「本性」
長櫃から現れた王は、目を細めて笑った。
「勇ましい」の言葉にハッとし、瑛明はとっさに翳を背後に隠した。
とはいえ、背丈より長いので、全く隠し切れていないのだが。
そんな瑛明に王もそれは面白そうに笑っているのだけれど――それどころではない。こめかみから冷たい汗が流れてきた。
この事態は何だ。
何で陛下がこの部屋にいるんだ!
ここは王の居城であって我が家ではない。
だから知らぬ間に出入りされる可能性もあると思い、ここには女物しか持ち込んでいなかった、はず。
だけど、こんな出入口があったなんて考えもしなかった。
もしかしたら何か――めまぐるしく動く頭に反し、身体は僅かだって動かない。眼前に立つ王に対して膝を折るどころか一声さえ上げることができず、瑛明は王を見つめたままただ立ち尽くしていた。
すると王がすいっと目線を外した。
「璃音」
瑛明の背後に向かって声を投げると、「こちらに」僅かに開いた扉の隙間から、璃音がするりと部屋に入り込んできた。
王は彼女に向き直ると、
「瑛明に何も言わなかったのか。危うく卒倒されるか、叩きのめされるところだったぞ」
「申し訳ございません瑛明さま。ずっと依軒殿がご一緒で、お伝えする暇がなく……」
それは確かに……そう思っていると、脇から白い手が延びてきた。
見れば、いつしか王がすぐ横に立っているではないか。
「乱れている」
そう言って、瑛明の頬や額に貼りついている髪の束を、長い指で丁寧に剥がしていった。
それから目線を侍女に流し、「璃音、あれを」
主の言葉に璃音は頷き、首の後ろに両手をかけた。
きっちり合わせられた襟元から、するすると細い紐が引き上げられてくる。襟と同じ紅色だ。やがて、紐の先に同色の小さな袋が見えたとき、璃音はそれを首から外し、延べられた王の手に載せた。
「それでは失礼いたします」璃音は膝を折ると、再び前室への扉を音もなく開け、僅かな隙間からするりと身を消し、扉を閉めた。
「さて」
王は、軽く開いた左手を瑛明の目の前に挙げた。
その中指には、たった今、璃音から渡された紅い小袋がひっかけられている。
「ではどうやって私がこの部屋に入ったか、説明しようか」
話の内容はこうだ。
王には常に暗殺の危険がある(ないとは言わないが、ここは桃源郷なのでは!?)
ということで、極度な心配性――もとい、繊細だった現王の祖父である先先王が、いざというときに備え、王宮外に通じる脱出路を地下に張り巡らしたのだという。
瑛明が使うこの部屋は、かつて母・玲華が使っていた。
そして今、王が使うのは先王の部屋。二人は双子の兄妹で、非常に仲が良かった――だから、この秘密通路を使って、お互いの部屋を行き来していたというのだ。
竹製の長櫃には普段二重に鍵がかけられているが(実は中は底がぬけており、床部分にも鍵がついているのだという)、遊びに来ても構わない、というときには鍵を開けておくというのが兄妹同士の暗黙の約束だった。秘密路を知るのはごく僅かのため、普段は鍵をかけておくのだという。璃音が首から下げていたのが、それ。そして同じ造りの長櫃が、王の部屋にもあるのだそうだ。
「何か質問は?」さらりと王に問われた。だから瑛明もさらりと訊いてしまった。
「秘密路の全貌を知ってるのは王族の方と、お仕えの国師一家の侍女たちとのことですが、じゃあ依軒も?」
「彼女は知らない。あくまで国師の直系のみに伝えられる話だ」
こんなところにまで格差が――自分の侍女を少し哀れに思いながら、
「あと秘密路を作った職人たちがいますよね。 そこから漏れることはなかったんですか?」
「ああ、それなら」
王は非常に軽やかな声を上げた。
「作業は秘密裡に行う必要があり、しかも危険が伴うということで、集められたのは隔離され、死罪を待つ罪人たちだった。彼らは実によく働いてくれたので、無事に作業は終わった。その働きを労うため、最終日には王から高価な酒が差し入れられた。だけど悲しいかな――飲みつけていなかったからか、働きづめの体に酒が回り過ぎたのか、みんながあっという間に酔いつぶれてしまってたそうだよ――焚火の始末しないままに。彼らはあっという間に火に巻かれて誰一人として助からなかった。恩赦も検討されていた矢先だったというのに、残念な話だ」
戦慄した。
誰が、どう聞いたって、最初から始末するつもりだったんだろ!?
それに、いくら自分が手を下したわけじゃないにしたって、そんな綺麗な顔して――怖っ!!
「引いたか?」
瑛明の心中を知ってか知らずか、王はどこか楽し気な様子で、そう訊いてきた。
「いえ、少しも」
さらりと口をついて出たのは、自分でも驚くくらいに落ち着いた声だった。
どうしてなのかは分からない。
だけど、この人がどれだけ酷いことを言って、またやったとしても、俺はやっぱり驚いて、ぞっとして、それでもきっと、この人を拒絶できない――何故か確信した。
「では、これはおまえに」
声にしたわけじゃないのに、その気持ちが伝わったのか、王は満足げに笑うと、手にしていた紅の小袋を瑛明に差し出した。




