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糸遊~きみにつながるひかり~  作者: 天水しあ
第六章『逢瀬』
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「動揺」

「すみません」瑛明は慌ててその後を追いかけたところで、ふと思った。


 陛下って、こんな小柄だったっけ?

 今まで、目の高さは同じくらいだと思っていたんだけど……。


 でもこの高革靴(ブーツ)、底上げされてる。

 前を行く王の足元は、底のない布鞋のようだ。ああだから――得心する。

 並んだ時により男女らしく見えるようにってことか。さすがは璃音、抜かりない支度だ。感心しながら顔を上げた。


 だけど――ほの明かりにぼんやり浮かびあがる後ろ姿は、やはりどこか……。


 いやいやいやいや。

 瑛明は密かに首を振った。そもそも、いくら男女の格好をしているからって、並んだ感じがどうだろうと、同性同士なんだし。


 こんな薄暗い閉鎖空間で二人きりなんて、この状況がいけない。今は、違うことを考えよう。えーっと、そうだな……。瑛明は頭と同時に目を必死に巡らせ、


 そうだ地下道!


 どんなふうなんだろうとずっと思ってたじゃないか。今こそ観察の時!

 へえそうか、やっぱり岩を掘ったものなんだな。でもこの足場の悪さ――もしかしたら自然にできていた空間を利用しているのかも。

 そうでなければ、南北をつなぐ一本道を掘り進めるって相当な大事業だ。いくら罪人に恩赦をちらつかせたからって、たやすく進められる仕事じゃない。


  「……」二人の足音と、かすかな息遣いだけが、じんわりと響く。ひたすらに。


 ということは、ここは岩盤に積もった柔らかい層に作られた城市なんだな。

 中相から、竹林を伐採して竹庵を建てたと聞いたときには驚いたけど、それなら分かる。地下が岩盤なら、竹の根の始末も比較的楽だったんだろう。竹の根はしっかり始末しないと、家の床でも屋根でも突き破るからな……。


「上がるぞ」


 その声に顔を上げると、目の前にはぼんやりと照らし出されている、岩を穿った階段。上り下りに配慮してのことだろう、下りた階段と同じように、段には板が渡されていた。


「私が後ろから照らしているから、おまえが先に上がれ」

 裙子ですもんね――思い至った瑛明は、「分かりました」そう頷いて王の脇を抜け、数段上の板に手をかけながら、這うようにして石段を上った。


「天井に突き当たったら、板がある。左側に閂があるから、それを抜いて板を押し上げろ。人払いはしてあるはずだが、慎重にな」

 「はい」人払いってことは、ここにも地下道の存在を知っている人がいるってこと? 

 思いながら瑛明は、突き当たった板の左側を探り、見つけ出した閂を抜いて、意外と重い板を肘で少しだけ押し上げた。


 そこは板間だった。

 薄暗い中に、幾本かの光の筋が走っている。閉め切られた建物の中で、隙間から光が射しこんでいるようだ。

 見える範囲に、人はいない。瑛明は思い切って板を跳ね上げた。


 真上に板が見え、それを支える四本の脚があった。机の真下らしい。瑛明は這ってその下から抜け出し、立ち上がる。


 窓のない、ひどく狭い室内だった。


 四面と天井は細竹。ここも竹庵か? 思いながら辺りを見回す。

 正面には閂のある扉。他の三面には鍬、斧、鍬、鉈、大小とりどりの竹籠等、色々なものが立てかけられ、積まれている。部屋の中央には、この部屋に不釣り合いなほど大きい机。椅子はない。明らかに用具置き場の態だ。

 たとえ一人だってこの中を一巡するには、物をどかしながらでなければ無理だろうし、そもそも、そんな気も起らなくなるほどの雑然さだ――そう思い至ったとき、


 「おまえがそこに居ると、私が出られない」声は足元からだった。

「すみません、すぐに」

「正面の扉を開けて、外に出ろ。慎重にな」

「はい」

 瑛明は進路を阻む用具類を慎重にどかし、やっとのことで入口までたどり着いた。閂を抜いて、少しだけ扉を開ける。見える範囲には、ただ竹だけが見えた。やはり人気は、ないようだ。少しばかり安心し、それから素早く扉を開けて、外へ出た。


 周囲は、竹林だった。碧空に、まっすぐ伸びる青竹は楚々として美しい。僅かな風にさやぐ葉の音は涼やかで、漂う香りは清々しく、瑛明は大きく息を吐いた。

 前方の風景を見る。何処までも続く竹林の遥か向こうに、陽射しを照り返す王宮の瑠璃瓦が見えた。つい先刻まで居た桃華宮だ。

 何度も見たここの城内図を思い出す。ここが王宮管轄の竹林だというのなら、東隣が市のはず。そして、この北隣には中相宅が――中相に学び、時に談笑し、歌を披露し、数多の書を心躍らせながら紐解いたあの竹庵が。


「どうした?」


 驚いて振り返れば、そこには一人の女性。

 芳倫と同じ、古式ゆかしい深衣姿だった。長い上着と裙子を繋げ、身体に巻き付けて帯を結んでいる。宮中で見る女官たちもこの姿だったが、ただし素材は絹だった。

 今、王が身につけているのは、自分の衣装と同じく、恐らくは麻――つまりは、庶民を装って市を楽しむつもりということだ。

 とはいえ以前、王宮に上がる際に車から覗き見した(よく言えば)素っ気ない庶民の衣装とは違い、ほんのり染められた黄色に、襟、袖を縁取る若竹色は品のいい色合いだ。

 顔には薄桃色の紅がさされていて、額の花鈿も同色――よく見れば紅点が五点ある。桃の花だろうか。


 衣装も、上辺を少しだけすくって頭上でまとめ上げられた髪に挿された櫛も、決して高価なものではない。なのに――色合いのせいだろうか。いつもの凛とした姿に、どことなく艶やかさが仄見えて、つい目を引かれてしまうのは――。


「あんまり見るな。粗探しのつもりか」

 声に意識が引き戻された。正面、僅かに目線を外した王が、幾分気まずそうな顔をしている。瑛明は慌てて、

「そんなつもりは。それを言うなら俺だって――」


 しまった、つい。

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