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糸遊~きみにつながるひかり~  作者: 天水しあ
第六章『逢瀬』
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「敬愛」

 振り返ったら、いかにも実の入りがよさそうな初老の男性が、ふくよかな笑みを浮かべてこちらを見上げている。彼は、「これはこれは」と、やけに(しばい)がかった抑揚のある声を上げながら、

「これはお目が高い。つい先ほど並べたばかりの一品ものですよ。作者はまだまだ若いですが、この品を見れば分かるでしょう、将来名を残す名工になるのは必至! どうです? 相当お気に召されているようですし、そちらの彼女に『お約束の品』としてお贈りなさっては。特別に! お安くいたしますよ」

 

 『お約束の品』!?


 思わず身を引いた瑛明の左腕に、するっと腕が絡みついてきた。

老板(てんしゅ)、残念ながら私たち兄妹なんです」

「おや、そうでしたか?」

 言いながら老板は、無遠慮な視線を向けてきた。

「確かに、よく見れば似てらっしゃいますな。美男美女兄妹でいらっしゃる。しかし兄上も大変ですなあ、かように仲の良い妹さんがこうも可愛らしいと、心配の種は尽きないし、他に目がいかないでしょう」

 周りが振り返るほど豪快に笑われ、瑛明は身動ぎ一つできなかった。だが、

「さすがは今、話題の大店の老板、お上手でいらっしゃいますね」

 からからと小妹が笑い声をあげ、なんだか和やかな感じになってしまった。そこでふと入り口に目を投げた老板が、挨拶もそこそこその場を離れ、より阿った声を上げて来店した老夫婦にすり寄っていった。

 思わずほっとして――そんな自分に、にわかに苛立つ。


 あんな爺、いくらでもかわしてきたってのに、一体俺は何をやっているんだか! 


「行きましょ、大兄」

 声に振り返ったら、いつの間にかあの小箱が棚に戻されていた。

「え? 買わないの?」

 瑛明の言葉に、小妹はふっと笑って目を伏せた。「さすがに持って帰れない」


 その後も様々な店に行ったが、どんなに「素敵」と目を輝かせても、どんなに常連客と盛り上がっても、店の者に熱心に勧められても、小妹は何一つとして購入しなかった。


 散々歩き回って腰を落ち着けたのは、門前街の西外れにある茶店である。


 こちらも突き当たりにあることをいいことに、長椅子を路上に並べる半ば露店のような店だ。しかしながら椅子には清潔な赤い布が敷かれ、盆やら茶碗やらは、なかなかに小粋な造りだ。茶も菓子も控えめな盛り付けで、瑛明以外はほとんどが女性客だった。


 小妹は注文を取りに現れた老板に笑顔で挨拶をすると、「いつものを二つ」と注文する。老板が背を向けると、懐から紅梅色の銭袋を出し、取り出した小銭を二人の間に置いた。


「見せてください!」


 赤い布に置かれた銭を、瑛明は半ばひったくるようにして手に取った。

 握ってみて、表を見て、裏返し、日にかざして見る。円形の中央に方形の穴があけられ、それを囲うように四つの文字が浮き彫りになっているそれは、紛うことなく銅銭だった。

 重さといい大きさといい造りといい、外界のものと何の遜色もない。よく見れば文字が僅かに違っているようだが、目の悪い者や文字が読めない者や不注意な者――つまり大半の者――は騙されるんじゃないだろうか。


「凄いだろう? 確かに小銭らしきものはあるにはあったが、見るからに粗悪品で、なかなか物々交換に変わることができなかった。それをここまでにしたのは志按――中相だ」


 瑛明が太陽に向かってあげていた腕を下ろすと、小妹がまっすぐにこちらを見ていた。

「それだけじゃない。何もかも中途半端に放置されていた城市造りも再開させた。おかげでかつては城に住む者の大半は城外の田畑に通っていたが、今やほとんどが城内で生計を立てている。中相を『成り上がり者』だと言う者は少なくはないが、それでもその功績は認めざるを得ない。実際、かくも城内が賑わうさまを見せつけられてはな」 

 そこで小妹がふと口を噤む。ほどなく「はい、お待たせ」瑛明の背後から、盆を持った若き老板が姿を現した。

 間に置かれた盆を見て、小妹が「あれ?」声を上げた。


「この小餅、少し形が変わった?」

「分かるかい?」

「じゃあ、もしかして味も――」言うなり、小妹は小皿の餅を一つ口に入れる。

「あ、甘さがすっきりしてる。美味しい!」

「分かるかい! いやあ嬉しいねえ、ちょっと待ってな、もう一つ新しい菓子があるから」

 老板は弾んだ声を上げて、すぐさま踵を返した。余りに嬉しかったのか、商品と引き換えに持っていくはずの銭が置きっぱなしだ。


「ああやって誰もが『より良く』しようと努めているんだ。国相に就いた志按は地位に奢ることなく、いまだ自ら城内外を巡り色々なものを見つけてきては何かを作り出している。その姿勢こそが民を教示しているのだ。だから私なぞ、ただの『置き物』でしかない」

 むしろ嬉しそうにそう言って、小妹は白い茶碗を手に取った。

「時折城内の発展ぶりと皆の楽し気な様子を体感しては、宗廟と社稷に感謝と永続の祈りを捧げるだけの身だ。気楽なものだろう?」

「そんなこと――」


 だってあんな小物一つ、好きに買えないなんて。


 ふっと小妹が目を落とす。そうして手にした茶碗に口をつけ、

「私は能力に関係なく、様々な恩恵を受ける身だ。代償があるのは当然のこと。それだって、志按の悲痛に較べれば……」

 声が消え入る。だけど瑛明の耳には、その続きは確かに聞こえた。


 知っているんだ。自分の母が、中相の婚約者だったってことを。


 茶を口に含む態で目を伏せる姿に、瑛明は複雑な思いを抱かずにはいられなかった。


 最愛の(ひと)を奪われたことが辛いことだと思ってた。周囲から冷ややかな言動を向けられただろうことも。


 でも――『こういう目』にもさらされ続けていたんだ。俺だったら、こっちの方がキツイかもしれない。


「本来なら恨んでもおかしくはない。なのに志按は変わらず父と、私に尽くしてくれた。その無念を、この国をよりよくすることに使ったのだ。そういう志按を――私は心から敬愛している。そんな志按に『置き物』にすらならぬと見限られぬよう、精進するだけだ」


「敬愛……」


 思わず呟いた時、瑛明の心はにわかにざわついた。

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