静寂に朽ち果てて(2)
人は皆、誰かと助け合って生きている。そうやって、誰かに頼って縋って生きてきた。それは、俺も例外ではない。それは、人間が生きていく上で当然のことだ。だから、生きるのが辛いとか、死ぬのが怖いとか。そう言う感情はあっておかしくはないものだ。
「死ぬのが怖いです」
「……誰だって、死ぬのは怖いですよ」
誰かに感情を吐きだして、共感して貰いそれで自分は納得する。もちろん、納得しない人も居る。それは人それぞれだし、ましてや誰にも言わない人だって居るのだ。そこにどんな感情があるのかなど知りたくもないというのが本音だ。人間というのは、自分に不合理なことには見向きもしない、弱者に対して辛辣な生き物であると俺は思う。
「どうして神は、私達を見離したのでしょうか」
「神は、元より傲慢で理不尽な存在ですから」
あなたが見離され、その天命によって『死』を迎えるというのは神の、創世の神の気紛れでしかないということですよ。神々は傲慢で、保守的で、それでいて残忍。傲慢を着た神と言われる創世の神はその象徴だ。彼の神を崇拝する者は多く、その神に見離された者は神の怒りを買ったと言われているが果たしてどうだか。それが本当なら、俺だってそうなのだろう。かつて、創世の神を殺そうとした神と契約している俺も。
「ですが、貴方は大丈夫ですよ」
「え?」
「――忘却の神により、貴方は救われることとなりましたから」
その一言は、劇薬だ。自分は救われる存在であると自覚した瞬間に意識が落ちる。誰も彼もが、結局のところ奇蹟に縋る。緩やかな眠りに落とされた目の前の『天命』に見離された者は次に起きた時全てを忘れて生きていくのだ。それが本当に救いであるのか、酷であるのかなど俺にとっては分からない。
「忘却」
『――天命の記憶よ、消失せよ』
記憶を媒介にして、そこに刻まれた天命を消す事は記憶を司る忘却の神にとっては容易いことだ。消された天命は神の特別権限で書き換えられる。神という存在は傲慢で、保守的で、それでいて残忍。例えそれが慈悲であろうと恩赦であろうと進むのは何の救いもない茨道でしかないのだから……それを、知っている。
「神は貴方を救うと言った」
届かぬ声は静寂に朽ちて。落ちて、響くことなく散る。神々はいつだってその言葉の意味を果たさない。果たそうとせず、自分自身が楽しければよいという極めて自分勝手。だが、それが神という存在だ。人間は誰しも、神を崇拝し偶像し続けている。それが、酷く滑稽である事なんて分かっていないのだ。神は、縋るよりどころなのだから。
「だが、本当は何一つ救ってはいない」
天命を消しても、書き換えても過去は消せない。改竄による茨道は、何の救いにもならない。神は元より、人間を、天命という神の必然たる事象における副産物を救おうとなどしていないのだ。同胞が犯した罪を清算するために、同胞の所業を壊すために、結局は己のことしか考えていない。
「神々は、誰も救えない」
救わない、ではないのだ。救えない、その一択のみ。結局、人間というのは無力の塊でしかない。己が何かをできると考えている人間ほど、何もできない。そんな雑念を感じ取ったらしい忘却に溜息をつかれた。
「何だ」
『また下らぬことを考えていたな』
「俺は神じゃなくて人間だからな」
神と人間は全く違う、唯一似ている所を挙げるのならば、同じように考えて動くという所くらいだろうか。人間が産まれる以前からいた神々にとっては、人間の方が神々の複製品みたいに思えているらしいがそんなことは知ったことではない。所詮は共に、形を成しただけの存在。
「忘却、お前はどう思う」
『……どう、とは』
その問いかけの真意は、忘却にとっては意外なものだったんだろう。何故なら、神にとって人間とはどうでもいい存在で、本来なら干渉に値しない存在。それが、あの傲慢の塊かつ勘違いな神によって干渉せざるを得なくなっているだけで。
「人間に生きる存在価値はあるのかないのか」
『人間たるお前がそれを聞くのか』
呆れた声が頭の中に響く。確かに、人間である俺がそんな問いかけをするのは神にとってはおかしな事なんだろう。
「そうだな、理由は単なる好奇心だ」
『好奇心、か……元々、お前はそういう存在だったな』
神々による結末を知りたいが為に、この神と契約した存在。それが、俺という存在だ。
『先に言うが、問いかけた神を間違えているからな』
「俺は忘却しか知らないから、そう言われても困る」
『その手の質問は開闢か終焉に聞くのが手っ取り早いぞ』
「何、そのいかにもラスボスじみた名前の神様は」
開闢の神と終焉の神。片方はこの世界の創世に関与した原初の三神の一柱で、片方はこの世界の終わりを導く、滅びの存在。そんな神が居たことなど、知らなかった。創世記神話に、開闢の神の名も、終焉の神の名も載っていなかった。
『開闢は、この世界を創ってすぐに雲隠れした神だから、創世記神話には載ってないよ』
「終焉の神は?」
『アイツは存在が秘匿されていたから』
世界の最後を迎えるための神の存在が知られていれば、人間はそれに怯えて暮らさなければならない、そう言いたいのだろう。そもそも、開闢の神は何故そんな早々に雲隠れしたのか。そこが気になるんだが。
『開闢は、世界の基盤を作るだけ創って、後はやることはないと人間に干渉しないことを決めた』
「……つまり、世界の一番始めを創ったのは、創世ではない?」
『ああ』
まあ、開闢の奴は何があったのか魔族の男と契約しているみたいだがな。と呟く忘却。世界の始めを創ったのは、創世ではなかった。人間が知る神話では、創世が全てを初めて生み出したとされている。まあ、世界創生神話なんて嘘偽りだらけの滑稽な御伽噺でしかないんだろうけど。
『開闢が何も言わないのをいいことに、好き勝手やってるからな』
そうでなくとも、アイツは存在から嫌悪するレベルだがな。と吐き捨てる忘却の創世嫌いは本当にすさまじい。かつて、何があったのかなんて奴の記憶を見ればすぐ分かるが、本院がここまで嫌悪している記憶だ。この神ならば、意図的に封じていてもおかしくはないだろ。
『記憶を覗かないのか』
「……いつか、その時が来たら」
不意にからかうような、忘却の声が頭の中に響く。それに、いつかと答えたがその時が来ることなど、もしかしたらないのかもしれない。何一つ、忘却の真実を知らないままに世界の終焉を迎えるのかもしれない。それでも、今知るべきではないと思ったから、見ないという選択をした。
『そうか』
その答えに、忘却はそれしか言わなかった。多分、神故にこの先がどうなるかもある程度お見通しなんだろう。世界の終焉は、どのようにしてなされるのだろうか。それを見届けるまでは死ねないし、死ぬつもりもない。
「行こうか、まだまだ仕事は……創世の尻ぬぐいは、山ほどある」
『全くだ、何故アイツの尻ぬぐいなどせねばならない』
それは、同胞の後処理であり制裁。それがいるになるかなど知ったことではないが、創世にはいずれにせよ、現世と世界に多大な影響を与えたという制裁が成されると忘却は俺との契約時に告げた。創世が誰から制裁を食らうのか、というのは教えてもらえなかった。多分、教えてもらっても無意味なんだろう。
『創世が滅べば、世界の均衡は崩れる。世界って言うのは、全ての神々が存在してようやく成り立っているくらいには何もかもが概念的に弱い』
確かに、開闢は世界の基盤となる概念は創ったのかもしれない。けれど、それ以上を奴は創らなかった。それは、奴が形成した世界は概念でしか成り立とうとしないからだ。
そう今、説明されてもちょっと意味が分からない。それが分かったのか、忘却はもう何も言わなかった。世界の終焉、それは終わり。それまでに、どれほどの人を救済という名のエゴで救えるのだろうか。どれほどの歴史を垣間見るのだろうか。そう思いながら、次の街へと足を向かわせた。
「――神々は、誰も救ってはくれない」
救いに希望を見いだすことが、どれほど残酷だろうかと呟いて。
ご無沙汰してます。私事が無事終えましたので、各作品、更新を再開していきます。