「可愛」
「どうだった?」
店を出て、往来の人混みに紛れてからしばらく――問いかけは隣からだった。
「大変、美味しかったです……」言葉にはしたものの、うまく口が動かない。
いまだに口中がじんじんしているのを感じながら口元を押さえている瑛明の傍らには、まるで今日の日差しのように、明るい笑顔を浮かべる淡い黄色の深衣姿があった。
◆
「はいお待ちどうさん!」
注文品は自分で運ぶ店のはずだが、『小妹』の後にお盆を持ってついてきたのは、さっき厨房で盛り付けを担当していた若い男だった。
「ありがとう」小妹に微笑まれ、たちまち相好を崩した男が「いえそれほどでも――では、ごゆっくり」一転、慌てて身を返したのは、瑛明の鋭い視線を受けてのこと。
瑛明は机の下で密かに拳を握りながら、いくら女装してるからって誰彼構わず愛想を振りまかなくたって……と毒づきかけたものの、「どうした怖い顔して?」と問われ、「いえ別に」慌てて表情を改めた。
卓上に並んだのは、やけに色彩鮮やかな料理の数々だった。
宮中で並ぶ料理は、喪中を配慮して粥や湯を中心に野菜や豆腐といった同じ食材が同じ色合いで揃えられていた。見た目は上品、味つけも見た目を裏切らないものばかりで、よく言えば安定、悪く言えば代り映えがない、ということだ。
しかしここに並ぶ皿は、色合いも鮮やかなうえ、見たこともない葉が散らされている皿もあり、香りさえ多様である。食材としては普段のものと変わらないように見えるけれど。
「さあどうぞ。大丈夫、全部野菜だから」
にこにこと促され、とりあえずと照りのある赤が目を引く豆腐の一皿に手をつけ――口中をめった刺しにする辛さに悶絶した。
慌てて深緑色をした湯に手を伸ばしたら――余りの酸っぱさに咳き込んだ。
これならばと、茶色の粥に飛びついたら――口が痺れて涙目になった。
それを見た小妹が、「大兄、面白いー」とけらけら笑い転げるものだから、周囲の客席から一斉に視線が注がれ、大笑いされた。
◆
「いま城市で話題の店なんだ。気に入ったのならよかった」
何事かを思い出したのか、そう言う小妹の声は、何かを堪えるかのように震えていた。瑛明は内心穏やかではないながらも、
「そうですね、刺激的な味ではありましたが――どれも美味しかったです」
そう、どれも最初は驚く味なのだが旨味があり、「もういい」と思ったはずなのに、しばらくするとあの刺激と旨味が恋しくなってきて、ついつい箸が伸びてしまう――その繰り返しだった。ああいうのを「癖になる味」というのだろう。
「材料自体はありふれているけれど、味付けが珍しくて。たまに食べたくなる」
そういう声の主を横目で見ながら――いかにも高価だけど無難な宮廷料理では物足りなかったりするんだろうな――そう思うと、なんだか気の毒な心持がした。
「じゃあ次も、小妹の好きな店に行こうか」
今、このときくらいは好きにしてもらいたい――そう思い口にしたのだが、
「本当に!?」小妹の上ずった声は、周囲の通行人が思わず振り返るほど大きなものだった。再び集まった耳目にたじろぐ瑛明の腕を、淡い黄色の袖ががっちりと掴んだ。
「じゃあ大兄、こっち!」
数多の目が笑いながらこちらを見ていたが、「分かったから引っ張るなって」困った声を上げながら、瑛明もなぜだか笑っていた。
連れていかれたのは、城市の南北大街に面した市の東門付近、いわゆる門前街というべき場所で、小物を扱う店が集められていた。
門を入って左手、真っ先に目に付くだろう立派な看板は鈴黎堂。
朱色鮮やかな平屋建てに掲げられた扁額の堂々たる金文字が、その威勢を示すように光り輝いている。通りに面した扉は全て外されていて、人々の出入りが絶えることはない。小妹も吸い込まれるように中へと流れていった。
店内には大小高低様々な棚が置かれ、色々な小物が並べられている。
店に入った途端いきなり足を止め、くるっと振り返った小妹は「じゃあ端からね」と目を輝かせ、再び意気揚々と歩き出すものだから、おかしくて仕方がなかった。そんな姿を目の端に留めつつ、瑛明は辺りを見回しながらその後に続く。
春にこちらに来て、まもなく冬。これが初めての外出なのだ。心躍らずにいろという方が無理な話だ。
初めて王に拝謁したとき車窓から市を覗いたことがある。みんなが白い、同じような簡素な衣装を着ているな、と思った。でも考えてみたら、そのときは夏だった。
だけど、重ね着も暖をとるための小物も使える今――実に多様な姿が、あちこちにあふれていた。
色鮮やかだったり、綺麗な刺繍が施された襟や袖口、同じ深衣でもよく見たら丈が微妙に違っていたりする。圍巾やら手套やら帽子やら、小物も随分と種類が豊富だ。
市の賑わいを見るに、次々と新商品が出るのはこの店ばかりじゃないだろう。まだまだ発展途上だからなのだろうが、むしろ武陵の城市より活気があるんじゃないかとさえ思う。
「これ素敵!」小妹が手に取ったのは、八角形の小箱だった。
いわゆる寄木細工というもので、様々な色合いの木を組み合わせて作られている。
色合いだけでも十分見事だが、三角形の木材が織りなす文様がまた素晴らしい。取っ手のついた蓋を開けてみれば、中は白と黒の方形が交互に並べられていて、細部まで手抜かりない。
これはさすがに職人芸だ――歓声を上げながら小箱を矯めつ眇めつ眺めている小妹の傍らで、瑛明が腕組みをして唸っていると、右肩をぽんと叩かれた。




