天命の宿命
天命シリーズをオムニバス連載化しました。
プロローグは完全に世界観理論全開のため、読みにくくなっております。
この世界ができたのはいつの頃だったか。世界が創り出されるのは神の気紛れだ。そこに意味はない。そう言ったのは世界の基盤たる概念を創り上げた開闢の神である。彼の神が創り出したのはただそこに世界が「存在する」という概念のみ。それ以外は好きにしろと他の神に任せてさっさと雲隠れしてしまったことで有名な神である。
ただ「存在する」と言うだけの世界にまず自然という彩りを与えたのは自然を司り生み出す能力を持った花仙の神。よって、世界に最初に生まれたのは緑豊かな自然だった。次に生まれたのは動物や人間と言った「意識のある」生命。これを生み出したのはモノを創世する創世の神。彼の神は「意識ある」生命の他にも人間や動物が生きていけるためのモノを創り出した。そして、生きていく上で必要な知識を授けたのは知恵の神である。そして、神の中には人間と契約を結び、その能力で人界の規律を守ろうとした。
――ここで、大きな誤算が起きたことなど誰が知っているだろうか。神は創り出したモノに多少の干渉は認められてはいたが過干渉してはいけない。これは神の間でのルールである。しかし、創世の神はこれを密かに破っていた。創られた世界は酷く暇である。しかも、創世の神はこの世界を自身が創り出したモノであると酷く傲慢な錯覚をしていた。故に、自分の創り出した「意識ある」生命を玩具にして退屈しのぎをしようとしたのだ。
そこで目をつけたのが、「人間」という知恵の神によって高位の知能と「生」に強く執着する「意識ある」生命だった。人間にとって「運命」とは不可視であり偶然的な事象。しかし、神にとってはそれは可視できる絶対的な事象である。全ての神が「意識ある」生命の運命――絶対的な事象――を見ることができ、それは書のようなものに各個人ひとまとめにされてある。生まれてから死ぬまで、その書に勝手に書き綴られる運命。創世の神はこの運命を妨害することにした。つまり、彼の神が成したことは生まれる前の魂――人間が産み落とされる前の意識――に勝手に干渉し、その運命が書き綴られる事象を一部改竄したのである。この改竄は創世の神に付き従う改竄の神が行い、これによって運命という事象が狂い始めてしまった。 創世の神が人間の運命に過干渉したことによって起きた「定められた」運命。人間とて、バカではない。自身の何かが縛られていることくらい感じていた。そして、その終わりが死であることも。
それが創世の神によって「定められた運命」である「天命」である。たった1人の神のお遊びによって人間の「運命」そのものは彼の神の手中の中。運命という事象全てが創世の神によって縛られたと言っても過言ではない。人々がその真相を知ったものの、後世には伝えられなかった。今となっては「天命」とは創世の神によって「定められた」運命であり、決して縛られるものではないとされている。実際には縛れたままであり、その真実を知る者は極僅か。
そして、その「定められた」運命に見離された者も沢山居た。創世の神の気紛れ故に見離され、早期の死期を迎えた者達。見離された者の末路はたった一つ――死のみである。死を持ってして運命は終わる。それが運命の概念である。つまり、死が早ければ早いほど神に見捨てられたと言うことになる。
運命という事象は、どこまで残酷で非情でしかない。それを後世には伝えられなかった。伝わらなかった、だから今――「天命」という事象が狂いだしている。
見離された者達は、現在ごく一部がその狂いだした「天命」を、縛られた魂の救済の能力を持ち解放を図っている。見離されて死を迎えるだけの定められた運命に反抗するかのように、彼らは慈悲も感情も持ち合わすことなく救済を続けるのだ。見離されても尚、同胞を救いたいが故に。それもまた、仕組まれた運命だというのか。また、契約者達も契約している神の意向に沿う形で救済を行っている。全て全ては、創世の神のせいである。
「天命」という名の、神によって定められた運命は人間を狂いに狂わせた余興に過ぎない。そして、狂わされた運命はまた残酷にも誰かに酷な選択をさせて――終焉へと、歩み始めていた。
――――これは、定められた運命たる「天命」に見離され救済の能力を得た者達と神の契約者達の、「天命」に殺された者への救済と世界終焉への報われることのない物語。