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糸遊~きみにつながるひかり~  作者: 天水しあ
第八章『足音』
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「自決」

 「そうだね」瑛明は静かに言う。 


「私が悪かったんだ。こんな非常時に、私まで一緒になって冷静さを失ってたらダメだってことが良く分かった。本当にごめん」

 一気に言って、頭を下げた。

 「瑛明さま」慌てた様子を見せる璃音に応じるようにすぐ頭を上げ、

「もう二度と、後先を考えずに動くような真似はしないから」

 断固として言い切った。

「それを聞いて安心しました」

 その言葉を裏付けるように、璃音が目を細めた。

 こんなふうに感情を見せるなんて珍しい――思いながら、


「それは良かった。陛下だけでなく璃音にも何かあれば、弟殿に睨まれそうだから」

「それは……」

 璃音は、何故か口ごもった。珍しい。ということは、敵意を感じるのは俺の気のせいじゃないんだな――内心思いながら、瑛明は再び梅の花に向き直り、


「何か分かった?」

 小さな花にそっと触れながら、背後の璃音に尋ねた。

 「――いえ」璃音が低く答える。

「そう……」

 まあ、そうだろうな。


 中相のことなんて、露ほども疑っていないだろう。むしろ、中相が戻ってきたら相談してみよう――とさえ思っているかもしれない。 『敬愛している』

 突如脳裏に蘇った声が、口元を歪ませた。


 瑛明は密かに一つ息を吐き、

「あの通路を知ってるのは――創設者である先先王と、その子である先王と母さん、その乳兄弟、って言ってたよね?」

「はい」

「じゃあ、母さんの乳姉妹だった依軒は知ってるってこと?」

 「いえ」しかし肩越し振り返った先で、璃音は明確に首を振り、

「本来、乳兄弟は国師たる本家からから出すこととなっております。ですが玲華さまと同じ年頃の娘が当家におらず、遠縁筋の依軒殿が選ばれたと伺っております。ですから、依軒殿は確かに玲華さまの乳姉妹のお一人ではいらっしゃいますが、あくまでも玲華さまの身近の世話をするお役目であって、それ以上を当家から求めたことはございませんし、玲華さまも、そこはお弁えでいらしたかと」


 ――つまり、依軒は乳姉妹というより、雑用係だと言いたいわけね。

 控えめな物言いだが、真意ははっきりと伝わった。

 薄々は感じていたけれど、国師の本家の出であることを、璃音は誇りだと思っているんだ。

 まあ確かに、依軒は何も知らないんだろう。知っていたら、俺をあの部屋に絶対に一人にはしないはず。鍵さえかけておけば――勝手に部屋を出ることはない――そう思っての、《《あの》》行動だったんだろうから。


 ふうっと小さく息を吐いたとき、目の端に何かが留まった気がして、瑛明はそちらへと目を向けた。

 そこは十丈余りの木が立ち並ぶ一角。見頃はこれからであることを示すように、絡み合うように伸びる細い枝には、大小の丸い粒が点在していた。

 曇天の下、遠目に見えるその林には、桃色の薄い霧がかかっているようだった。

 あれだけの木、満開になったら、さぞ華やかなんだろうな。

 川辺で見た、あの、むせ返るくらいの――。


「もう、一年ですね」

 瑛明の心中を、璃音が声にする。


 「そうだねえ……」つられたようにしみじみと声にしたら、何故か笑みがこぼれた。

外界あっちではいつも、来年の今頃は、一体どこに居るんだろうと思いながら暮らしてきたけど、まさか別世界に居ることになるなんて、思ってもみなかったよ」

「そう、でしたか……」

 僅かに言い澱む声に、璃音の動揺が垣間見えた。その姿に、瑛明の心がふいに動く。


「ああそうだ、思い出した」


 瑛明の軽やかな声に、何事かと璃音が顔を上げた。見計らったかのように、瑛明が璃音に向き直る。

「そういや言ってなかったけど――来年も、再来年も、これからずっと、ここに居る。とっくに決めてるから」

 心のままにそう宣言したら、不思議なほど心が落ち着いた。


 あとどれくらい、ここに居られるんだろう――いつも、そう思って生きていた。

 外界にいたとき、いつもの道を歩いていても、家や学校であるはずの建物の中にいても、「自分はしょせん仮住まいの身」という思いが常にあった。事実、どんなに愛着を持とうと、結局はそこを追われた。

 だから誰と居ても、どこに居ても、笑っていても苦しくても、一方でそれを他人事みたいに見ている自分が、確かにいた。ここに居る自分は、仮の姿でしかないのだと。


 だからいつも、「帰りたい」と思っていた。


 「何処に帰る場所があるのか」思いながらも、「帰りたい」と念じ続けてきた。


 ずっと二人で生きていたのに、俺が傍にいても、どこか別の場所を見てる母さんを見るにつけ、「其処そこ」に行きさえすれば、母さんはちゃんと地に足をつけて、今度こそ俺を見てくれるはずだと――他の母親のように――そう自分に言い聞かせてきた。其処こそが、俺の帰る場所のはずだと。

 

結局、桃花源ここに来ても、母さんが俺を見ることはなかったけれど……。自ずと瑛明の口元が歪む。


 でも。

 目を瞠って自分を見上げている璃音に笑いかけながら、瑛明ははっきりと理解した。もう自分には、何の迷いもないのだと。

 もう、俺は自分で居場所を決められる。決めればいい――誰が、何と言おうとも。

「どこにも行かない。陛下のお傍からは離れない。絶対に」

 たとえどんな形であっても。

 他の何もかもを、敵に回すことになったとしても。


 ――だから、何を取って何を捨てるかも、俺が決める。

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