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糸遊~きみにつながるひかり~  作者: 天水しあ
第五章『宮中』
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「協力者」

「今から中相――じゃない、父上が持ってきてくれた本を読みたいから、しばらく一人にして欲しいんだけど」


 瑛明は自室に戻るなり、これみよがしに本の包みを卓上に置くと、考えに考えた台詞をどうにか言い切ってから、意を決して傍らに控える依軒を振り返った。

 そもそも、読書に集中したいからなんて、これまで一度だって言ったことはない。我ながら怪しい、と思う。

 桃花源(ここ)に来て半年余り――で学んだのは、依軒に対してはまともにぶつけるよりは、婉曲的に伝える方がずっと意見が通りやすい、ということだ。

 どうも俺の希望に対しては、一言言わないと気が済まないタチらしい(同じことを中相が言えば素直にきくのに)。


 でも――「あれ」は本当なんだろうか。


 半信半疑ではあるが、悩んでいる時間も真偽を確かめる時間も今はない、と思い直した。

 間もなく夕方になろうとする頃合い、院子に面する前室の扉をあけ放っているため随分と涼しい室内であるというのに、瑛明の背は冷たく濡れている。


 予想通り依軒は、たちまち眉間に深い皺を刻んだ。嗚呼、こんな時こそあの激甘菓子があればいいのに。気前よく全部渡すんじゃなかった……瑛明が密かに後悔していると、


「分かりました。では私が前室にて控えておりますゆえ、依軒殿はしばしお休みなさいませ。随分とお疲れのご様子。お顔の色がよろしくないようですし」

 表情も変えずに淡々と言うのは璃音である。


 どこが!? 

 丸々ツヤツヤな古参の侍女の顔をまじまじと見、思わず上がりそうになった声を瑛明はどうにか堪えた。だけでなく「院子で風に当たり過ぎたんじゃない? 温かいお茶でも飲んで、少し休んだ方がいいよ。璃音が隣に居てくれるから大丈夫だって」神妙な顔をして付け加える。

 璃音は普段は王に仕えているが、主が執務で忙しい今、「手伝い」の形で瑛明の居室に出入りをしていた。芳倫にも同様に王から遣わされた侍女がつけられている。

 王から侍女が派遣されると聞いたときには肝を潰したが、幸い璃音は着替えやら入浴やらを強引に手伝おうとするわけでもなければ、勝手に居室に入ることもない。こちらから頼まれたことだけをやり、問われたことだけに答える――とても控えめにそこにいる。愛想がいいとは言い難いが、こちらの意図を見事に察し、何事もさらっとこなしてくれる。このさりげないやり手ぶり、本当にありがたい。


 何より、弟みたいに殺人的視線を向けてくることはない。

 だからこそ、一体何で俺はあいつにあそこまで睨まれているんだろうと不思議でたまらない。一度弟について、話を聞いてみたいものだ。


「それがよいかと」


 そう言って璃音が目線を投げると、依軒は眉間に皺を刻んだまま、黙りこくった。

 二人とも王族の侍女という立場、つまり国師の家の出である。ただ同じ国師の家でも、血の濃淡で身分があるらしい。璃音は現国師の直系の孫、依軒はその、傍系の血筋。母子ほどの年の差がありながら、依軒は璃音に頭が上がらないらしい。言われたわけではないが、見ていれば分かる。


 またあとで不機嫌になるな……仕方ない。


 依軒は不満も露に瑛明に背を向け、自室へと向かった。

 自室、といっても前室の並びにあり、扉一枚でつながっている。つまり、ここで何かあればすぐに駆け付けられるのだ。

「では私も失礼いたします」璃音も一礼を残し、前室へと退去した。


 「はあ……」瑛明は、そこで大きく息を吐いた。

 そうして帯に手を差し入れ、小さく折りたたんだ紙片を取り出し、それを開く。


『のちほど部屋に行く。一人で待て』


 この紙片の意味を璃音に尋ねたかったのだけれど……瑛明は前室への扉へと目を投げた。

 一人残された瑛明は、もちろん書を読む気などサラサラなく、だけど他に何をしていいのかも分からなくて、気づいたら立ち上がっていた。

 そうして室内をぐるぐる巡っては、花瓶の位置や花の挿し方を何度も変えてみたり、書架の片隅の僅かな埃を拭ってみたり、本を背の高さ順に並べ替えてみたりした。

 本当に陛下はここに来るのか? 

 でもこんな明るいうちに、お忍びでここまで来られるとは思えない。

 王の周囲がそれを許すはずはないし、それでなくてもご多忙の身だ。


 「やっぱりこっちか」呟いて、瑛明は花瓶を最初の位置に戻した。そうして、ゆっくりと室内を見渡す。

 左手に寝室、右手に前室に繋がる扉があるが、今はどちらも閉まっている。正面の壁には紫檀の違い棚が置かれ、曇りない白の花瓶に、やはり紫檀の台座にとろりとした深緑の玉、朱い漆塗りに宝相華の浮彫が見事な六花合子(六花形の蓋付容器)、多彩に色付けされた舞女の陶俑、そして鮮やかな紅牡丹の目を引く円形の刺繍衝立が随所に配されていた。


 崔家の洗練された目新しさはないが、歴史を感じる高貴な重厚を感じさせる品ばかりである。円卓も瑛明が座る椅子も背後にある書架も榻(長椅子)も、全て紫檀である。この控えめなつややかさ、地味でも野暮ったくても、やはりここは王宮なんだとしみじみ思う。


「花瓶は、やっぱりこっちでいいし、埃も溜まってないし、掛軸も――曲がってない!」

 そこでふと思い出し、瑛明は部屋の隅へと足を早めた。

 やはり紫檀の小卓に、銅製の八花鏡がある。丸椅子に座って覗き込むと、髪が少し乱れている。瑛明は抽斗から櫛を取り出して、念入りに髪を梳いた。梳くほどに、つややかさが増していく髪に、顔も塗り直した方がいいんだろうか……そう思った時だった。


 足元がガタガタっと揺れた。


 慌てて立ち上がり、もしかして地震ってヤツ?――思いながら辺りを見回す。

 だけど壁にかけられた掛軸も吊るされた紅い提灯とその房も、微動だにしていない。


 気のせい? 思った直後、今度はカタっとひそやかな音がした。


 音は、鏡台の傍らに置かれた竹製の長櫃からだった。備え付けの家具は使っていいとのことだったが、これだけは鍵が見当たらないということで使用することなく置きっぱなしになっていたものだ。

 何だか違和感を感じて目を凝らして見たら、鍵がないはずなのに錠前が外れている!


 瑛明は長櫃に目を据えたまま大股で後ずさり、本棚の隣の榻に立てかけられていた(柄の長い団扇)を取った。

 前室には璃音がいる――視線は外さず、じりじりと横に移動して前室に続く扉を背にしたとき、長櫃の蓋がぱっと開いた。


 瑛明は身を引いて柄を握り直したが、驚愕の余り息をのんだ。


「これは瑛明、勇ましいことだ」

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