「訪い」
「今から明日の作詩を考えるから、一人にしてもらえる?」
椅子に座る態で傍らの依軒から目を外しながら、瑛明はさらりとそう言った。
「……」
背後から圧を感じる。ゆっくり振り返ったら、何を企んでいるのか――という目だ。
「やだなあ怖い顔して」瑛明はさらっと笑って見せると、
「あの老師、怖いから、ちょっと考えておこうかなと思って。おあつらえ向きに、もうじき昼寝の時間でもあるし」
あくまで笑顔でいる瑛明から視線を外さず、依軒はしばし無言を貫いていたが、
「そうですか。まあ明日からは嫌でも賑やかになることですし、一人静かにお過ごしになるお時間も必要ですわね。私がおりましては、作詩の妨げになるようですし」
嫌味は笑って聞き流すことにする。
そして、「ああそうだ」思いついたとばかりに瑛明は声を上げると、
「この菓子、味見用の一つだけ残して、後は持って行ってよ。あとは小姐へのお礼の品もよろしく。まあそんなこと俺が言わなくなって、いつも完璧にやってくれてるよね」
「それが私の務めですから」
そっけない口調ではあるが、まんざらでもなく思っているのは、やや高めの声で分かった。裏付けるように、卓上の菓子を一つ残し、実に見事に、手早く包み始める。
「いいですか、あまり根を詰めず、きちんとお昼寝もなさってくださいね」
依軒はあれこれ並べ立ててから、ようやく前室への扉を開けた。
ふくよかな背中が、彼女の自室へと消えるのを見届けたところで瑛明は素早く居間に戻り、中から鍵をかけた。そこでやっと「はあ」深く息を吐く。
自分で選んだとはいえ、ここでずっと依軒と二人きりで篭らなければならなかったのは、結構、骨が折れた。些事――だとは思ったものの、それでも、常に怨念の視線やらこれ見よがしなため息を浴び続けていると、心身の奥底に重いものが溜まっていった。
弱い毒にじわじわと蝕まれていく感覚。
それでも今まではなんとか受け流せたけれど、さすがに今日は――。
日常が帰ってきたということは、「その日」が間もなくということだ。
もしかしたら「今日」かもしれない。そう思ったら、せめて今だけは一人静かな時間が欲しい、そう切実に思ってしまった。
席に戻る。そこでもう一度、大きく息を吐いた。
あれから――中相からは何の音沙汰もない。
だからこそ怖い。あの人は今、いったいどこで、何を考えているのか。
トン。
控えめな音が背後で響いた。
振り返る。音は部屋の隅から聞こえた気がしたけれど。
ドン。幾分確かな音。
まさか――瑛明は立ち上がって、大股で音源と思しき場所に向かう。立ち止まったのは、黒櫃の前。
ドンドンっ!
瑛明の足音を聞きつけたからか、素早い連打には力が込められた。
たちまち踊り出す胸を押さえつつ、「お待ちください、すぐに開けます」瑛明は慌ててしゃがみこみ、もどかしく胸元に手を入れ、小袋を引っ張り出した。
瑛明が蓋を開けると同時に、底板が上がる。
最近は底板に鍵をかけるのをやめていた。お会いするのが怖いと、思っていたはずなのに――知らず口元が上がっていた。だが。
「陛……」
上げかけた声は、喉で止まった。




