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糸遊~きみにつながるひかり~  作者: 天水しあ
第八章『足音』
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「誓約」

 衣擦れの音がして、王が背後を振り返ったのが分かった。

 「本当だ」瑛明の遥か前方、闇の中にちらちらと見え隠れする光がある。

 瑛明は背後を振り返った。

 下りてきた部屋から、おぼろげな明かりが斜めに差し込んでいるのが見える。思ったより遠い。

 この暗闇の中、あの灯より先にたどり着けるのか。


 「陛下」瑛明は膝をつく。


「お手を。どうか私についてきてください」

 「うん」硬い声。

 掌に手に載せられた指は、驚くほど冷たい。思わず、強く握ったら、同じだけの力で、握り返された。


「行きます、足元にお気をつけて」

 瑛明がささやいて、握った手を引いたとき、

 「そこにいるのは誰です!」背後から鋭い声が飛ぶ。


「璃音だ」

 明らかにほっとした声とともに、硬く握っていた手が、掌で解けた。

 王は背後を振り返ると、「私だ!」少し高めになった大きな声が、洞内に響き渡る。

「そちらにお見えなんですね! そのままお待ちください!」

 自身の肩の力が抜けたことも自覚しながら、瑛明もそちらへと向き直った。

 宙に浮いた手から逃れた熱に、寂しさを感じながら。


 速度を上げて近づいてくる火が、確かに璃音が手にする燈籠だと判ったと同時、灯がいきなり横に流れた。突如こちらに向けられた光に、瑛明が思わず目を眇めると、

「瑛明さま? どうしてこんなところに。あの黒櫃の鍵は新しくしたはず……」

 璃音の声には、明らかに戸惑いと不審が滲んでいた。 

 「あ」そうだった。

 そういや黒櫃も、あの部屋も、全て鍵が開いていた。おかしいと思ったはずなのに、すっかり忘れていた。あれは一体……。


「私だ」

 その声に、瑛明と璃音が振り返ったのは、ほぼ同時。視線を目を避けるように、声の主はそっと面を伏せた。


「私が新しい鍵を持ち出して、鍵を開けた」

「どうしてそんな……」

 言いかけた璃音は、すぐに言葉を呑んだ。


 洞内に、たちまち落ちる沈黙――だが、声にならなかった言葉は、瑛明を身震いさせた。

 多忙の身でありながら、人目を盗んでひそかに鍵を持ち出し、この闇の道を一人歩いて、あの黒櫃を開けて、あの部屋へ入って――それもきっと、一度に限ったことじゃない。

 向けた目の先で、その横顔はいっそう伏せられた。


 嗚呼もう、この御方は本当に、なんて――。


「……っ」

 傍らに立つ王の横顔が驚愕に固まるのを見て、それが息を呑む音だったのだと瑛明は知った。

 「璃音……」茫然と呟いてその場に立ち尽くしていた王が、慌てて彼女の傍に寄り、

「ごめん、私が悪かった。心配かけて、本当にごめん。お願いだから――泣かないで」

 璃音は何度も小さく首を振って、口元を押さえていた。どうにか感情を鎮めようとしているんだろう。たまらない気持ちが込み上げてきた。

「申し訳ございません、見苦しい姿を。――太史が騒ぎ出す前に、急ぎ戻りましょう」

「うん」

 王は素直に頷き、身を翻した璃音におとなしく従った。

 振り向きざまに投げてきた視線は、ほんの一瞬だった。


「璃音」

 瑛明の呼びかけに、歩を進め始めた璃音が足を止め、振り返った。王は璃音と瑛明を心配げに彼女を

「ごめん」

 璃音はしばしこちらを見つめていたが、小さく会釈をして、再び歩き始めた。


 瑛明が戻ると、室内は一層暗くなっていた。それでも洞窟内よりはずっとましで、ほどなく目も慣れてきた。

 黒櫃の周りに脱ぎ散らかしている衣装に苦笑して、瑛明はそれを一つ一つ拾い上げ、身に着けていく。

 部屋を出て、周囲を気にしながら歩いた。そのまま院子に下りる。

 鈍色の雲が敷き詰められた空の下を、そぞろに歩いた。ほどなく盛りを迎えた梅林が目に留まり、そちらへと足を向けた。

 近づくほどに濃くなっていく甘い香りにどこかほっとしながら瑛明は歩を進め、やがて歩を止める。辺りを紅色に霞ませる花をぼんやりと目に映していると、背後から足音が近づいてくるのが聞こえた。


「瑛明さま」

「うん」

 掛けられた声に振り返らず、瑛明は答えた。


「さきほどは取り乱しまして――申し訳ございませんでした」

「いや――璃音は、子供のころからずっと陛下のお傍にいるんだから――当然だよ。むしろ謝らないといけないのは、私の方だ」

 そう言って、瑛明はゆっくりと背後を振り返った。璃音はいつもと同じく感情の見えない表情をしていた。だけどほんのりと目元は赤い。

 さすがは陛下お付きの侍女、感情の制御ができていると思っていた。

 でもずっと一緒にいるからこそ、務めとして以上の感情が生じるのは当然だ。まして子供のころから一緒にいるんだから。陛下の姿がないことに気づいたとき、一体どんな気持ちだったんだろう。そう思ったら、謝っても謝り切れない。それはきっと、陛下も――。


「私は――怖いのです」


 璃音がふと目を伏せた。声が揺れる。

「陛下は――誰に逆らうでもなく、何も欲しがることなく、いつも穏やかで、冷静で、もっとわがままでもいいのにと、子供心にずっと思っていました。だけど貴方が現れてから、あの御方はおかしいのです。一人では怖いと言っていたあの地下通路を、貴方に会うために一人で何度も――それも私に黙って。今まで、そんなことは一度だってなかったのに」

 瑛明は、俯いたまま口早に言葉を重ねる璃音を黙って見ていた。


 「おまけに」璃音は深く息を吐き、「あんなことまで」


 無念とも悲嘆ともいえる悲痛な声に、瑛明はひそかに息を吐いた。


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