「正体」
竹の衝立越し、牀台の母に寄り添う男の後ろ姿があった。慌てて離れたものの、今まで肩を抱いていたことは明白。
「趙さん、こんにちは」瑛明は、強張る頬をどうにか解き、ぎこちなく笑った。
「おお瑛明。今日は城市に行ってきたのかい」
趙某は立ち上がると、衝立を回って瑛明の前に立ち、足元に置かれた籠を覗き込んだ。
「はい、母さんの薬を買いに。最近、頓にに具合が悪いものですから」
だから近寄るんじゃねえよ。
やたら鋭くなる目を隠すように、瑛明は趙に背を向けた。
「趙さんの竹が立派なので、いい細工ができて高く売れました。ありがとうございます。今、お茶をご用意しますね」
「いや、いいんだ。ちょっと様子を見に来ただけだから。城市まで行って帰ってきたなら大変だったろう、ゆっくり休みなさい」
趙はそう言うと、そそくさと家を出て行った。
思わず息が漏れてしまう。よかった、玲華と話があるから外へ行けと言われなくって。
酒も煙草もやらない男だが、その体臭がこの狭い家に満ち満ちている気がする。息苦しさを感じて、瑛明は逃げるように外に出た。
大股で井戸に行き、水を汲み上げた桶にそのまま口を付ける。母に見られたら厳しく叱責される品のないふるまいだが、やらないではいられなかった。
口元を袖で拭い、茜色が忍び寄ってきた空を仰ぐ。
――ま、あのじいさんは、そんなこと言ったことはないけど。
どうせあと数年もすれば、あのオヤジも老けない母さんを訝しく不気味に思い始めるだろう。
どれだけ年月が経っても美貌が衰えない、いや、全く年を取らない母さんだから仕方ないんだけど。今や親子というより姉弟(兄妹?)と言ったほうが面倒がないくらいだ。
おかげで、どこに住んでも「怪異だ」と噂され、時に逃げるように、時には追われて、あちこちを転々としてきて、やっとこの人里離れた山奥で平穏な日々を手に入れた。
落ち着いた生活にホッとしたのか、これまで無理しすぎだった母さんはやたら寝込むようになってしまったけど。
「ここを出るまでにできるだけ金をためておかないと、な」
そういう俺も、最近ちょっとヘンなんだよな。
十六にもなって未だ声変わりしないし、身長もここのところ伸びてない。髭も生えてこないし。綺麗な娘を見ても、「綺麗だ」と思う程度だ。いい年をした男子のありようじゃない。情けない。
とはいえ、自分が何者かも分からず、明日をも知れぬ身の上で、色恋も何もあったもんじゃないが。
比呂がよく言うもんな。
『おまえ、三年前と変わってないなー。そういやおまえの母上も若いって評判だったもんな。そういう血なのかね』
俺たちって、みんなと何が違うんだろう。
このまま年をとらないでどうするんだろう。まさかとは思うけど不老不死? 妖怪?
でも怪我したら治りは普通だし、腹が減ると動けない。風邪だってひくし流行病で死に掛けたこともある。大雨の時は餓死しかけた。
「ああもう、早く迎えに来てくれないかな。『しあん』さま」
思わず口走ってしまって慌てて口を押さえる。そして恐る恐る家を振り返る。だが何の反応もない。
よかった、聞こえなかったみたいだ。
『しあん』さま――モテモテの母さんが夢で名を呼ぶ、ただ一人の人。
一度、雑踏に紛れた後姿をそう呼んで、追いかけたこともあった。それが俺の父なんだろうか。
夢幻にしか現れない男がそうなのだとしたら、それはまた随分と辛い話だ。