「旧い友」
流された彼の視線は、まっすぐ瑛明の胸元に下りてきていた。胸まで引き上げた裙子を結んだ帯にのっかる、二つの丸みに。
「どこ見てんだよ、この変態!」
瑛明が思わず、とばかり両腕を抱きながら身を捩る。押さえつける力で、布に詰めて丸くした二つの綿がぐしゃっと潰れた。比呂は比呂で顔を赤くしながら顔を逸らし、
「しょーがねーだろ! デカすぎるんだから」
周りは「比呂と瑛明の兄が学友同士で、比呂がこの地に引っ越すまで家族ぐるみの付き合いをしていた」という比呂の言葉をまったく疑ってはいない。二人のやりとりには何故か色気を感じないというのがその最たる原因だろうが、それもそのはず、そもそも、この二人が学友同士なのだ。当時は単なる顔見知り程度の仲だったが。
去年この地に流れ着き、三年ぶりに偶然再会した。
そして『ある事情で』瑛明が女装して暮らしていることがバレたあとも、彼はそれを黙ってくれている。だけでなく、周りの男衆が瑛明にちょっかいをかけようとすると、慌てて駆け寄って来て、その前に立ちはだかるのだ。
今みたいに。
比呂が壁となって群衆の視線が届かないのをいいことに、瑛明は彼の目の前で堂々と胸元に手を入れ、胸の形を整える。偽物と知っているのに、眼前の比呂は「見ちゃいけない」とばかりに明後日の方向を向いている。
瑛明はひそかに笑いながら、
「だーって久々に市に来たんだから、ちょっと盛っといた方が売上に繋がるだろ? 今日はこれ全部売って、薬買って帰りたいんだ」
そうは言いながらも、比呂の言を容れ、少し小さめに胸の形を作り直す瑛明である。
「馬鹿、売り上げどころかおまえが危ないって言ってんの!」
「大丈夫、俺の腕は知ってるだろ?」
人ごみに背を向けているのをいいことに、瑛明が胸前でぐっと拳を握って見せると、比呂は大きなため息をつき、
「喧嘩上等かよ、相変わらずだな。ここでの騒ぎはやめといてくれよ」
「ここで商売できなくなったら母子で飢え死にするっての。そこまで馬鹿じゃねえよ」
「そうだよな。おまえが母上養ってるんだもんな。売り上げのために女装までして……」
――女装は母推奨なんだが……内心思うが口にすることはない。この格好のおかげで売り上げがいいのは本当のことだし。
『王家の血に恥じぬ行いを』とか言うくせに、女装ってのがよく分からない。おかげで俺のこと女だと思ってるヤツは相当数いるはずだ。大半はもう二度と会わないから、一生そう思っていることだろう。
比呂の視線や声に滲む憐憫に、怒りや悲しみを覚えるようなことは、もうない。だからこそ、俺が男だってことを他言せず、色々便宜を図ってくれているんだろうから。
人の思惑がどうあろうと、頂けるものはなんだってありがたく頂戴する。浅ましいでも恥知らずでも、言いたいヤツは言えばいい。
この流浪の生活を終わりにするためだ。もう二度と、座して死を待つしかないあの絶望を味わいたくはない。
いつかきっと、俺と母さんの居場所を見つけるんだ。