「看破」
言うつもりはなかった。
いけない。言ったところでいまさら――心の片隅でそんな声がする。
「確かに母さんは身勝手だったし、愚かだった。あなたが母さんを愛せなかったことだって責めるつもりはない。だけど」
だけど言葉は止まらなかった。
「だからって――あんな逝き方させなくてもよかったのに!」
中相がゆっくりと息を吐く。
「言いたいことはよく分かった」
そう言うと、中相は立ち上がった。
「だが、おまえと同じく、私にも守るべきものがある。両者が相容れない場合、私がどうするか、おまえには分かるはず。よくよく考えることだ。身に余る望みは、身を亡ぼす」
向けられる目は、平素の通り穏やかにみえた。
なのに、その言葉に、『父』としてより『権勢者』としての圧を感じ取って、射すくめられたかのように、瑛明は動けなくなる。
何をやってる――瑛明は自分を叱責する。
あっさり許されるなんて思っていなかったはず。むしろ、まだマシな反応だろ――そう自らに言い聞かせ、立ち上がった。
正面に立つ中相を見つめる目に力を籠め、口角を上げると、「そのときは、一緒ですよ」
「ほお」
ひと声上げると、中相はしげしげと眼前の瑛明を見つめた。
ゆっくり歩を進め、瑛明の傍に寄る。隣に立ち、再びその姿を眺め回した。
僅かばかりも逸れることのない視線に居心地の悪さを感じながら、瑛明は構わないとばかり、視線を正面に向けたまま動かずにいた。
「――おまえ」低い声。
瑛明は思わず傍らに目を向けると、中相が口角だけを上げて、笑っている。
「痩せてきたのも、声が出にくいのも――まさか体調不良によるものだと本当に思っているわけではないよな?」
息を呑んだ。
直後、いきなり伸びてきた指が、ぐっと首を掴む。息が詰まった。まさか俺を――!
だが次の瞬間、指はさらりと首から離れた。かわりに、首に巻き付けていた布が硬く握り締められる。何――戸惑いを覚えたとたん、それが勢いよく引っ張られた。足元に響く、硬質な音。釦だ。
中相の手に布が握られているのを見て、瑛明はとっさに、自らの両手で首元を覆った。
「やはりか」冷えた声。
「自覚はあるんだな? 今は厚着で誤魔化せているが、いつまでそうしていられるのかな。お忙しい陛下に全てを打ち明ける機会を待つ前に、その姿で全てが露見せぬよう、せいぜい気をつけることだ」
「――お言葉、胸に留めおきます」
強張る口元を、瑛明はどうにか上げて見せた。『何があっても怯まない』この話し合いをするにあたりただ一つ、決めてきたことだ。
「もう少し賢いと思っていた」
これ見よがしのため息とともに吐きつけられた言葉に、瑛明はぐっと唇を噛む。
「陛下のためと言いながら――結局おまえは、ただ自分だけが楽になりたいのだろう?」
何度も打ち消してきた声を口にされ、たちまちざわつく心を押さえつけるように、いっそう硬く唇を噛み、瑛明は中相を睨み返した。
「まあ仕方あるまい。野蛮な外界での暮らしが長くては、桃源郷の理を理解するのは難しかろう。それを教えることが親としての私の役目だ」
言いながら中相は歩を踏み出した。
しかし何かを思いついたかのようにふと足を止め、振り返って瑛明の耳元に口を寄せた。
「年が明けたら私は予定通り地方へ巡回に出る。戻るまで一月、自分の立場を、よく考えてみることだ。馬鹿な子ほどかわいいというが、程度というものがある。あくまで短絡的に物事を運ぶというなら――覚悟しておけ」
ぞわっとした。
「ではまた」何事もなかったように、中相は柔らかい笑みを残し、階段を下りていった。




