「仮説」
『おまえは、相当この地を『理想郷』だと思い込んでいるようだ』
そう言われて、俺の言動の端々に、その思いが滲み出てしまっているんだと思っていた。
桃花源に来たとき、俺は『桃花源記』の存在は話したけれど、詳しい内容は勿論、文章に触れたりはしなかった。
『だが考えてみろ。我らは外界の者たちと祖を同じくしているのだぞ。外界で起こることが、ここでは起こらぬわけがない、とは思わないか?』
まるで見てきたかのような――異を唱える僅かな隙も無い正論で、悔しいけれど、認めるしかなかった。
たった一代でこの地を大きく変え、揺るぎない地位を得ただけの独創性と手腕の持ち主だからこその、鋭い考察力だと思っていた。
だけど。
だけど、その何もかもが全て逆、だったとしたら?
伝統的な素朴さが色濃く残る中、やけに計画的に整備された市――まるで武陵のような。
宮中よりも洗練された、中相の邸宅――まるで、外界の高官宅のような。
『志按さま』
そして外界の雑踏、人群れの向こうにそう声を上げ、母さんが追った姿。
あれは――強すぎる思慕が見せた幻――なんかじゃなく。
「いやでも、そんなはずは……」
声に出してさえみた。
だけど、足下から這い上がるように沸き上がった疑念を、どうしても消し去ることはできない。
中相は、外界に行っていたのではないか?
でも、どうやって城外へ?
普通に考えれば、南門からというところだが、いくら中相でも、何の理由もなくあの門を出ることは許されないはず。いくらだらけた門番しかいないとはいえ、洞窟の出入りを、これまで一度も見咎めらなかったなんて、不可能だ。
そうなるとやはり――地下通路か!
「確か……」
通路の出口は、三つと言っていた。
一つは北の城外、一つは、城内の中央に位置する王宮管轄の竹林内、一つは南の城外。
瑛明は、牀台脇の小卓、三つある抽斗の一番下を開ける。そこに一通の封筒があった。
取り出し、封筒から引き抜いた中身を、牀台に広げた。
それは、この城内の地図――中相と王から同じものを贈られたので、一つはここ寝室に、もう一つは隣の居室に置いた。壁に貼ろうとしたら、「女性らしくない」と依軒に却下された代物だ。
「俺の部屋だったのは、確か――ここ」
瑛明は牀台に片膝をつき、地図の上部、桃華宮の一角に人差し指を置く。
「多分、ここらへんからまっすぐ南下して」言いながら、指を滑らせていく。
そしてピタリと指を止めた。
「ここが王宮管轄の竹林」
陛下と市へ行ったときに、使った出口だ。
王師と璃宇が出迎えてくれて、女装した陛下と一緒に市を――少しだけ口元が綻んだが、それも束の間。
瑛明は、僅かに目を上げた。目線を追うように、辿ってきた軌跡を、指先が戻っていく。ゆっくりと。
再び止まった指先は、中相宅の敷地。西側部分である。
「ここは、あの竹林だ……」あの竹林のどこかに、地下通路に繋がる入り口があった?
恐らく――最初からあったわけじゃないはず。すぐ南に王宮管轄の竹林内に出口があるのに、ここに作る必要なんかない。
偶然?
意図的?
崩れたにしても、掘り当てたにしても、中相以外に気づかれずに――そこまで思い至り――瑛明は、ハッと息を止めた。
俄かに蘇る、あの、冷やかな声。
『二度とこんな――育ちが知れると思われる、盗人のような真似をするな』
胸を抉った、あの言葉。
隣室に足を踏み入れかけただけなのに、そんなに怒るなんて――そう、思わなかったわけじゃない。
だけどそれ以上に、いずれは奴隷か盗賊かと思いながら生きてきた自分に、あの言葉は僅かの容赦もなく突き刺さった。正論以外の何物でもなく、ただただ、自分を恥じた。
だから翌日、中相から心配の余りと謝罪されたときには心底安心して、もう二度と、隣室には近寄らないと、固く誓った。
でも全て――あの発言も、あの抱擁さえも、俺を隣室に入れないための策だったとしたら。
瑛明はゆっくりと牀台から立ち上がった。
そうして、ふらふらと室内を歩き出す。僅かに伏した目は、何をも見ていない。
まさか、と思う。
だけど、中相が外界を知っているのではと思えば、何故か、何もかもが説得力を持つ。
この純朴な世界で浮いているようにさえ見える瀟洒な中相邸、市造り、そして――『桃花源記』
「もしかして……」足が止まった。
俺と母さんを、見ていた?
いつから? 何を、どこまで?
まさか――。
「確かめないと」




