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糸遊~きみにつながるひかり~  作者: 天水しあ
第八章『足音』
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「仮説」

『おまえは、相当この地を『理想郷』だと思い込んでいるようだ』


 そう言われて、俺の言動の端々に、その思いが滲み出てしまっているんだと思っていた。

 桃花源に来たとき、俺は『桃花源記』の存在は話したけれど、詳しい内容は勿論、文章に触れたりはしなかった。


『だが考えてみろ。我らは外界の者たちと祖を同じくしているのだぞ。外界で起こることが、ここでは起こらぬわけがない、とは思わないか?』

 まるで見てきたかのような――異を唱える僅かな隙も無い正論で、悔しいけれど、認めるしかなかった。

 たった一代でこの地を大きく変え、揺るぎない地位を得ただけの独創性と手腕の持ち主だからこその、鋭い考察力だと思っていた。

 だけど。


 だけど、その何もかもが全て()、だったとしたら?


 伝統的な素朴さが色濃く残る中、やけに計画的に整備された市――まるで武陵のような。

 宮中よりも洗練された、中相の邸宅――まるで、外界の高官宅のような。


『志按さま』

 そして外界の雑踏、人群れの向こうにそう声を上げ、母さんが追った姿。

 あれは――強すぎる思慕が見せた幻――なんかじゃなく。


「いやでも、そんなはずは……」

 声に出してさえみた。

 だけど、足下から這い上がるように沸き上がった疑念を、どうしても消し去ることはできない。


 中相は、外界に行っていたのではないか?


 でも、どうやって城外へ?

 普通に考えれば、南門からというところだが、いくら中相でも、何の理由もなくあの門を出ることは許されないはず。いくら()()()()門番しかいないとはいえ、洞窟の出入りを、これまで一度も見咎めらなかったなんて、不可能だ。


 そうなるとやはり――地下通路か!


「確か……」

 通路の出口は、三つと言っていた。

 一つは北の城外、一つは、城内の中央に位置する王宮管轄の竹林内、一つは南の城外。


 瑛明は、牀台ベッド脇の小卓、三つある抽斗の一番下を開ける。そこに一通の封筒があった。

 取り出し、封筒から引き抜いた中身を、牀台に広げた。

 それは、この城内の地図――中相と王から同じものを贈られたので、一つはここ寝室に、もう一つは隣の居室に置いた。壁に貼ろうとしたら、「女性らしくない」と依軒に却下された代物だ。


「俺の部屋だったのは、確か――ここ」


 瑛明は牀台に片膝をつき、地図の上部、桃華宮の一角に人差し指を置く。

 「多分、ここらへんからまっすぐ南下して」言いながら、指を滑らせていく。

 そしてピタリと指を止めた。


「ここが王宮管轄の竹林」

 陛下と市へ行ったときに、使った出口だ。

 王師と璃宇が出迎えてくれて、女装した陛下と一緒に市を――少しだけ口元が綻んだが、それも束の間。


 瑛明は、僅かに目を上げた。目線を追うように、辿ってきた軌跡を、指先が戻っていく。ゆっくりと。

 再び止まった指先は、中相宅の敷地。西側部分である。

「ここは、あの竹林だ……」あの竹林のどこかに、地下通路に繋がる入り口があった?

 恐らく――最初からあったわけじゃないはず。すぐ南に王宮管轄の竹林内に出口があるのに、ここに作る必要なんかない。


 偶然? 

 意図的? 

 

 崩れたにしても、掘り当てたにしても、中相以外に気づかれずに――そこまで思い至り――瑛明は、ハッと息を止めた。

 俄かに蘇る、あの、冷やかな声。


『二度とこんな――育ちが知れると思われる、盗人のような真似をするな』


 胸を抉った、あの言葉。

 隣室に足を踏み入れかけただけなのに、そんなに怒るなんて――そう、思わなかったわけじゃない。

 だけどそれ以上に、いずれは奴隷か盗賊かと思いながら生きてきた自分に、あの言葉は僅かの容赦もなく突き刺さった。正論以外の何物でもなく、ただただ、自分を恥じた。


 だから翌日、中相から心配の余りと謝罪されたときには心底安心して、もう二度と、隣室には近寄らないと、固く誓った。


 でも全て――あの発言も、あの抱擁さえも、俺を隣室に入れないための策だったとしたら。

  

 瑛明はゆっくりと牀台から立ち上がった。

 そうして、ふらふらと室内を歩き出す。僅かに伏した目は、何をも見ていない。


 まさか、と思う。


 だけど、中相が外界を知っているのではと思えば、何故か、何もかもが説得力を持つ。

 この純朴な世界で浮いているようにさえ見える瀟洒な中相邸、市造り、そして――『桃花源記』


 「もしかして……」足が止まった。 


 俺と母さんを、見ていた?

 いつから? 何を、どこまで?

 まさか――。


「確かめないと」


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