動き始めている。カー一族はトーマを、ムー一族はモリアを、サー一族はカラムを。今や帝王の後継者問題は豪族間の争いにもなりかねない」
「…そんなことは知ってますよ」
ジャンがリュウの頭をぽかりと殴る。
「本来ならば、なに戯れ言をと各一族を一喝して父上が玉座に座っても何の問題も無いのだぞ。だが、イサヤ姫を捜せと仰る。父上はあくまでも現帝王の血筋を守ろうとのお考えだ。だからこそ、苦労している」
リュウは窓の外を眺めた。椎木が風に揺れ葉擦れの音が風と共に入ってくる。
「なりたい奴が帝王になればいい。ミヤコには関係ない」
シフォンの美女という美女が微笑みを贈る美男子リュウ。リー一族の本家直系。身分も格式も血筋も申し分なし。今まで手当たり次第遊んできたので、既成事実をネタにノアール中から縁談話が届く。丁寧にお断りする役目は母。4年もやりこなすとこの頃は手慣れたもので、病気が見つかりただ今は療養中と言っていたかと思えば、人に移す厄介な病気だったと脅している。その効果は絶大だったらしくここ数か月は縁談話が届いていない。
女を手玉に取っているようなリュウ。それでも良いから相手をしたいと女に言われる程のリュウがこれほどまでにこだわるミヤコという少女、やはり極上の女性に思える。
「リュウ。そんなに良い女なのか」
ジャンがリュウを見やる。リュウは首を振る。
「先日も申し上げました。決して叔母上のような美人では…」
こぼれる笑顔、好奇心あふれる輝く瞳、素直で明るく快活で行動的。媚びもなく自分に笑いかける生き生きとした表情はどんな美形の女よりも愛らしい。サッカーボールを追いかける華奢な体を、額から流れる汗を拭う細い腕を、何でもやってみたいと動く指を、ふくよかな女の凹凸をこれ見よがしにアピールする艶めかしい肢体よりもこの手に抱きしめてみたいと思っている。リュウは自分の手を見つめ溜息を漏らす。
「…ダメだなこりゃ」
ショウはコーヒーカップに手を伸ばす。
「シフォン一の色男を骨抜きにする女か…ますます会ってみたくなったな」
ジャンもコーヒーを飲干す。
「リュウ。一つだけ言っておく」
ジャンの声が何時になく低く響く。
「イサヤ姫の存在はまだ誰も知らない。どんなに調べても13年前で途切れる。それだけならば彼女を守る必要など無い。しかし、現帝王は自分の手元に宝玉がないことを知っている。帝王が自分の意のままになる養子を迎えるには何が何でも椎の実が必要だ。だとすれば、どんなことをしてでも探すだろう。すでにノアール中に探索の手が伸びているかもしれない。現帝王にとってイサヤ姫は必要な存在か?」
リュウはベッドから跳ね起きる。
「姫にとってどこが安全なのかも自ずと決まる」
「…父上は…」
ジャンは小さな箱をリュウの目の前に掲げた。
「開けてごらん」
部屋の光を受けて輝く美しい椎の実のペンダント。その輝きはエメラルドグリーンではなく限りなく透き通る七色の光。最強の硬度と最高の透明度を誇るガトーのティガード山脈から採掘される星系一美しいダイヤモンドの輝き。
「なんでこのようなものがここに…」
「マー一族は今回の争いを傍観すると父上に誓った。ま、帝王の利権争いなどガトーには何の関係もないということだろうが」
「…伯父上がイサヤ姫を承認するということですか」
「そうだ。マー一族は目先の損得だけではなく先を読める人達だ。そのカザラ伯父上が父上に託された。この椎の実をイサヤ姫にと。だからリーの椎の実はおまえが必ずや守り通して持って帰れ」
ことの重大さは分かった。しかし、真実をミヤコに話さなければならない。
「…あの子になんと言えば…」
遠い目でミヤコを思い出しているリュウの物憂げな横顔をジャンが張り倒す。
「いい加減にしろ! おまえは何のためにベイズへ行ったんだ。自分のやるべきことぐらい全うしろ。色呆けしている場合か!」
リュウは溜息をついた。
「分かりました。僕が言い出したことでもあるので、最後まで責任を持って…」
二人の兄は当然だと言わんばかりにリュウの頭を小突いた。
リュウはダイヤモンドの椎の実を手にガトーへ向かった。昔は分厚い防御壁で囲まれていたという都市も今は透明なドームで覆われ、日の光が差し込むとても明るい町になっている。狭い土地を効率的に利用するため高層の建物が林立する。その最も高い建物がガトー星の支配者でノアールの産業省の長官を代々務めるマー一族の居城。城と言うよりはオフィスビル。徹底的な合理主義と科学技術を駆使して造られている。1階のホールへリニアカーで到着すると、ガトーのステーションでチェックを受けたにもかかわらず、コンピュータが全身のスキャンをしてICチップの読み取りと所持品確認の認証作業を行う。
「ご用件をどうぞ」
パネルが偉そうに問いかける。
「伯父上にお会いしたい」
「確認します」
暫く待っているとパネルがまたもや指示をする。
「リュウ・リー様。3番ポートへ移動ください」
指示通りに3番と記されている転送ポートへ入ると、自動的に上階の目的地へ転送してもらえる。用のない者は門前払い。この建物へは誰であろうとこのポートを利用する以外入れない。鉄壁のセキュリティーなのだ。悪戯好きとしては、この小生意気なコンピュータにちょっかいを出そうと「美人の部屋へ」と要求したことがある。「お受け出来ません」と突っぱねられると思っていたのだが、ポートへ案内され、転送された部屋が伯母の部屋だったときには苦笑するしかなかった。
「やはり来たか」
大きなソファーにどっと背を預けてカザラは静かに微笑んだ。
父と同い年のマー一族の当主。恰幅の良い体型とは裏腹にとても神経質そうな四角い顔。ガトーの支配者としての威厳と揺るぎない自信。何にも惑わされない確固たる信念。王と呼ぶに相応しい父以上に気位が高く気難しい人である。それでも、子供の頃より見知っているのでリュウがカザラを怖いと感じたことは一度もない。
「伯父上。父よりダイヤモンドの椎の実を預かりました。このような大切なものを何故、僕に」
カザラは立ち上がると窓による。外の景色は険しく連なる鉱物の山々。日の光を浴び黒々と輝いているその姿は、決して綺麗などという形容詞は使えない。不気味で畏怖を抱かせるものだ。
「…サシルは私の青春だ」
リュウは一瞬自分の耳を疑う。この人の口からこぼれる単語としては余程似合わない。
「ベイズからガトーへ逃れてきた彼女をかくまえなかったことは今でも悔やまれる。何故、ステーションへ迎えに行かなかったのかと」
カザラは未だに傷跡の残る左手に目を落とすと握りしめてリュウを見やる。
「イサヤを見つけたそうだな」
「…はい」
「今度こそ守り通す。そのためならば私はどんな努力も惜しまん。その椎の実にはイサヤを守れるだけの力がある。マー一族がこのガトー星が後ろ盾として居ることをも知らしめる。そして本来のあるべき場所へ…」
カザラはリュウの肩を叩いた。
「サシルの墓へ参るか?」
「…伯父上!」
「行方がしれなくなって星中を探した。そして2か月後、ティガードで見つけたのはこの私だ。強力な磁力と放射能、電磁波の影響でほとんど本人と判別するのは難しかったが」
カザラは静かに目を伏せる。
骨と皮だけの乾燥標本のようになっていたサシルの遺体。それでもカザラが彼女だと判別出来たのは右胸の下にあったリー一族の証の痣。それは狂おしく甘く切ない記憶の中に今でも鮮烈に残るあまりにも美しく死ぬほどに切ない痣と同じだった。お互いだけを見つめて過ごしたたった一度の短い時間。光り輝くサシルの体に刻まれた帝王の血を引く証。自分の総てをかけて守ろうと誓い震える唇で触れたクローバーの痣そのものだった。
苦笑したカザラが腰を上げる。
「では、出向いてみるか」
「…ドールは…」
「シェナ…総帥から話は聞いているのだな」
リュウは頷く。
「サシルの死因も解明出来なかったが、ドールの行方も未だに分かっていない。星中を探したが残骸すら見つからなかった。イサヤのICチップは一切反応しない。どこかで支障を来したのであろう。ドームの外では当然だ」
二人が1階のホールに降りてくると見知った顔が立っていた。
「あれ。久しぶり」
リュウに片手を上げて微笑んだのは、父親の血は四角い顔の輪郭だけで母親の血を大量に受け継だ、彫りが深く切れ長の涼しい目。鼻筋の通ったいかにも知的という整った顔立ちにこれまた知的を上乗せするメガネをかけているイザラ・マー。マー本家の次男でリュウとは同い年。従兄弟という間柄以上に仲が良い。
イザラは柄にもなくそわそわしている父親と神妙なリュウに視線を移しくすりと笑う。
「墓参りか」
「…余計なことを口にするでないぞ」
カザラは不機嫌にイザラを一瞥するとリュウの肩を促しリニアカーに乗り込む。
「リュウ! 後で寄れよ。待ってる」
イザラはリニアカーを見送った。
堅物の父親が何故かあの墓参りだけはにやけている。そしてたった一人で出かける。母も知っているようなのだが、ことさら尋ねようともしないし、止めることもしない。墓に眠る人物はどう考えても父親の昔のロマンスが窺えるのだが、それにリー一族の者が関わるとなると、後継者問題で騒いでいる帝王と何か関係があるのだろう。
カザラの案内で叔母が眠る場所へとやって来た。鉱物の山々は間近で見れば見るほど不気味である。山肌は生命の息吹を吸い尽くすように冷たく静かに輝いている。遺体発見現場には小さな墓石が建てられていた。勿論、外に出ることなどできない。
どんな思いで叔母は命の炎を終わらせてしまったのだろうか。ミヤコの笑顔が脳裏をよぎる。身をもってイサヤを守ったと誇りに思っているはずとリュウは墓石に黙祷を捧げた。
必ず、ミヤコをいいえイサヤ姫を連れてきますから、もう少し待っていてくださいね。
リュウは心の中で呟く。墓石が心なしか光って見えた。
「この近くに小さな町がある。一休みしていくか」
リュウは嬉しそうに頷く。ジェットフライヤーで3時間。振動もなければ騒音もない。目に映る景色は山の色が漆黒からガンメタ、深碧にと微妙に変わるだけ。延々と槍のような山が限りなく続く。時たま、石英や水晶の巨大な白い石が顔を見せる。飽きない方が不思議なくらいだ。さすがに手足も伸ばしたかった。
ガトーの町は全てがドームの中。それでも住環境には何ら問題はなく、人々の生活はとても豊かだ。何千年も前は人間が鉱物を掘り出していたそうだが、今は全てが機械化され採掘現場で必要なのは掘削機械とプログラムのメンテナンスをする技術者だ。
カザラが休憩場所として選んだところはサシルの墓石が見えるかもしれないという場所にあるレストランだった。食事時をとっくに過ぎていたので中は閑散としている。窓際に座るとドーム越しにそびえる山が見渡せた。日が傾き始めているせいもあってか太陽を映す鉱物の山肌は赤みを帯び一層の不気味さとおどろおどろしさを醸し出している。こんな景色ばかり目にしている人々は精神的に屈折するのではないかと、自分が生まれ育った緑あふれる大地を思い起こし苦笑する。
「…誰でもシフォンの大地を知ってしまうとここの世界が異様であることに気づく。人間にとって一番の幸せとは何なのか…」
カザラは外の景色を睨むように見つめ呟いた。
シフォン星はガトーの科学と技術を、ガトー星はシフォンの自然を、お互いに手に入れようとはるか古より戦いを続けてきた。そして500年ほど前、シェン・リーによって和睦が成立し帝国としての形が整った。どれほどの血が流されどれほどのものが壊されて今のこの世界があるのか、リュウには分からない。しかし、お互いの欲しいものを分け合ってそれで平和が保たれるのであれば、やはり、それが一番良いことだと思う。いがみ合うよりも笑いあえる隣人の方が良いに決まっている。
暗さをたたえ始めた空に目をやりリュウは溜息をついた。
「…何も変わらない明日が迎えられたなら…本当は、それが一番の幸せであることを、馬鹿どもは忘れておる」
伯父カザラの重い言葉に、これからのノアールの行く末が垣間見えた。
家族が隣にいて好きなものを食べて笑って…そんな当たり前の明日はもう望めないのかもしれない。
鼻先にコーヒーの香りが運ばれる。白いカップを2個プレートに乗せて運んできた少女。身長は150センチ程か。髪は茶色のショートヘアーでエメラルドクリーンの瞳。無邪気な笑顔は誰あろうミヤコだった。
リュウが驚きのあまり立ち上がった拍子に椅子が音を立てて倒れる。
「…リュウ…」
放心状態でドールを凝視しているリュウを見つめカザラはことの次第を把握した。
「…さすがと褒めればよいのか? まったく…」
カザラは大きな溜息をつくとくすりと嬉しそうに笑い運ばれたコーヒーを流し込んだ。
ドールはガトーの科学者がお遊びとストレス発散の為に造りだした人間型ロボットである。科学技術の結晶とも言われ、一見は人間そのものだ。今から50年ほど前まではいじめの対象として量産されていたが、今は子供の代わりとして手元に置いて育てるという活用法が一般的になっている。顔も体型も思いのままに造ることができる。プログラムも選択できるようになっており、召使いのように従順なもの、一から育てるもの、芸を披露するものなど様々。ドール用のプログラム開発と販売が産業として成り立つまでになっている。しかし、あくまでも機械。外見が成長することは無い。ここ十数年、子供のいない親から成長するドールを開発して欲しいという要望が寄せられ、研究は進められているが、完全な成長型ドールは未だ商品化されてはいない。蓄積されたデータを基に成長シミュレーションを何パターンか作成し気に入ったものを新しいドールに移植するメンテナンスは行われているのだが。
コンピュータが制御する機械のパーツを自然成長させることは不可能と言われている。それを可能にしてしまう技術と理論と特殊な装置を操れる男がかつてガトーに居た。ガトー星始まって以来の天才科学技術者であり将来を保証されていたにもかかわらず、その地位と名声を義理と友情の天秤にかけて捨てた男。ベイズへ送られた彼は医者の道を選んだ。そして、ドールに人間の遺伝子情報を移植することは死罪になる厳罰にもかかわらず、サシルのためならば自らの命などいくらでも差し出す馬鹿なまでに一途な男。
カザラは20年以上会っていない友の顔を思い出し肩をすくめた。そして、すぐ横に立っているドールを見上げる。
「名前は?」
「サクラです」
にっこり微笑むドール。カザラはこの上なく優しい微笑みを返す。
「ありがとう。下がって良いよ」
サクラは丁寧に頭を下げて席から離れた。
「リュウ。いい加減、座りなさい」
リュウは倒れた椅子を慌てて起こし疲れ切ったように座った。
「…声まで同じだなんて…」
「遺伝子を移植してある。身体的特徴は同じはずだ」
「…痣も…」
カザラは頷く。
「…伯父上はどうしてドールだと判ったのですか」
カザラは苦笑する。
「リュウはドールを知らぬのか」
「はい。シフォンには居ないと思いますが」
「ま、おまえさんには生身の女がいやと言うほど相手をしてくれるそうだからな。ドールなど必要もないだろうが」
リュウはカザラの言葉を頭の中で反復していた。
「…え! ドールってそういう使い方をするものなんですか!」
「冗談だ。真面目に考えるな」
カザラはリュウの頭を小突くと席を立つ。
「さ、そろそろ戻らねば。夕飯に間に合わぬと女王様の雷が落ちるぞ」
「あ、僕はベイズへ行かなくては…」
リュウの手を取ると引きずるようにしてレストランを後にする。
「ガトーへ来て、我が家に顔を出して、サラに会わずに帰れると思っているのか」
「…それは…」
そんなことをしたらもう二度とガトーには寄れなくなる。一族を敵に回しても己の信念を貫き通し、親友の許嫁の心のケアをした気丈な女性。カー一族の姫であり教養も容姿も気位も気品も兼ね備えた女性サラ。現帝王の王妃ララの双子の妹である。