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糸遊~きみにつながるひかり~  作者: 天水しあ
第九章『選択』
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「一息」

「お手合わせ後に着替えもせず、院子を散歩だなんて――汗が冷えて感冒かぜをひかれたらどうなさるおつもりですか。軽々に医師を呼ぶわけには行かないことはお分かりですよね? お湯もすっかり冷めてしまって」

 依軒が絶え間なく小言を言っているが、衝立越しなので神妙に聞く必要はない。体勢を入れ替える態でお湯を波立てれば、声そのものが聞こえない。


 ここは前室から繋がる、小部屋である。

 部屋、といっても独立した一つの建物で、六角形の石の床に、やはり六角形の木の湯舟が置かれた、いわゆる湯殿である。


 配された六本の柱が、六角形の屋根を支えている。柱と柱の間に細い板が渡され壁となっているが、屋根に接する数枚分は外されていて、そこから湯気が抜ける構造だ。


 桃華宮には他に大きな湯殿がある。

 蓮をあしらった湯船は、宮中の女官全員が入ってもなお余る広大で、温泉が常に滾々と湧いている。簾を上げると、昼は季節ごとに色を変える院子の明媚を、夜は怜悧な月や満天の星空を眺められるのだとか。


 美しい風景を愛でたいとも思ったし、広い湯船を泳ぎたいとも思った。

 芳倫にも勧められた。だが一度も、瑛明はその湯殿に行ったことはない。否、行けるわけがない。


 これまではもっぱら室内で身体を拭いていたが、部屋替えにより小さな湯殿が手に入ったおかげで、湯に入る機会が格段に増えた。湯を運んでもらう必要があるため控えめに使用していたのだが、最近は連日鍛錬をしているので、連日入っている。


 ありがたいことに、女官たちは進んで湯を用意してくれる。

 こちらから頼まなくても「今日はいつごろお湯をお持ちしましょうか?」だの「今日は松の葉をご用意いたしますね。お湯に入れると温まりますよ」だのと声をかけてくれるのだ。引きこもってばかりだったのを、相当心配されていたんだろう。


 そんな周囲の気遣いもあり、確かに泳げもしないし、殺風景でこじんまりとした湯殿ながらも、今では瑛明のお気に入りの場所だ。温かい湯は心身を解いてくれるし、衝立越しに依軒は控えているが、気兼ねも言い訳もなく一人になれる場所というのは、とても貴重だった。


 屋根の隙間からのぞく青空を目に映しながら、ほうっと息を吐いていると、

「瑛明さま、聞いてらっしゃいますか!」

 緩んだ空気を台無しにする苛立った声。

「聞いてるよ」

 言いながら肩越し振り返ってみたが、依軒の姿は、衝立の向こうのままだった。

 ほうっと息を吐いたとき、来訪を告げる振鈴の音が響いた。


 「依軒、衣装を……」慌てる瑛明の声を、依軒の大きなため息が掻き消した。

「追加のお湯を頼んだので、多分それでしょう。では、行って参ります。少々お待たせすることになるかと思いますが……」

「お待たせって……入り口で、台車で運んできたお湯を受け取るだけだろ? そこまで持ってきてくれたら、あとは俺が……」

 そう言う瑛明の声に、依軒はまたしても大きなため息を重ねてきた。

「受け取るだけならいいんですよ。受け取るだけでしたらね。『お手伝いします』という申し出をかわすのが大変なんです」


 それは。

 確かに、ここまで入ってこられたら、大問題になる。


「そうなんだ」

 瑛明は頷きながら、依軒が衝立から姿を見せないことを確認し、上半身を湯から出した。盥の縁で組んだ両腕に、顎をのせる。

「でも、お湯を運ぶのめんどくさいと思うんだけど、『今日はいつごろお湯のご用意をしましょうか』と声をかけてくれるだけじゃなく、手伝いまで申し出てくれるなんて。さすがは宮中の侍女、みんな親切だよね」

 そう、瑛明がのんびりと声を上げると、いきなり衝立から顔が出てきた。


 瑛明は声を出せないくらいに驚き――慌てて湯の中に身を沈める。

 派手な水音が立って、お湯がざばっと石床に流れた。

 たが依軒は何ら動じることなく、いやむしろ、冷ややかな視線を向けて来て、


「……まさかとは思っていましたが、本当にご自覚がないのですね」

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