「自覚」
「お気をつけて」
王師と璃宇に送られ、王と瑛明は地下通路に下りた。瑛明が燈籠を左手に持ち先導する。
「だいぶ遅くなってしまった。今頃、璃音がやきもきしているだろう」
「そうですね。依軒が戻ってきたら話がややこしくなりますし」
「まあ璃音ならうまくやるだろうが……。礼物を買っておいてよかった」
王は自分の小物は買わなかったが、茶店の新商品である菓子をいくつか購入していた。
本当にこの人、自分のことは後回しなんだな。
思いながら瑛明は、背後を振り返り「こちらです」
「凄いな瑛明。一度しか通っていないのに、足場の悪いところをちゃんと覚えている」
「道を覚えるのは、結構得意なんです」
流転の生活のおかげかな――最近、色々な場面でそう思うことが多い。
あの頃は、生きることだけに必死だった毎日に、得るものなんか何もないと思っていたのに。
「なんだか今日一日で、瑛明の色々なことを知った気がする。楽しかった。本当に……」
まるで独り言のような言葉が、ひっそりと闇に溶けていく。
途中で門が現れた。
そのたび王が瑛明の隣に並んで鍵を開け、閉める。門を五つ通過してしばらく進むと、燈籠の小さな明かりが作る陰影が階段の存在を示した。
「璃音が長櫃の傍らに控えているはず。一度、床板を叩け。そうしたら鍵を開けてくれる」
「分かりました。じゃあこれを」瑛明は左手の燈籠を、並び立った王に手渡した。
「ああ、気をつけて」
王がそれを右手で受け取ったことを確認し、「では」と言い置いて瑛明は踵を返す。そうして、竹林の階段を下りたときからずっと繋ぎ続けていた手を解いた。
瑛明は、木の板に手をかけながら這うように階段を上がる。王は下から足元を照らしてくれていた。進みに合わせるように、明かりもついてくる。
やがて頭上には天井、瑛明はドン! 短く、やや強めに床板を叩いた。
「瑛明さま?」
板の向こうから漏れてきたのは、珍しく慌てた声だ。申し訳なさが込み上げる。
「うん、遅くなってごめん。陛下もご無事だ」
「分かりました、すぐにお開けします」
どうやら依軒はまだ戻っていないらしい。ほっとして瑛明は振り返る。
「陛下、それでは――」
言葉が詰まった。
いつの間に上ってきたのか、王がすぐ後ろに立っていた。いつ持ち替えたのか、燈籠は左手にある。
空いた右手が、瑛明の右腕を強く握った。
まるで縋りつかれたかのように、身体が僅かに前のめりに揺れたその瞬間、唇が触れた。
「瑛明さま、お待たせしました」
声とともに、頭上から光が射しこんで来る。王は顔を上げ、
「璃音、遅くなって済まない。師と兄上はお元気だったぞ。瑛明が少し怪我をしてしまったから診てやってくれ。瑛明、じゃあまた」
いつものように柔らかく笑いかけられたものの、瑛明は茫然として、思い出したように頷くだけで精一杯だった。
「瑛明さま?」
その姿が遠ざかり、闇に消えた。
瑛明はしばしその場に佇んでいたが、頭上から璃音に呼びかけられ、肩越し振り返った。
「いま行く」そう答えて階段に足をかけると、璃音は長櫃の前から去っていく。瑛明は次の歩を進めたところで立ち止まり、瞑目した。大きく息を吸い、ゆっくりと吐く。
嗚呼、もう無理だ。ごまかすのは。
――俺は、陛下が好きだ。




