「事件」
国の成立という遠大な歴史の講義に突如自分が登場したことで、瑛明が思わず背筋を正すと、対面に座す中相が少し笑ったように見えた。
「おまえたちが居なくなってほどなく、城内の若者たちが失踪する事件が相次いだ。みな失踪するような理由もなく、城外をうろつく野犬に食われた形跡もない。怪異ではと噂が立つようになったある日、洞窟の外から異臭が流れ込んできたために、開かずの岩戸が開けられ、洞内で失踪した若者一人の遺体が発見された。傍らには装束の全く違う、外界の人間も死んでいた」
恐らく相打ちになったんだろう――中相はそう続けたが、桃花源に似つかわしくない不穏な言葉の羅列に、瑛明が少しばかりぞっとしていると、「おまえは忙しいな」今度ははっきりと中相が笑った。
若者たちが武器を手に洞窟を抜けて調べたところ、漁師が辿ってきた川の周辺で若者の死体が次々と発見され、近くには洞窟に繋がる印が多数残されていた。
彼らは仲間の遺体を回収し、印を丹念に変え、消した。
遺体には、桃花源にはない鋭利な凶器でつけられた傷が多数あった。その形相は、死に際の苦痛と無念をありありと表しており、また外界の者がいまだにこの地を探している事実に、誰もが戦慄した。
そのため、平穏な日々の中で遅々として進まなかった城市作りが、なによりの急務となった。
「そのときに、急病の右相に代わり城市整備を仕切ることになった私の評価は大いに上がり、臨時職とはいえ中相の地位を手に入れることになったわけだ」
中相が言うには、国学で同学だった右相が病になり、業務に支障が出るようになった。その補佐として設けられたのが「中相」位。右相が復するまでの臨時職であり、左・右よりは下位とされたが、同じ宰相位とされた。
その地位に抜擢されたのが、城市作りで功績をあげた崔志按。
官僚たちは左か右相派のどちらかに属しており、かくいう志按も右相派官吏だった。とはいえ、右相家とはきわめて薄い血縁関係であり、本来であればあり得ない人事だった。
先王・陶翠波の双子の妹である母さんと、現王・陶翠荷の母である元婚約者の――それと「急病」で面倒を押し付けることになった右相の計らいがあったのかも。
同学なら気心は知れているし、とはいえもともとは下臣なわけだし、有能な駒に地位を与えて手懐けておくことで、より自分の力を大きくしようと思ったとか。
でもその駒は、御しきれない力を手にしてしまった――といったところか。
確かに役職に就けたのは運なのかもしれないけれど、それを確固たるものにしたのはこの人の実力なんだろう。『今、最も王の信頼篤く、権勢があるのはこの私』あんな言葉、相当な自信がなければ、口になんかできない。
「漁師がここに迷い込んで以来、固く閉じられた岩戸を開け、外界に出る命知らずの無法者はいくばくかはいた。彼らは誰もが無事に帰り、中には有益な情報をもたらす者もあったため、厳しく咎められることはなかった。だがあれ以来、外界行きは厳禁とした。禁を破った者は一家惨殺することになっているから、以来誰もあの岩戸を開けていない」
だからおまえたちも外界に居るのでは? と思ったものの、探しに行けなかったという中相に対し、瑛明は怪訝な顔になる。
「厳禁と『した』? 誰が?」
「私が」
驚いたことに、復帰した右相の体調が思わしくないからと中相職に在り続けるだけでなく、いまや土木のみならず、人事・財政から刑罰を決する司法まで、右相が担う王宮外のあらゆることに関わっているのだという。
「刑罰が必要なのですか?」驚いた瑛明が思わず声を上げると、中相は頷き、
「ここでは犯罪は多くない。牢番になると『楽ができる』と喜ばれるくらいだ。多少の差はあれど生活に困窮する者はなく、盗む必要もない。せいぜい憂さ晴らしの喧嘩や過ぎた酒で人を傷つけたり物を壊したりした者が牢に放り込まれるくらいだ」
「――殺人、なんてあるんですか?」
「喧嘩の際に打ちどころが悪く、というのがほとんどだな」
「わざとじゃないってことですね。その場合はどうなるんですか?」
瑛明の問いに、中相は怪訝な顔で、
「殺す者は殺される。当然だろう」




