「罪と罰」
「陛下、そろそろ」
「ああ、もうそんな時間か」
いつの間にか近づいていた璃音に促され、王は立ち上がった。瑛明も立ち上がり、長櫃に向かう王の後を追う。璃音はいつも通りその場にとどまり、卓上の片づけをしていた。
「どうぞお気を付けて」
そう声をかけると、階段へと降り立った王がこちらへと向き直る。瑛明は、火を入れた燈籠を差し出した。
「ありがとう」王はいつものようにそれを受け取り、それを足元に置いた。
何――? 思ったら、さっきまで燈籠を持っていた右手を引き寄せられる。
そのまま両腕が伸びてきて、抱きしめられた。回された腕からはしっとりとした熱が伝わり、寄せられた頬からは甘い香りがした。
背中を抱く手に少しだけ力が込められる。耳慣れたいつもの言葉が、耳元で響いた。
「ではまた、瑛明」
長櫃を閉めて戻ったら、卓上はすっかり全て片付けられていた。つい今しがたまでの時は本当にあったんだろうかと思ってしまう、いつもながらの手際の良さだ。
璃音はやはりいつものように、部屋の窓を開けて回っていた。瑛明はいつもその作業を手伝っていた。
だが。
「散歩してくる」
そう言うと、璃音の返答も待たずにその後ろを抜けた。
「お待ちください」
声をかけられたのは、廊下に出ようと扉に手をかけた時だった。
「どうぞこちらを」
そう璃音が差し出してきたのは、披風だ。
「ありがと」瑛明はそれだけ言うと、披風を受け取って部屋を出た。
外はまだ薄暗く、そして痛みを感じる寒さだった。瑛明は披風を羽織りながら、足早に渡廊を進み、階段を下って院子に下りた。
朧な足元だけを見て、瑛明は院子の道を、ひたすらに歩く。そうして築山の前に立つと、影が色濃く落ちて一層足元が怪しい石段を上り始めた。
途中何度か躓いて手をついてしまったが、構わず上った。
亭台に上がると、東の空がほんのりと白んでいるのが見えた。瑛明は東に向いた椅子に座る。石の椅子は、しっとりと湿っている。
瑛明は、いま思い出したとばかり、ゆっくりと呼吸をした。吐いた息が、白く伸びた。
そこへ風が吹きつけ、ざわっと草木が鳴る。ぞわっとする寒さが押し寄せ、披風を胸前で寄せたとき――『じゃあ、また』
蘇った声に、鎮まったはずの熱が身体の奥から込み上げる。
本当はあのとき、あの背に手を回して、抱き返したかった。だけど、
『そんなことが許されるとでも?』
冷ややかな声が、それを止めた。回しかけていた手は、虚しく宙を泳ぐしかなかった。
あの柔らかい目も、滑らかで美しい指も、凛とした声も、あの熱も――本来、俺が受け取るべきものじゃない。
仕方なかった――なんて言えない。
女装姿で、王の前に立つと最終的に決めたのは、自分なんだ。
いつしか目に映るのが硬質な石であることに気づいて、瑛明は目を上げる。ぼんやりと白かった正面の空が、いつの間にか明るさを増していた。
ただ目に映していただけの空の、白く淡い光が、にわかにぼやける。
本当は、離れたくない。
もう二度と会えないなんて、考えただけで恐ろしい。だけどそう思うのは、俺の勝手でしかない。
俺は最初から、何もかも知ったうえで、あの方を好きになってしまった。でも、あの方はそうじゃない。そうじゃないんだ。
俺こそが、あの方を騙して、裏切ってる。
俺は、何てことをしてしまったんだろう。




