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糸遊~きみにつながるひかり~  作者: 天水しあ
第四章『失くした時』
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「その後の桃花源」

 それから、にわかに崔家は騒がしくなった。

 多数の人と物が出入りし、日が昇る前から落ちてまでも邸内は賑やかであった。全ては瑛明の王宮行きのためである。

 喪をおとなしく過ごすための王宮入りだなんて、誰も思っていないようだ。まあ、当然だけど。

 いちおう崔家の一員扱いされてるのかな。まあ、単なる駒だろうけど。


「瑛明さま、何をなさっておいでです」


 窓外にぼんやりと目を投げていた瑛明の背後から、甲高い声がかかる。瑛明は苦笑しながら振り返り、

「申し訳ございません、老師(せんせい)。外の賑やかさについ……」

「何たること、集中しきっていない証拠です! 日がないのですよ、もっと身を入れていただかないと、私を取り立ててくださった中相様へ顔向けできません!!」

 またかと思いつつ、「申し訳ございません」瑛明はしおらしく謝罪した。

 まあ、何もないと色々考えてしまうから、やることに追われてるくらいがちょうどいい、今は。


 その瑛明、午前は離れで舞に楽器に歌、書に画に作詩、刺繍、宮中のしきたりなどを、入れ替わり立ち替わり現れる女たちに習う。

 そして午後からは竹庵で、時に王宮から下がってきた中相から、時に自学で桃花源の歴史から現在の政について習った。


「おまえも知ってのとおり、この地は、秦の争乱を逃れた村人たちが拓いた地だ。以来、農村として、平穏な時が変わらず流れた。一人の異人が迷い込んでくるまでは」




『外人の為に言うにあらざるなり』


 桃花源(ここ)に迷い込んだ漁師は、村民の歓待を受けること数日、外界へ帰ることにした。

 出立の日、外界に繋がる洞穴の前で、多くの村人が漁師を見送った。皆が口々に別れの言葉を告げる中、「ここでのことは、外界の人に言うほどのことではない」と声をかけたのは、ある初老の男。

 漁師の姿が洞穴の闇に消えると、先ごろ成人したばかりの、その長子が言う。


「父さん、あの者をこのまま帰して大丈夫でしょうか? ここでのことを外で流布して、人々が大挙してやってきたら、また争いの世に我々は巻き込まれるのでは」


「兄さんの言う通りだ。俺が様子を見てくる」

 そう言ったのは、男の次男。病弱だが思慮深い兄と活発で行動力のある弟、性質は異なる二人だったが、仲は良かった。


 次男は遊び仲間の二人を連れ、そっと漁師の後を追った。


 洞窟を出て、外界に帰った漁師は、果たして川を下りながら木を刻み、石を置いてあちこちに目印をつけて行く。三人はその印をいちいち変えながら、川沿いからその様子を伺った。


 やがて漁師は舟を下りた。


「これで安心だから、俺たちももう帰ろう」そう言ったのは、次男の友人である痩身少年。

 しかし次男は首を振り、「せっかくここまで来たんだ。外界の情報を仕入れて帰ろう。兄さんはいつも『正しい判断には情報が必要だ』と言ってる」

 それには肥身友人が同調した。「どうせなら美味しいものを食っていこう」


 三人は漁師の後を追いながら、道中でずっしりとした銭包を拾い、干されていた着物を失敬して、武陵の城市に入った。

 見たこともない大きな建物や装束に驚き、圧倒されながらも、数日滞在して城内を歩き、観察した。


 そして三人は、めいめいに礼物と称して、大きな籠いっぱいに外界のものを集めた。

 次男は「兄のために」と手当たり次第に本を買い、肥身友人はたらふくいろんなものを食べた後、珍しい食料や調味料、その種、目新しい農具や器を買った。痩身少年は大量の紙を買い込み、城内の様々な風景を描き、記し、二人の友人が持ちきれないものを持った。

 三人は武陵を後にし、残った金を衣装代として置いた後、漁師の舟を使い、村に帰った。


 村人に出来事を話すと、当面の危機が去ったことに安堵しつつも、外界の脅威に備えようということで意見はまとまった。

 まず、外界に繋がる洞窟は岩戸で塞がれた。それから村を壁で囲い、内部の整備を進めることになった。そのために組織作りが必要となり、長として兄弟の父が選ばれた。

 男が亡くなると次男がその後を継いだ。ともに外界へと行った二人はその補佐役となった。

 長子は父より先に亡くなったが、次男はその子を大切に養育した。


 時が経ち、次男の末裔が王となった。

 肥身友人の末裔が左相、痩身友人の末裔が右相として、それぞれ宮中の諸々と、宮外の諸々を取り仕切るようになった。両家に縁付いた者はやがて「貴族」と呼ばれ、関係性により位が決められ、見合った特権が与えられ、国事にあたった。

 両家は時に協力し、時に競うことで、品位と良識を保った。王后は原則、両家から選ばれた。


 長子の末裔は、法を司るものとして左・右相を牽制する位置にいる。娘は王とその兄弟の乳母となり、男は国の最高学府である国学の長に、別の子は太史として常に王の傍に侍ってその言動をつぶさに観察し、時に求められて意見をし、たしなめる存在だった。


 王との対面の日、親の敵とばかりに自分を睨みつけていた璃律(りりつ)が今の太史なのだという。年の頃は王より一つ下、つまり自分と同い年ということだ。

 『史記』では「君を弑す」と記録し、削除を求めた簒奪者に殺された太史の兄弟があったと書かれていたから(結局二人目の弟も同じことを記録し、簒奪者が根負けした)、生半可な覚悟ではあの場に立ってはいないんだろう。

 

 とはいえ。


 話を聞くと代々国学の長を務める家柄だから、もうちょっと公平性があると思ったけれど――やっぱり国学家であっても、中相家の成り上がりぶりはお気に召さないのか――いやでもあれは、俺個人に対してのような――色々考えると、なんとなく心が重くなった。

 王政が始まって十代。平穏な農村ではなくなったが、外界からの脅威がないからか血で血を洗う権力闘争などもなく、またしても太平の世が変わらず続くかと思われた。


「変わったのは、十数年前。おまえたちが『消えた』少し後のことだ」

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