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糸遊~きみにつながるひかり~  作者: 天水しあ
第七章『背反』
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「嫌悪」

「具合が悪いと習い事をお断りしておきながら、牀台(ベッド)で寝転んで読書だなんて、なんて、はしたない! おまけに手を滑らせて角で額に傷をつけるなんて……。だいたい、具合が悪いなら、どうして私を呼び戻さないのです! 習い事をさぼるための仮病ですか?」


 「……」結論は合ってる。


「よりによって顔に傷をつけるなんて! 芳倫さまがこのことを知ったら、きっとご気分を害されます。もしそんなことが左相さまのお耳に入っては、中相さまのお立場にも影響します。もう少し、考えて行動していただかないと。なにより――もし陛下がいらしたら、そんなお顔をお見せになるおつもりですか!」


 「……」たとえバレても、芳倫は左相に告げ口しないよ。

 そして陛下は、もうとっくに傷のある顔を見てる。


 そんなこと言ったら、まさに火に油だな――思いながら瑛明は、牀台に横になったまま、なんら口を挟むことなく神妙な顔で、依軒の絶え間ない小言を聞いていた。普段なら早朝から勘弁してくれと、げんなりしてしまう口うるささが、今はちょうどいい。


 気を紛らわせられる。


「依軒殿、そのくらいで。昨日よりお顔の色はよくなられましたが、まだご不調のようです。心なしかぼんやりされているような」

 絶妙の間で声をかけてきたのは、依軒の背後に立つ璃音である。

 すると依軒は、新たな獲物を見つけたとばかりにキッと振り返り、

「だいたい、あなたさまもあなたさまです。いくら瑛明さまが言ったからといって、何故私に知らせないのです。主人の不調を知らずに遊んでいる侍女だと……」

 鬱憤を晴らすかのように、今度は璃音にかみつき始めた依軒が色々と並べたてていたけれど、自分への気が逸れてしまったからか、その声は、たちまち遠ざかってしまう。


 陛下が好きだ。


 そう思ったとき、何もかもが腑に落ちてしまった。そういうことなんだと認めたとき、何故かほっとしてしまった。


 陛下は俺のこと――瑛明はそっと唇に手を触れた。


 いきなり突きあげてくる感情にたまらなくなって、瑛明はわめき続ける依軒たちに背を向けて、夜着の胸元を握りしめた。


「三日ぶりだな瑛明」

 早朝の居室。茶碗から上がる湯気の向こうにいるのは、王である。

 瑛明は依軒におとなしく従い、この二日間は「体調不良」の身として牀台から出ることはなく、もちろん本を持つこともなく、あからさまに不機嫌な依軒と表情の変わらない璃音以外には誰にも会わなかった。


「おまえが庇ってくれたおかげで、私はかすり傷ひとつ負わなかった。おまえはどうだ?」

「額をちょっと打っただけで、後は何とも」


 嘘である。


 二日前、依軒の言うとおり牀台でおとなしくしていようと決めたものの、前夜から身動ぎをすると背中がひどく痛んでいて、朝食の用意で二人が退出した僅かな隙をついて合わせ鏡で背中を見てみたら、交差する赤黒い痕がくっきりと浮かび上がっていた。「ひどいな……」思わず声が漏れたほどだ。

 とはいえ依軒に診てもらうわけにはいかず、まして璃音には。医者を呼ぶなんて論外だ。

 骨は大丈夫みたいだけど、変な寝返り方をしないように気をつけないと。でも早く痕が消えてくれないと、うまい言い訳なんて思いつかないぞ、などと危惧したのもつかの間。


 あれ? 寝返りを打っても痛くない。

 あれ? 痕が薄くなっている。


 思っているうちに、痛みも痕もどんどんよくなり、今朝にはほとんど消えていた。

「傷はすっかり消えたようだな。よかった」

 そう、背中だけではない。もともとかすり傷ではあったが、いまや額のどこを怪我したのか分からないほどだ。

 こっちに来て怪我や病気をしたことがなかったから気づかなかったけれど、外界に較べて治りが早い気がする。もしかして外とでは、時間の流れが違うんだろうか。

 だから――もともと良くなかった母さんの体調も、一気に悪化したんだろうか。


 突然、額がひやっとする。


 いつしか落ちていた視線を上げると、伸びてきた指先が、そこに触れていた。

「腫れもひいているな」

「……お、かげさまで」知らず身が硬くなる。だけど――さらっと指は離れていった。安堵し、だが少しだけ、心がざわついた。


 王は白湯を一口含んでから、ふうっと息を吐き、

「璃音から『依軒の言いつけで体調不良を装っている』とは聞いてはいたが、この目で見るまでは安心できなかった。よかった」

 穏やかな笑顔を向けられたとき、瑛明は袖の下で密かに拳を握った。


 俺は偽の姿で、この方の好意を受けている。


 じゃあどうすればよかったのかと何度も自問した。でも何の答えも浮かばない。「仕方なかった」以外に。だけど、それが何になる。


 俺はいつまで、嘘をつき続けるんだろう。

 いつまで、嘘の俺を見続けるこの方を、見続ければいいんだろう。


「どうした? どこか痛むのか?」

「いえ、大丈夫です」

 そんな目で俺を見ないで欲しい。


 こんなのはもう――嫌だ。


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