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ノアールの風 その1  作者: 家作 文
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移植計画

第1章 移植計画

「懐かしいな」

広々とした校庭に活気あふれる声。夕方の採光の中、15の人影が動いていた。

 白と黒のマダラなボールを追いかけている元気な学生の姿にリュウは引き寄せられるようにしてサッカーコートへ足を向ける。

「馬鹿野郎! ミヤコにカットされるなよ!」

 ボールを囲んでいた一群から手足の長い華奢な体が飛び出す。その足下には糸でも付けたようにサッカーボールがまとわりついている。足の速いこと。追っ手を見事振り切り右足でボールを蹴り上げる。綺麗な弧を描きボールはゴールに吸い込まれた。

「まただよ」

 ぼやく声と溜息があちらこちらで上がる。

「ひどいわね。私だってメンバーの一人でしょ!」

「そりゃそうなんだけど」

 と言いながら笑ってミヤコの頭をなでる仲間。

「俺等もさ、たまにはゴールネットを揺らしたいわけだ」

「わかった。今度は手…足出さないから」

 ゲームが再開される。結局、もたつく仲間に業を煮やしミヤコは再度ゴールネットへボールを突き刺した。

 その鮮やかな足捌きを驚きと感激と動揺と悲嘆で見つめるリュウ。

「まさか」

 リュウはピッチの中を生き生きと走り回る快活な少女を目で追う。

 身長は150センチそこそこ。ベイズには有り得ない栗色の髪。ショートカットがやけに似合う笑顔の輝いている子だ。とびきりの美人とは決して言えないが誰にでも好かれる愛嬌と可愛らしさがある。醸し出す雰囲気はどことなく叔母に似ているのかもしれないが、絶世の美女と言われた叔母の面影は残念ながらない。それはリュウのかすかな記憶の中に残る叔母像でしかないが。

 ミヤコはピッチの脇にずっと立っている男が気になった。なぜか見られているような気がしてならない。練習が終わり皆が部室棟へと引き返す。ミヤコはまだピッチの側にいる男へ恐る恐る近づく。

「あの…」

 間近によって見上げた男の顔は鼻筋の通った涼しい目の凛としたとびきりの美形。栗色の髪。とても澄んだ深いグリーンの瞳でミヤコを見つめていた。男はミヤコににっこり笑う。見惚れてしまう笑顔にどう対処して良いのか。自ずと怪訝な表情で見つめ返す。

「うまいね」

「…えっ?」

「サッカー」

 ミヤコは肩をすくめる。

「運動神経が良いだけです」

「いやいや。ボールの扱い上手だよ」

 リュウはミヤコの手にあったボールを借りる。膝でトントンとボールを弾ませると足で頭で肩でと鮮やかにリフティングを披露する。

「…す…凄い…上手…」

「僕もね、教育院にいた頃はサッカーやってたんだな」

 ミヤコの顔がぱっと輝く。

「今度、教えてもらえますか」

 勢い余って言ってみたが、すぐさま首を振る。

「ゼンからお仕事で来たんですよね。ごめんなさい。それじゃあ」

 ミヤコはぺこりと頭を下げて他の学生が入っていった部室棟へと走り去った。

「ゼンからお仕事で来た…か。ちょっと違うんだけどね」

 夕闇の採光に包まれ静まり返った教育院の校庭。リュウは辺りを見回しながら校庭をゆっくり歩き一周すると姿を消した。

 

 ミヤコは宿舎の自分の部屋で天井を見上げ溜息をつく。

「…ゼンか」

 ミヤコが生活している場所はベイズと呼ばれている地下都市である。

 今から500年以上前に起こったガトー星での勢力争いで敗北したウー一族を閉じこめたのがこの地下都市ベイズと言われている。ウーの長主ロンは非常に才の長けた人物だった。限られた場所で効率よく生活をするための秩序を作り子供達には教育を大人達には労働を与えた。そして100年あまり、ロンの意志を継ぎ地下都市で生活をしていた人々が優秀な人材であることをその当時の帝王が発掘し、側近として登用したことからベイズはノアールの歴史舞台にその名を登場させた。

 ベイズはガトー星を回る衛星ロールに作られた地下都市。ガトー星は、現帝王が居住し政治の中心となっているシフォン星と太陽と呼ばれる恒星をはさみ同一軌道を対称に回る惑星である。ロールの外気温は120度からマイナス160度。通常ならば人間は生活などできない。その地下に人の住める場所を建設したのはガトー星を支配するマー一族。

ガトー星は3000メートル級の山々が星全体に走る異様な景観を持つ星である。星の全てが鉱物資源で、その研究と利用方法を開発するために科学力と技術力が目覚ましく発達した。優秀な科学者と有能な技術者によって産業が発展し、より便利でより快適な生活がおくれる環境を作り出していった。ロールには地下都市のベイズとドームで覆われた地上都市ゼンとがある。どちらも科学の実験の場として作られた人工の空間だ。ロン・ウーの末裔が世の中に登場して以来、その才能を育むベイズは生活環境の実験場としてあらゆる分野の著名人や珍客が訪れ、色々な実験を行い成果と失敗を世に送り出している。

 ロン・ウーがベイズで築き上げた秩序は太陽を中心として栄えるこのノアール帝国の行政システムの基盤として今なお受け継がれている。その一つに教育制度がある。子供は5才になると全寮制の教育院で10年間、学問と社会生活の基礎を学ぶ。卒業と同時に職業に就くかその上の学問を積むかは本人の自由選択。ほとんどの学生が職に就くが、学問を選択した者は更に5年間研究院へ通い知識を養う。その先は役人か教育者か研究者の道を選ぶこととなる。この制度は300年前からノアール帝国全星に導入され、今やベイズに限らずどこでも同じレベルの教育が受けられるようになった。しかし、優秀な人材は未だにベイズ出身者で役人の半数以上がベイズ生まれであり中央行政の担い手となっている。このため、子供をベイズへ送り教育を受けさせることがここ数年の流行らしく、ミヤコの友達でも何人かはベイズ生まれではない。

 これだけ脚光を浴び様々な人が訪れ生活をしているベイズだが、未だに敗北者の都市としてのレッテルは貼られている。ベイズ生まれの人間は他の人々とは扱いが異なる。その最大の違いはICコードだ。ノアール帝国ではシフォン星にある中央政庁の法制省において生まれた子一人一人をICコードで管理する。出生の届け出があると基礎記録が施されたICチップを赤ん坊の右肩へ埋め込む。これでその子がどこで何をしているのか管理できる。ところが、ベイズで生まれた子供にはこのICコードは付与されない。

 ベイズの出入口は都市の一画にもうけられたポートセンターのみ。そこから上の世界ゼンにあるポートセンターへ転送される。ゼンにさえ出られれば、ガトー星へもシフォン星へも自由に行くことはできる。この転送手続に必要なのがICコードだ。親と一緒でもICコードを持たない子供は転送許可が下りない。ベイズ生まれの子供がICコードを手に入れるには教育院の卒業が絶対条件となっている。つまり、教育院を卒業しない限りベイズ生まれの人間はこの地下都市からは一生出られないことになっている。

 その理由は、優秀な人材がこの都市から大量に排出されているという歴史的事実と現帝王の姓が帝国創立時のリーではなくウーであることとに関係しているらしいのだが、ミヤコには詳しいことは解らなかった。

 それでも、ベイズから出られないという事実だけは揺るぎないものだ。

「…どうしても見たい。空と太陽…」

 ミヤコは14才。来年は教育院を卒業する。そのときには自分の進路を決めなくてはならない。外の世界を何も見ずに将来を決めることなど到底できない。と、ミヤコは感じている。友達に聞いても誰もそんなことは考えないらしく、ほとんどの子が自分の進む職業を決めている。美容師だったりパン屋だったり軍人だったり。

「私には何ができるのか、でしょ…やっぱり…」

 ゼンから来たサッカー青年と出会い、表の世界へのあこがれが一段と膨れあがっていた。

 

 翌日、教育院の校庭の隅に何やら機材が積まれていく。昼食の時間にはその山がかなり高くなっていた。放課後、今日もサッカーの練習のために元気よく校庭へ出てきたミヤコだったが、機材の山が気になって仕方がない。練習にも身が入らずボールもそっちのけで見詰めていた。

 頭を小突かれる。

「そんなに気になるなら自分で確かめてこいよ。棒みたいに突っ立ってると邪魔だ!」

 苦笑して立っているのは幼なじみのロイカ。ベイズ特有の透き通るような金髪にりりしい眉と四角い顔、漆黒の瞳。見るからにスポーツマンの一つ年上の男の子である。ミヤコはこくりと頷いて走り出す。

 機材の山は長細い板状のものが何枚もそして見たことのない黒い物質が詰まった袋が何個も置かれている。一体何に使うものなのか。

 以前は水を貯めて魚を飼う実験をしていた数人の老人がいた。毎日こっそり覗いていたのだがやけに色が鮮やかで味はきっと不味そうだなと直感した。その魚が目に見えて育つわけでもなかったし、かといって死んだわけでもなかった。食べもしない魚の様子を真面目な顔で何ヶ月も見守り一喜一憂する老人達の姿の方がミヤコには興味深かった。

 またある時は、得体の知れない立方体を何個も校庭の隅に置きその温度を測ったり形の歪みを測ったりしていた。2か月も過ぎた頃、その箱が紫や黄色に変色していたときにはさすがに気味悪く、近づこうとはしなかった。

 今回は何が行われるのだろう。暫く眺めていると教育院の院長と白髪が交じったとても温厚そうな初老の紳士が機材の山へ近づいてくる。

「…明日組み立てますが、学生さんには目障りでしょうかね」

「若干一名を除いて、おそらく、問題はありませんからどうぞご自由に」

 院長は肩をすくめると穏やかに笑った。

「いやあ、このベイズで植物に触れられるなど夢のようですよ。是非、実験を成功させてください」

 普段厳めしい顔ばかりしている院長が優しい瞳で懐かしそうに呟く。

「観測データによると人工採光は光量が一定の上に規則正しい周期で回っていますから、恐らく失敗は無いと思われます。私もここに花を咲かせられたらと願っております」

 そこへ昨日のサッカー青年がパネルを手にやって来る。

「教授。あとは防水シートだけです」

「リュウ君。こちら教育院の院長先生」

「モアイ教授の助手をしておりますリュウと申します。よろしくお願いします」

「シフォンの研究院で首席とか。どうかすばらしい花をこのベイズにも咲かせて頂きたいですね」

「出来る限りの努力を致します」

 整った綺麗な顔でリュウは丁寧に頭を下げた。

 ミヤコは機材の陰で驚く。サッカー青年はリュウという名。おまけに超頭が良いらしい。

研究院はベイズにもあるが学ぶ学科や分野が一番豊富でレベルが高いのはシフォン星にあるものだ。機械工学や電子工学など技術と直結する分野ではやはりガトー星の研究院が群を抜いてトップだが、それ以外はシフォンに譲っている。レベル的にベイズの教育院や研究院がずば抜けて優秀ではないにもかかわらず役人としての人材輩出となると別。その辺も何故か不思議なところといえる。

 山と積まれた機材が明日組み立てられると聞いては、じっとしてなどいられない。ミヤコは心うきうき。すでにサッカーの練習など頭の中から完全に飛んでいる。ベンチに座り思案に没頭。板を組み立てるのだから四角い箱のようなものができあがるのだろう。あの黒い物質は量からいってその中に入れられるのかもしれない。

「…植物…それって確か」

 一目散に図書館へ駆け込む。

「ラートン先生。植物って何ですか。シフォンにあるものだって聞いたことはあるんですけど」

 何故、どうして、それからを10年近くミヤコに問われ続けてきた図書館の司書ラートンは今やミヤコの辞書代わり。豊富な知識を惜しみなくミヤコに伝授し続けている。

「植物か」

 ラートンは蔵庫リストの画面を叩く。

「ミヤコ。見つけたよ。まずは自分の目で確かめてごらん」

 広々とした図書館を迷うことなく目的地へミヤコを伴って進むラートン。植物図鑑と謳われた分厚い本を書棚から取るとミヤコに手渡した。

 ミヤコはさっそく中をめくる。綺麗な写真。美しい緑の葉、形も色も様々な花。説明書きがほどこされているが、実際に目にしたことが無いのでぴんとこない。薬になるとは。香水になるとは…。真剣に見つめるミヤコを微笑ましく見守るラートン。

 ベイズの教育院でこれほど好奇心の旺盛な学生は今までいなかった。この10年あまりミヤコが図書館に姿を見せなかったことは一日たりとも無い。

ベイズでは、今、自分に与えられている課題や作業に疑問を抱く者は皆無と言ってよく、その何事にも惑わされない不思議な集中力が身に付く。良く言えば知識が深まるのだが、悪く言えば、他への興味が沸かなくなり新しいことに挑戦する姿勢も無くなる。与えられたことだけを着実に正確に素早く処理すればそれで満足してしまう。まさしく役人の鑑のような人物ができあがるのだ。

 そんな特異な環境にもかかわらず、目の前の少女は次から次へと好奇心を燃やしている。不思議ではあるが何故か羨ましく、そして何か希望のようなものを感じざるを得ない。

「…そういえばシフォンからモアイ教授が移植実験に来るらしいが…」

「先生はあの人を知ってるんですか?」

 どうやらミヤコはすでにモアイ教授に会っているようだ。やはりこの好奇心はただ者ではないと無邪気な表情で自分を見上げているミヤコを見つめ苦笑した。

「植物はシフォン星にしか生息していない。ガトーでもゼンでも移植実験されたがやはり育たなかった。無駄な実験だと言えばそれまでなのだが、人間が輩出している二酸化炭素を吸収して育ち人間に必要な酸素を放出する、大気の循環コントロールシステムそのもののような働きをする植物を閉ざされた世界で活用出来たらとても有意義だとモアイ教授は力説した。花は人の心を癒すとも言われている。シフォンから出すと生息出来ない植物を太陽光のないベイズで育てるという、知る人ぞ知るプロジェクトなんだよ」

 ミヤコは興味深げに耳を傾けていた。

「うちの院長がシフォン出身ということもあって場所提供に名乗りを上げたようだね」

 懐かしげな表情はそのためだったのかとミヤコは納得した。

「ちょっかいを出すと今回はお目玉食らうだけではすまなくなるからね」

 ミヤコはにっこり笑ったラートンを見つめた。ばれている。この人には隠し事はやはりできそうにない。

「先生。明日、組み立てるって言ってたんですけど…」

「プランターだね。植物を植える場所を作るんだよ。院長はミヤコが見に来ることは分かっているだろうから、絶対に邪魔しない。それだけは約束しなさい。今回の実験でもしベイズで植物が生息できたら大変な成果だ。協力した院長の名誉にもなる。だからあの人は邪魔者を排除する気だからね。うかつに土を触ったりしたら退学になっちゃうぞ」

 ミヤコのエメラルドの瞳がきらきら輝く。

「土って? もしかしたら黒いもの? 袋に詰まって積まれているのを見たの」

 ラートンは特大の溜息をつく。どうやらミヤコの好奇心のスイッチがファンファーレ付きでオンになってしまった。こうなったらどんなアドバイスも耳に届かない。今は退学にだけはならないようにと祈るのみだ。

「先生。植物図鑑を借りていきまーす」

 ミヤコは来たとき同様、飛ぶように図書館を出て行った。

 積まれた機材を見上げるミヤコ。ここにどんな植物がやって来るのだろうか。図鑑をめくり想像は膨らむばかり。

 ベッドにごろりと横になり図鑑を開く。

「緑の色も色々なのね。不思議な生き物…生き物なのよねえこれって」

 成長もするらしいし色も変わるらしい。生きていると表現しても間違えではないだろう。そんなことをページをめくりながら考えているうちに寝てしまう。

 早朝の採光が窓いっぱいに拡がった。ミヤコはむっくりと起き出し校庭に出る。

 1日24時間1年408日。同じ時間に明るくなり同じ時間に暗くなる。ベイズの環境コントロールシステムは遥か昔から同じように動いているだけ。湿度も温度も全て一定。走れば汗も出るが通常は暑くも寒くもない。そんな環境を500年も維持しているのだからやはり凄いことだ。とは思いつつも、なんの変哲もない毎日に飽きてしまうミヤコは、自分一人が他の人とは違うことをこの頃特に感じる。何故自分にはずば抜けた集中力が身に付かないのか。考えるのが嫌いではない。考えているうちに次から次へと疑問が湧き、興味が生まれる。そうなると調べたり実験したりと疑問解決に行動してしまう。この落ち着きのなさが教育院始まって以来の一大事と両親は呼びつけられ躾がどうのと怒られている。自分でもどうして腰を据えて一つのことに取り組めないのかと時々悩む。

 髪の色が皆と違う栗色でしかも瞳も黒ではない。この身体的な違いが落ち着けない原因なのだと小さい頃は信じていた。ところが、ベイズ生まれの人間が透けるような金髪なだけでシフォンやガトーの人は髪に色があり瞳にも色々な色がある。シフォンからきた友達は濃い緑の髪に茶色の瞳。そして彼女は素晴らしい集中力を持ち、学年でも常に上位の成績を修めている。自分の落ち着きのなさは髪や瞳の色が皆と違うからではない。「大きくなれば落ち着くわよ」と呼び出しを食らうたびに母は笑って慰めてくれるが、未だに次から次へと沸き上がる好奇心を押さえ込む術が分からない。

 今の興味は目の前に積まれた機材。これらがプランターというものに姿を変え、そこに土という物質が入れられ、図鑑で見たばかりの植物という生き物がやって来る。この胸のときめき好奇心をかき立てる未知の世界、このわくわくを押しとどめることなどどうしてできるだろうか。

 成功すればノアール帝国始まって以来の快挙となる植物の移植実験。自分で志願したとはいえ責任の重さを考えるとリュウは熟睡出来ないで朝を迎えた。校庭に出て背伸びをする。朝という清々しい空気では決してない空間。深呼吸して肺に流れ込む気体が生暖かい。

 シフォン星の朝は空気がひんやりしていて眠気を覚ますには最高だ。草の匂い、花の匂い…自然が醸し出すあらゆるものが混ざり合った複雑にして魅力的な朝の空気。木々の葉に残る露が白い湯気を上げて蒸発していく神秘的な景色が心に安らぎを与えてくれる。そして朝日を運ぶ一条の風。さわりと木々が揺れ花が揺れ鳥が鳴く。ごく当たり前の朝の光景。しかしここには、刻々と変化する光の明るさだけしかない。

「異様だよな、こんな朝」

 溜息をついてふと辺りを見回すとプランター機材の前に立っている人影に気づく。悪戯でもされたら大変と近寄って足を止めた。

 人工の光ではあるが淡い朝日の採光を受け輝く瞳で機材を見つめるショートヘアーの女の子。決して美人とは言えないがこぼれんばかりの笑顔は言葉以上に美しい。

「おはよう」

 急に声をかけられミヤコはおののく。

「…あ…」

「興味があるみたいだね」

 整った顔に優しく微笑まれミヤコはどぎまぎした。

「植物を…」

 リュウはミヤコの肩をぽんと叩く。

「院長先生が言っていた好奇心旺盛な学生って君のことかな?」

 ミヤコはうなだれる。今まで何度院長に怒られてきたことか。教育院で行われる実験や観測を覗かなかったことは自慢ではないが一度もない。いや、覗くだけなら院長も怒鳴らないだろう。ついつい興味に駆られ手出しをしてしまう。観測機材を壊したことはないが実験対象を踏みつぶしたことはある。人形をしたばかでかい紙が校庭の隅に何枚も並べてあれば誰だって興味を持つ、とミヤコは今でも反省していない。

「…たぶん…」

「良いことだと思うよ」

「…え!」

「色々なことに興味を持つことは良いことだと思う。そうじゃなきゃ新しいことに挑戦出来ない。ベイズの人たちはあまりにも真面目すぎると僕は思うけどね」

 ミヤコは想像もしていなかった言葉に何故か警戒心を抱いた。ベイズにいて好奇心を褒める人間など皆無だ。この男は何かを企んでいるのだろうか。自分が今回の実験にちょっかいを出し退学になることを願っているのだろうか。そうなれば憧れている表の世界へは二度と行けなくなる。綺麗な顔の裏には時として悪辣なものが潜んでいるものだ。この男には関わらないほうが得策だ。ミヤコの本能がリュウの何かを嗅ぎ取った。

次の瞬間、ミヤコは宿舎へと走り去っていた。

「…な、何?」

 別れの言葉もなしにいきなり走り出したミヤコ。ご機嫌を損なうことを言ったのかと一瞬面食らったが、彼女が残していった視線にははっきりとリュウに対する敵意があった。

「…鋭いな。こりゃあ簡単には事が運ばないかな…」

 肩をすくめ苦笑するリュウの眼光は植物研究を生業とする者の光ではなかった。

 プランターの組み立て作業が始まる。リュウとあと二人の助手とで手際よく作業は進む。大きなプランターが全部で10個。校庭の隅に並ぶ。ミヤコは校庭で行われている作業が気になり講義どころではなかった。総てが上の空。先生陣もそのことは承知している。落ち着きのないミヤコを見て見ぬふり。一日の講義が終了した。

 ミヤコは校庭へ駆け出る。だが、素直にプランターへ近づけない。朝、リュウに対して取った態度を悔やんだ。何故あんなにも攻撃的になったのか。自分の行動が理解出来なかった。興味はある。見てみたい。しかし足が動かない。

 不意に手を捕まえられ引っぱられた。見上げた先にあったのは優しい微笑みのリュウ。

「あのー」

「これからね土を入れるんだよ。やってみるかい?」

「…えっ…」

 ミヤコはもう一度リュウを見上げる。

「今朝も言ったよね。好奇心は素敵なことだって」

 にっこり笑っているリュウの表情はとても穏やかで温かい。ミヤコは半信半疑でリュウを見つめるばかり。

「…本当に私がやっても良いの?」

「勿論」

 嘘のないリュウの頷きにミヤコの表情はやっと和らぐ。勇んで三歩進んだがぴたりと歩みを止めた。

「…院長先生に怒られるから」

 リュウはミヤコの肩を抱くとくすくす笑う。

「大丈夫だよ。僕がねちゃんと話をしたから」

「リュウ…」

「今度のプロジェクトはかなり重要なものなんだよ。植物を育てるということは短時間ではできない。毎日手をかけてやらなければならない。興味を持ってくれる人が一人でも欲しい。だから院長先生に君を僕の助手にしたいと申し出た。相当驚かれていたけれど、承知はしてくださったよ」

 リュウは苦笑しているもののミヤコに向けられた瞳はとても温かい。

「助手が手伝って当たり前。胸張ってこれからの作業に加わって欲しいんだけどな」

「ありがとう! 本当にありがとう」

 深々と頭を下げる素直なミヤコ。

「今朝はごめんなさい。私、なんだかちょっと変だった気がする」

 真面目な顔で再度頭を下げたミヤコには、リュウが一瞬顔を強ばらせたことなど見えるはずもなかった。

 渋い顔をして仁王立ちしている院長を尻目に、ミヤコは瞳をこの上なく輝かせてリュウの指導の元、土というものをプランターへ入れて行く。さらさらとしているが何となく湿り気がある。初めて嗅ぐ匂いは表現のしようがないがあえてというならば、父が極々希に頼まれて料理をする生の野菜というものにどことなく似ているかもしれない。

「明日は種まきだね」

「種まき?」

「図鑑に載ってなかったかな。実とか種とか」

「…実…果実は人間が食べるって…種って種子植物の胚が包まれているものって書いてありました…世代交代の手段には球根もあるって…確か…」

 リュウは大きく頷く。

「ラートン司書が仰るとおり。なかなか優秀だね」

 嬉しそうに微笑むリュウ。ミヤコはぽかんとリュウを見返す。

 ミヤコの助手抜擢はラートンの推薦によるものだ。プランター組み立て作業をしていたリュウのところへラートンがやってきてどうしても手伝わせてやって欲しいと頼まれた。

 植物図鑑を宝物のように借りて行ったので相当なところまで読んでいると。知識の豊富さと頭の回転の速さはベイズ教育院始まって以来の持ち主だと。本人は皆のような集中力が無いと嘆いているが、講義内容が理解出来ていないのではない。それ以上に興味が沸くだけで、沸いた興味の分まで自分のものにしようとしているために時間もなくやることが多いだけ。それでも疑問は全部解決してしまうし、やりたいことはやり通してしまう。その意志の強さと行動力には目を見張るものがあると。ベイズ以外の教育院にいたならば必ずや希代未聞の秀才と言われたであろうと。

そこまで賞賛するのだったらお試しも良いかなとリュウは頷いた。

 植物に関して何の知識もなかった者がたった一日で、種や実のことをきちんと理解しているとは驚きだ。これならば充分観察の役に立つとリュウは確信する。


 教育院の食事は宿舎の来客棟にある食堂を利用する。宿舎の中でこの食堂だけは男女が一緒になる場所だ。夜の9時まで自由に使え、コーヒーを飲んだりお菓子を食べたり、時には男女の愛を育んだり。食後、ミヤコはサッカー仲間に囲まれる。

「来週の試合の相手はガトーでも屈指のチームだ。後半からはミヤコ絶対必要だからな。明日から練習怠けるなよ」

「明日から…」

 気のない顔にロイカが溜息を漏らす。

「新しい実験に首突っ込んでるんだろ。それはそれ。試合は試合。けじめつけろよ。それができないなら辞めちまえ。じゃなきゃみんなが迷惑する」

「…そうだよね…考えさせて」

「明日答え出せよ」

 サッカー仲間はぞろぞろと食堂を出て行った。ミヤコは真っ暗で何も見えない窓により溜息を漏らす。鼻先にコーヒーの香りが漂う。

「厳しいね、みんな」

 コーヒーカップを差し出したのはリュウだった。

「…どうしてここに…」

「明日から手入れがあるからこの宿舎に居候させてもらうことにしたんだよ。町へ出る時間が勿体ないから」

 確かに。教育院はベイズの外れに立っている。敷地面積は16キロ平方メートル程。講義棟と研究施設が10棟あり宿舎が20棟、来客用の宿泊棟が1棟、クラブ活動用の部室が1棟。一大都市なのである。校庭は更にはずれなのでここから教育院を出るとなると30分以上歩く。ホテルやレストランのある市街地は更に2時間以上歩く。リニアカーに乗ったとしても20分。往復を考えればもっともの選択だ。

「ミヤコ。君が植物に興味を示してくれるのはとっても嬉しい。手伝ってもらえるのもね。だけど、友達はもっと大切だよ。ここの講義も。だから、君がやらなければならないことはやって欲しい。僕の言っていること分かるね」

 ミヤコは微かに頷く。

「でも種まきが…」

「それは明日の昼休みにするから。ちょっとだけお昼早めに食べてプランターへ行こう。必ず君にも手伝ってもらうけど、全部じゃない。もし君が講義をおろそかにしたりサッカーを辞めたりするなら助手は解任だ。一切の手伝いは断る。いいね」

 リュウの言葉は厳しいが表情は優しい。ミヤコはこくりと頷いた。

「よし。聞き分けがよいね」

 リュウはおいしそうにコーヒーを飲む。

「ねえリュウ。放課後には種まき終わっているの?」

「ああ。プランター3個分だから3時限までには終わるけど」

「じゃあ、サッカー教えて私達に」

「僕が?」

「リフティングめちゃ上手かった。かなり上手いと思うんだけどな」

 リュウは笑った。

「ばれたかあー。4年前の帝国競技会で優勝したんだよね。実は」

 優雅に笑うリュウ。ミヤコは絶句した。 

 昼休みのチャイムが鳴り響く。テキストを自分の部屋に置き、矢のように来客棟の食堂に駆け込む。すでにリュウがテーブルにいた。ミヤコを見つけると片手を上げる。

セルフサービスのプレートを手に二人は並んで料理を選んだ。向かい合って食事をする。おいしいと満面の笑みで料理を口に運ぶ無邪気で素直で明るい子。決して美人ではないがとても好感が持てる。今までつきあってきた数知れない容姿共に魅惑的な女性の誰よりも、男の子に混じりサッカーをする活発な男勝りのミヤコに男心が揺さぶられようとは。

「リュウ? どうかした?」

 顔色を読むのも天才だ。プレイボーイも焼きが回ったか。リュウは苦笑する。

「何でもないよ」

 ここは紳士的に笑ってみせるのが一番。ミヤコは小首を傾げ微笑んだ。

 プランターの土を少し掘り浅い溝を作る。そこへ種をぱらぱらと蒔いて行く。一畝ミヤコにやらせる。種の小ささに驚いたのか暫く無言で手のひらの種を見つめていた。リュウが手本にとやったとおりミヤコもぱらぱらと種を蒔く。うっすらと土を被せて終了。

「あとはね、水を撒くんだけどね」

 シャワーよりもはるかに粒の細かい水滴が出る入れ物を渡される。リュウの真似をして静かに静かに土にかけた。水を撒くなどという経験はしたことがない。どれくらいの量をかけるのかも見当がつかない。

「さてさて。これからが勝負。ここの環境は一定温度と湿度が保たれるようになっている。人間には快適でも植物にはちょっと苛酷でね。水の蒸発を防いでやらなきゃならない。その加減が最大の難関かな。栽培観察開始だからね。明日から頑張ってくれよ」

「はい!」

 ミヤコの瞳がきらきらと輝く。

「さあ、そろそろ講義が始まる。しっかり勉強するんだよ」

 こちらも素直に頷くと講義棟へと走って行く。

 ミヤコの後ろ姿を眺めながらリュウは嘆息を溜らす。

 確証はないがミヤコが自分の探している人物である可能性はかなり高い。図らずもサッカーを教えることになった。再度確認することはできる。しかし体の証が絶対的な決め手とはいえない。もう一つ決定的な証が無ければ。それに尋ね人の名前はイサヤだ。任務の遂行はしたいが、ミヤコを暗雲立ちこめる諍いの中に連れ込むのは嫌だった。できることなら別人であって欲しいと心の中で思い始めている。

 講義が終わり校庭にはバレーやバスケやテニスをするために学生がぞろぞろ出てくる。男の子に混じってミヤコが現れる。サッカーコートにはリュウが立っていた。

「何だよあいつ」

 牽制する男子。ミヤコがロイカのTシャツの裾を引っ張る。

「あの人ね。4年前の帝国競技会で優勝した人」

「…4年前? ってシフォンの第1教育院のチームってことか?」

「リュウっていうのよ」

 ロイカは一瞬考えて大声を上げた。

「まじ! リュウって…帝国軍リー総帥の三男で第1教育院を首席で卒業。ずば抜けた運動神経の持ち主でスポーツは何をやらせても万能。特に10年間続けたサッカーは天才的な技術だったっていう幻の選手。そのリュウ・リーなの?」

「え? えっ? えー!」

 ミヤコも詳しい事は知らない。ただただプランターのことで知り合っただけだ。ミヤコはリュウに駆け寄る。

「今度こそ、ばれちゃったかな」

 リュウはミヤコを見つめて苦笑した。

「あなた、何しにここへ来たの」

 ミヤコの真っ直ぐな鋭い視線にリュウはほんの少し寂しそうに笑う。

「シフォンの植物の移植だよ。今は研究院の院生だ。モアイ教授の助手として、どうしてもシフォンの植物を移植したい」

 重く響いたリュウの言葉にミヤコは息を呑む。リュウにとって植物の移植は単なる実験ではないのだ。もっと何か別の意味がある。もっと重要な意味が。しかし、にっこり笑って「練習しよう」とみんなに声をかける姿からは、植物移植の本当の意味を読み取ることは不可能だった。

 幻の選手の技術は本当に素晴らしい。15人呆気にとられながらも指示通りボールを扱うと予想以上にパスが通る。シュートが決まる。リュウの指導でミヤコ達のチームは格段に技術を上げた。そのリュウがミヤコの足の速さとボールを扱う能力を買っている。

「明日の試合、どこでミヤコを使うかだな」

 食堂でリュウは腕組みをする。

「フルっていったって、そりゃ無理だよなあ」

 仲間もリュウと一緒に唸っている。

「相手はガトーのどこだっけ?」

「第3教育院」

 リュウはふむふむと頷く。

「体力だけは一流ってとこだからなあ…ミヤコに抜群の運動神経があっても、マッチョな野郎どもには、やっぱり敵わないし…前半終了間際に投入かな。ま、女の子ということだけで相手は必ず気を抜く。そこがチャンスだね。で、1点頂き。いつもの調子でカットしたら突っ走るんだよ」

「分かった」

「後半はマークがきつくなる。できるだけみんなでカバーすればもう1点くらいはもぎ取れるはずだ。これで勝てるね」

 リュウは楽しそうに笑う。おーとみんなで雄叫びを上げ解散となった。

「ミヤコ。ちょっと良いかな」

 みんなと食堂を出ようとしていたミヤコをリュウが呼び戻す。

「…はい」

 ミヤコはみんなに手を振るとリュウの元へ。

「明日の朝、ちょっと早起きしてくれるかな」

「朝?」

「そろそろ芽が出る頃だよ」

 ミヤコの顔が一瞬にして輝く。この素直な笑顔には骨抜きにされそうだ。リュウは照れるように笑った。

「特別僕らがやれることはないんだが、芽が出たら今まで被せてあるシートを外さなきゃならないからね。それにね。来週は苗が届くんだよ。3個のプランターに花の苗を植えることになる。来週が待ち遠しいかな」

「あの…今度のお休み、もしも良かったら私の家へ来ませんか?」

「ミヤコの家?」

「ベイズではちょっとしたレストランなの。父の料理はとびきり美味しいのよ」

 くすくす笑うミヤコの嬉しそうなこと。寮生活で許される外出は半年に一度の里帰りだけ。家族との団欒はとても貴重な時間だ。

「お邪魔じゃないのかな?」

「全然」

「そう。じゃあお言葉に甘えて」

 リュウはミヤコの手を握る。驚いているミヤコの体を抱き寄せる。

「…リュウ?」

 困惑しているミヤコの顔を覗く。

「明日の試合、頑張れ。ミヤコなら絶対にゴール出来るから」

 ミヤコの耳元でささやくように微笑むリュウ。

「僕がついてるから」

 優しい温かい言葉と大きな胸。ミヤコはなんて心地の良い場所なのだろうかと思った。男の人にこんなに優しくされたのは初めてだと感じた瞬間、顔から火が出る思いでリュウの胸から飛び退いた。真っ赤になったミヤコはおやすみなさいと言ったつもりだが声が震えて言葉にならなかった。一目散に駆け出し食堂から消える。

「…参ったな」

 リュウはどっと椅子に座り込む。

 どうやら年端も行かぬ男の子といっても良いくらいの少女にハートをそっくり奪われた。

「異端の瞳か…女泣かせのリュウはどこへ行ったんだか…どうもベイズは調子が狂うよ。やっぱ、ここって何か埋まってるのかね」

 リュウは特大の溜息をつく。

 翌朝。リュウはプランターに被せてあったシートを外す。思った通り芽が出ている。あとは水分調整さえ間違えなければ花は咲くはずだ。種からの発芽はどうやら成功のようだ。向こうの環境で育った苗は果たしてベイズで育つのか。そして最大の目的、シフォンの椎木は…。

 ノアール帝国の紋章にも使われている椎木は、帝国の創始者シェン・リーが、実は食用となり人を助け、生い茂る葉は一服の安らぎを与え、朽ち葉は大地の肥やしとなり次の世代へと命を繋ぐ糧となると説き、ノアール帝国の永遠の平和と繁栄の象徴として大切にした。そしてシフォンのあちらこちらに植えさせた。今から100年程前まではそれはそれは緑豊かなシフォンだったという。ガトーやゼンの金持ちが居宅をシフォン星に建設するようになってから町中に点在していた椎木の林は姿を消した。結果、帝王の居城とごく限られた場所でしか見ることができなくなってしまった。

 リュウの生まれた家が代々帝国軍の総帥を継ぐ家だという関係で、帝王の居城の隣に家の敷地があった。隣と言ってもリニアカーで30分以上走らなければ居城の城壁には辿り着けないし、川が走り池が3つも点在するところなので「家の敷地」という意識は全くない。自由に遊べる原っぱが延々続いているという感覚だ。子供の頃は城壁をよじ登り居城に忍び込んではリスやキツネを追いかけ回して遊んだ。空を覆い隠すほどに茂る椎木の葉を見上げ人間の小ささを自然の偉大さを子供ながらに感じた。四季で全く違う姿を見せる落葉樹の椎木。輪廻の妙と自然がもたらす畏怖をこの歳になると感じる。帝国創始者が大切にした意味が何となく解りかけているこの頃。

 その大切な椎木を、実を食べに来るキツネが嫌いだからという理由で伐採しようとしている愚か者が居城内に住んでいる。誰がどんなに説得をしても聞き分けられるほどの明晰な頭脳は持ち合わせていないが、自分の意志を貫ぬかせる権力だけは誰よりも強い。歴史的にも自然保護の観点からも貴重な居城の椎木が数ヶ月のうちに姿を消すのだ。いや、あの馬鹿王妃が切らなくとも、今のままではシフォンの自然は戦火に晒される可能性が高い。だから自分がここに居るのだ。

 リュウは朝日の採光だけが拡がる天井を見上げた。できることなら争いなど起こらないで欲しい。素直で明るく聡明で快活なミヤコの純真無垢な輝く笑顔を奪わないで欲しい。

 リュウは生まれて初めて神様に願いをかけた。

「凄い! これが芽なのね」

 弾けんばかりの声と笑顔。

「わあーこれって種の皮かなぁ」

 双葉の先端についている黒いものを見つめてミヤコは興味津々。

「リュウ。隣のシートも外して良いのよね?」

 リュウは無邪気なお姫様の笑顔を見つめ、今は、少なくとも今は、先のことなど何も考えないでおこうと心に言い聞かせた。

「慌てないの」

 リュウは残り二つのプランターのシートを外す。列をなし一斉に発芽した種達。

「双葉が開いてるのもある! なんて、なんて可愛いの」

 ミヤコは3つのプランターの廻りを歩き芽を眺めていたが、ふと足を止める。

「リュウ。命って凄いのね」

 静かに動いた唇から思いもよらない言葉が零れた。真剣なミヤコの横顔をリュウは嬉しそうに見守った。

 この子になら暗雲の中から希望の光を導き出せるかもしれない。荒廃した大地から新しい椎木を芽吹かせることができるかもしれない。リュウは心の中でそう呟いた。 


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