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糸遊~きみにつながるひかり~  作者: 天水しあ
第四章『失くした時』
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「特別」

 翌日。


「こちらだ」昼餐後、瑛明は中相に伴われ、離れを出た。


 院子の石畳を中相が先導し進んでいく。日ざしに煌めく水面が眩しい池水が近づき、その向こうには瑛明がただ一度だけ駆け込んだ本宅が見える。

 ついに本宅に呼ばれるのかと身体を硬くする瑛明の眼前で、中相が進路を西へと変えた。肩越し振り返り言う。


「まあ言うまでもないことだが、こちらの連中におまえは歓迎されていない。極力姿を見せぬほうが、お互いのためというものだ」

 もう、苦笑するしかない。「ですね」

「だが今回の宮中行きで、少なからずおまえを崔家の一員と認める向きにはなってきた。言っておくが、おまえの『真実』を知っているのは私とおまえ、依軒の三人だけだ」


 それって――もしバレたら、この家の人たち何にも知らなかったのに処罰されるってことなのか?

 今さらながら肩にずっしりとのった重みを実感し、たじろいでしまう瑛明を知ってか知らずが、中相は僅かに目を細め、

「秘め事を持つ面倒を、知らぬおまえではないだろう。何も知らぬまま罰せられることがないよう、我々が努めればいいだけのこと」

 そう言われてしまっては、言葉がない。


 中相は丹青鮮やかな本宅の脇を抜け、邸内を囲む壁を包み隠すかのように広がっている竹林に入った。


 この崔邸は、かつて王族の所有だったが長らく無人となっていた。

 王女である母・玲華が降嫁するにあたり、新居にと崔家に下賜されたという。

 邸宅は敷地の東側にあり、西側は竹林が占める。竹林からは北の左相家、その向こうに王宮――母のかつての居所である桃華宮が望めると中相は言った。

 その言葉通り、凛と並び立つ竹の向こう、幾重もの建物の先に、ひと際高く陽射しに光る王宮の瑠璃瓦が見えた。

 竹林には、枯れたり折れたりした見苦しい竹は全くなく、足下も、歩道だと一見で分かるほど美しく掃き清められ、歩きやすい。丁寧に手が入れられているのが、よく分かった。


 やがて、前方にやけに明るい空間が見えてきた。

 周辺の竹が伐採され、日の光が集まっている。よく見れば、この空間への光を遮らないように林の竹も間引きされているようだ。

 その配慮に驚きながら、瑛明が改めて辺りに目を配っていると、やがて明るい空間の中に、小さな、竹の庵が見えてきた。


 まるで外界で暮らしていた、かつての家のようで、懐かしさにわっと胸が湧きたつ。北に設けられた扉には、周囲の風景には似つかわしくない鉄の錠が取り付けられており、中相が懐から出した鍵でそれを開けた。


 「さあ」促され、胸を躍らせて中に入った瑛明だったが、かつての家とはやはり違っていた。

 あの家の倍の広さがあるにも関わらず、驚くほど物が多い。二人で入るのがやっとだ。


 部屋の中央には方形の机が置かれ、二脚の椅子が向かい合わせに据えられていた。

 ちょっとした小物が入りそうな腰丈の棚が置かれた南面以外の壁には全て背丈よりやや高い書棚が備え付けられている。

 真新しい綴本から時代を感じさせる木竹簡まで多彩な書が整然と、ぎっしりと詰め込まれていた。見れば、四書五経はもちろん、外界では「散逸した」とされる春秋戦国時代の書まである。恐らくこちらに逃げてくるときに、祖先が持ってきたものなのだろう。知らない題名のものは、この地で出されたものなのだろうか。

 そして北面と東面には書棚に隠れるようにして小さな扉があった。北面は入り口だ。


 居並ぶ散逸書も、この世の地理や歴史もどれも興味深く、瑛明の胸がたちまち躍る。

 こちらに来てから何冊か書を与えられたが、女だからと思われていたからか、小説や詞など気晴らし用の軽い読み物ばかりだった。目新しさもありそれなりには面白かったが、技巧に走らない、素朴で簡明な作りのものばかりで物足りなさを感じていたのもまた事実。


 室内に目を巡らした瑛明は、

「まだ部屋があるのですか?」

 東の書棚に埋もれるようにある扉に目をやり、問うた。大柄ではない瑛明でも身を屈めなければ通り抜けられないほどの小さな扉だ。


「あちらは分類前の書が置いてあるんだが、本の重みで床が抜けてしまった。直すか他に部屋を用意するか思案中だ。参内前に大事があってはいけない。決して入らぬように」

 「よいな」と念押しされ、瑛明はこっくりと頷いた。

 ここだって山のような本があるのに、床が抜けるほどって、どんなに大量の本があるんだろう。


 この人……やっぱり凄い。


「明日からは午前は舞や歌といった女性の嗜みを離れで学び、午後からはここで私が国のことを教えよう。私がいない間もここには好きに出入りして、好きに読むといい。有益な本はこの部屋に集めてあるから、こちらで十分事足りるはずだ。上の棚から思想、宗教、歴史・地理……こちらの世界について書かれた書が集めてあるから、まずはこれらを読み、早くこちら世界を知るといい。そしてこちらが外界――おまえが居た世界だな――の書。気晴らしにはいいだろう。ここの本は全て、目録を作ってある。たとえ宮中に入った後でもおまえが読みたいというものは、いくらでもこちらから運ばせる」

 「分類」の言葉どおり、数多ある本は大まかな内容ごとに分けて棚に並べられているようだ。おまけに目録まで……。それだけで分厚い一冊になっているそれを手に取ると、きっちりとした細やかな字で、本の題名と著者、棚の位置が書かれている。


 思わずため息が漏れた。

 これだけの本を集めたこともさることながら、集めるだけに満足せず、有効に使うための仕組作りをしている。依軒が中相を称えるのは身内びいきも入っていると思ったけれど、決してそんなことはない。

 俺も頑張らないと! 瑛明が内心で拳を握っていると、


「ではこれはおまえの鍵」そう言って、中相は真新しい鉄の鍵を瑛明に差し出す。


「ここには他の者の出入を許していない。だから鍵は二本しかない。失くさぬようにな」

「――いいのですか?」

 思わず訊いてしまった。

 中相が怪訝な顔をするのを見た瑛明は慌てて首を振り、

「なんでもありません。ありがとうございます、扱いには気をつけます」

 こんな「特別扱い」、どうしていいのか分からない。

 歩き回りたい衝動にかられたが、余りに挙動不審な行為だと思い、瑛明はどうにか思いとどまった。

 取り繕うように笑うと、受け取ったぎゅっと鍵を握りしめた。


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