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糸遊~きみにつながるひかり~  作者: 天水しあ
第八章『足音』
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「新年」

 年が明けた。


 宮中が祝賀の華やかな気で満たされているのは、閉め切った室内でも充分に感じられた。

 それでも瑛明は平素と変わらない地味な衣装を着て、普段通りの(とはいえ、特別に用意されているだろう)食事をとり、本を読んだり書を書いたりして、淡々と日々を過ごす。

 頁を捲る音すら響く静かな室内――そこへ突如、廊下を走る複数の足音と、華やかな笑声が飛び込んできた。被せるように「はあ」とこれ見よがしな溜め息は、背後から。


「ああうるさい。この部屋に誰が籠っているか分かっているはずなのに――いえ、分かっているからこそ、笑っているんでしょうね」


 また始まったよ。よく飽きないな。

 思いながら瑛明は「とりあえずここまでは読もう」と決めて、読む速度を僅かに上げた。


「賑やかに新年を祝う宮中に、喪にある者が身を置くなんて、何と物知らずなのかと、そういう笑いでしょう。世間は中相様が権力に固執するあまり無理矢理留まらせていると見るに違いありません。中相様のご活躍を妬む者は大勢おりますのに、恰好の攻撃材料を与えているのかと思うと、ああ口惜しい」


 頃合いだな。

 延々と怨言を並べていた依軒が、息を吐いたところで瑛明は立ち上がった。

「昼寝の時間だから寝る」


 そうして閉じた本を卓上に残し、依軒の反応を見ることなく、すたすたと寝室に向かう。

 寝室に続く扉に手をかけ――ふと目を流す。

 部屋の片隅にある黒櫃。しっかり鍵がかけられたそれは、もう数日、閉じられたままだ。

 さまざまな行事にお忙しいのだろう。璃音も一日に一度、顔を見せるくらいだ。


 寂しくはある。


 だけど同じ空間に身を置いている――そう思うだけで、心満たされる。それはきっと陛下も――と、何のためらいもなく思えるのだ。


 次にお会いするときには、真実を話すと決めている。

 だからなのか、お会いしたいと思いながらも、その日が来るのが怖いという思いもある。


 だけどもう決めた。あの方には、偽らないと。


「おやすみ」瑛明は肩越し振り返ってみせると、素早く寝室に身を滑らせ、扉を閉じた。

そんな新年らしからぬ鬱々とした日々を、瑛明は淡々と過ごした。

 相変わらず依軒は愚痴なのか小言なのか分からない毒を吐き続けていたけれど、不思議と聞き流すことができた。これまでは不快になったり、落ち込んだりしたけれど、今は「またやってる」とも「巻き込んで申し訳ないな」とも思う。


 だけど結局は大事の前の些事、つまりは自分の心次第なんだな、瑛明は新年早々にそれを学んだ。


                   ◆


 そして。

「ああ、ようやく日常が帰ってまいりますね。疲れました」


 これみよがしな溜め息をついて、依軒がくるりと背を向けた。おお寒……と言いながら、奥へと入っていく。一人残された瑛明は、薄く開けた前室の扉から、外の様子を眺める。


 渡廊の軒先に吊るされた紅燈を、女官たちが梯子を使って下ろしている。

 院子の方でも、手に様々な品を捧げ持った女官たちが、忙しげに行き交っている。その衣装も平服に戻っているが、華やいだ表情に祝賀の名残が感じられた。


 「瑛明さま」尖った声は隣室から。

 「今行く」瑛明は扉を閉じて、踵を返した。 


 前室を通って居室に入ると、卓上には、茶の支度がされている。中央に山と積まれているのは、今朝方、芳倫から差し入れられた、地味な色合いの甘い菓子である。


「明日からさっそく習い事が始まりますからね。お支度は大丈夫でしょうか」


 年が明けて今日まで、こうやって何度か差し入れを送ってきたものの、芳倫は一度も訪ねてこなかった。てっきり色々理由をつけて、やってくると思ってたのに――忙しかったのか、それとも色々気を遣ってくれたのか。

 ほっとしていたけれど、明日を思うと「また賑やかになる」と疲労感を覚える一方で、少し心が浮き立っているのも分かる。


 どうやらいつの間にか、あの小姐がいることが、俺の日常になっていたらしい。


 血で血を洗う権力闘争にならなくてよかったけれど、今にして思うと、もっと距離のある付き合いの方がよかったのかもしれない――そう思うと、苦い笑みがこみ上げてくる。

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