表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
糸遊~きみにつながるひかり~  作者: 天水しあ
第七章『背反』
74/143

「本意」

 「……そうか」それはささやかな声だった。

 眼前の人は、薄い笑みを浮かべていた。


「私も人のことは――言えないな。おまえが『逃げたい』と思っていたなんて、露ほども知らずに私は……」

 咄嗟に腕を掴んでいた。指先越しに伝わる動き――やはり王は身を返そうとしている。

 確信した瑛明は、今度は両手でその腕を掴むと、迫るように身を寄せ、

「お待ちください。陛下を騙すとか画策とか――まして『逃げたい』だなんて、そんなことは、私の本意ではありません」


「では、おまえの言う『本意』とは?」


 冷やかな声に反し、上向いた目は揺れていた。瑛明はその目をまっすぐに見返し、

「お話しします。でも先に、怪我の手当てを、どうか」

 王は、しばらくはうなだれたように足元に広がる闇に目を落としていたが、「分かった」


 ため息混じりの声とともに身体の力が抜けるのが、指から伝わる。瑛明はほっとしながら、腕の力を緩めた。「ではどうぞ中へ」

 「うん」おずおずと頷いて、瑛明に手を取られたまま、ゆっくりと足を上げて長櫃を跨ぐ。その、妙にたどたどしい動きに――子どもみたいだ、思わず綻んでしまった口元を隠そうと、慌ててうつむいた瑛明の耳が、迫ってくる音を捉えた。

 誰かが廊下を走ってる。何かあったのか? 思った直後、


 バンッと派手に扉の開く音。「瑛明さま!」


「は!?」慌てて振り返った。まっすぐ向かってきた足元は、前室に続く扉で止まる。

「やだ開かない。いるんでしょ、瑛明さま!」

 壊す気か! というくらいにガタガタと揺れる扉に、「あの小姐(おじょうさま)は! あれほど言ったのに……」思わず舌打ち。

「陛下、すぐに戻りますのでしばしお待ちを」

 止まない叩扉の音にひそませるように早口にそう言うと、握り続けていた手を放し、瑛明はすぐさま踵を返した。


 足早に扉の前に立つと、大きく息を吐いてから、声を張り上げる。

「開けますから、ちょっと下がってください」

 一つ大きく息を吸い、「よし」小さく声にし、意を決して鍵を開けた。その瞬間。


「瑛明さまっ!」

 体当たりか! という勢いで、芳倫が懐に飛び込んで来た。


 予想外のことに思わずよろめいたが、「絶対に中には入れられないし、覗かせられない!」瑛明は慌てて芳倫の両肩を掴み、


「ダメです。今、部屋を片付けているところで色々散乱して、中は危ないですから!」

 「痛い」という小さな悲鳴に気づかぬよう芳倫を押し戻し、自身が前室に入ったところで芳倫から手を放した。素早く扉を閉め、その前に立ちふさがる。


「芳倫さま、お風邪を召されたと伺っておりましたが、お身体は――」

「宮中を下がるって、どういうことです!?」

 瑛明の言葉を遮る芳倫の声には、まっすぐに向けられる目と同様、怒りが滲んでいる。


 中相に押され気味とはいえさすがは左相。情報が早い――思いながら、瑛明はそっと目を伏せ、

「ご存知の通り、私は先頃母を亡くした身です。新年の祝賀で賑わう宮中にこの身を置き、水を差しては……。父もこちらでの初めての新年は家族でと、申しておりますので」

 声こそ神妙だが、自分でも感心するくらい滑らかに言葉が出た。そういや外界では『こんな感じ』だった。そんなことを思い出す。


「新年だけ、ということ」

「ええ」今度はおずおずという様子で見上げてくる目に、笑顔で頷いてみせる。


 心が全く咎めない――とは言わない。だけどそれ以上に、扉の向こうに心は飛んでいた。


 だが。

「じゃあ、私もそうするわ」

 「え!?」思わず声が低くなった。 


「だって貴女だけ不在の時期があったら、私が正后の座を勝ち取っても抜け駆けみたいじゃない。そんなの私の気持ちが許さないわ」

 なんだその理屈。という心の声をどう言葉にしようかと逡巡していた瑛明に、芳倫は、

「それに――言ったじゃない。私たちは、ずっと一緒だって」


 ガタン! 音は隣室からだった。


 「何、今の音」芳倫が目の前に立つ瑛明を避けるように身体を傾け、隣室に目をやる。

「きっと物が落ちたんです。言ったでしょう? 部屋を片付けているところだったって。そんなことより芳倫さま、やはり熱があるようです。どうせ無断で出てきたのでしょう? みなが心配しますから、急ぎお戻りを」

 言うなり芳倫の両肩に手を置き、「え、ちょっと!」という芳倫の抗議と戸惑いの声には耳を貸さず、強引に体を反転させて、そのまま廊下に押し出した。


 そうして院子に素早く目を投げ、遠くでこちらをうかがっていた璃音を見つけ出すと、手を振って呼び寄せ、

「芳倫さまをお部屋へ。まだ熱があるようだから、二人でお連れして。途中で何かあったら大変だから」

 言いながら璃音にちらっと目を投げた。璃音は僅かに目を伏せ、「承知いたしました」


 そうして、ここでようやく院子から戻ってきた依軒を肩越し振り返り、

「ということですので、芳倫さまをお連れいたしましょう。依軒殿」

 未だ息は整っておらず、瑛明と璃音のやりとりを聞いていたわけではなかろうが、そこは古参の侍女、一目で事態を理解したようだ。


「では芳倫さま」

 依軒はうやうやしく一礼すると芳倫の背に手を回し「あら、やはりまだお熱が。無理はいけません」などと言いながら、半ば強引に歩を進めさせる。璃音はその反対に並んでやはり芳倫の背に手を回し、「転んではいけませんからゆっくり」などと言いながら、「ちょっと……」抗議の声を上げ背後を振り返ろうとする芳倫を押さえつける。見事な連携だ。

 三人が角を曲がったところで瑛明は部屋に入った。


 頑なに閉じていた扉を開けると、思った通り部屋の片隅には長櫃の蓋が転がっていて、在るはずの姿はそこになかった。

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ