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糸遊~きみにつながるひかり~  作者: 天水しあ
第三章『出会い』
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「お言葉」

 それからどれくらいの時が経ったのか――。


 瑛明の声が次第に小さくなり、やがて止むと、シンと室内が静まり返った。

 その、耳に痛いくらいの静けさで、瑛明はたちまちに我に返った。


 ――どうするよ、これ。 


「落ち着いたか?」

 絶妙の間合いで声がかかった。

「はい」と言いたいところだが、声はすでに涸れている。瑛明は必死に頷いた。

「それはよかった。――ところで」

 そこで王の声が小さくなる。耳元にそっと口が寄せられ、


「おまえは、どこまで、知っている?」


 囁くような声だったが、ゆっくり、はっきり区切られた言葉は、確かにそう言った。

 「え?」瑛明が小さな戸惑いの声とともに顔を上げたとき、目の前の、端正な顔立ちが不意に歪んだ。

 瑛明の背に回した腕を解いたかと思ったら、両手で口元を固く押さえた。笑うのをこらえているようだがどうにもこらえきれないらしく、床に目を落としたまま、肩を震わせている。

 瑛明はますます意味が分からない。

 困惑する瑛明に「すまない」と声をかけながらも、王はなかなか笑いをとめられない。しばらくして、どうにか声を収めた王は、帯に挿された瑛明の扇子を抜き取って差し出し、

「化粧が落ちまくってるぞ。かなり派手に。それで隠しておくといい。それとその手絹は差し上げる。――じゃあもう、いいな」


 そうして瑛明の両肩に手を置いて勢いよく立ち上がり、滑らかに踵を返した。

 長衣の裾がふわりと揺れる。褲子(ズボン)の裾を差し込んだ膝下までの高革靴(ブーツ)が、大理石の床を鳴らしながら大股で遠ざかっていった。その姿を慌てて扇子を広げながら追った目が、玉座まで行き着く。

 あいつはさぞや冷ややかな目で――目元の熱さと頬の火照りを感じながら目を移したが、


 「あれ?」思わず声が出た。


 あいつも、壇上の両脇に控えていた衛兵も、振り返ると中相もいない。慌てて向き直ると、来た時と同じように王は玉座で足を組んでいる。傍らの小卓に手を伸ばしながら、

「外野がいては心置きなく泣けないと思って。でももういいな」

 そういうと、卓上にあった銀の鈴を鳴らした。澄んだ美しい音が渡っていく。

 やがて複数の足音が近づき、前方に三つ、隣に一つの気配を感じた。

 全身がものすごく熱い。顔が上げられないじゃないか。


「大変失礼を」

 中相の声に身体が固まる。冷や水をぶっかけられるとは、こういうことを言うのだろう。

「なんの。我らはいとこ同士。瑛明は私の大切な身内だ」

 再び目の高さで重ねた両手越し、僅かに面を上げて前を見ると、王はやはり少し身を乗り出していた。笑っているようにみえる。


「時に――志按」

 声を改めた王が、一層身を乗り出した。

「私は瑛明を宮中に招きたいと思うのだが、どうだろうか。今となっては私に最も近しい身内であるし、気心も合いそうだ」

 気恥ずかしさも安堵感も、その言葉で霧散した。


 宮中に招く?


 遊びに? いや、そんなことないだろう。それは、つまり……。

「我が祖父母も、いとこ同士だったと聞く」


 とどめだった。

 いやちょっと待て……慌てふためいていると、「恐れながら」中相が静かな声を上げた。


「大変ありがたいお話ながら、ご覧のとおり不調法者でございます。こちらのことはまだ何も分かっておりません。王宮に上げたとて、皆様にご迷惑をおかけすることは必定。どうぞご容赦を」

 中相の言葉に被せるように、やはり置物のように玉座の背後に控えていた、璃律という青年が声をひそめ、言う。とはいえ、居合わせる者全てに聞こえる程度の声で。

「陛下、近く左相のご令嬢をお迎えすることになっておりますゆえ、どうぞお留まりを。いえせめて、今しばらくお時間を」

「そちらは私が呼んだわけではないぞ」

「ですが」

「第一、瑛明は産まれてしばらくは宮中に留まるはずだったんだ。今からその時を取り返して、何が悪い」

「どういう理屈ですか」

「とにかく!」

 王は突如声を荒げると、にわかに立ち上がった。


「瑛明がこちらに戻ったばかりで何も知らぬというのは周知の事実だ。それを承知で私が招くのだ。何の問題もない。もし瑛明が『どうしても嫌だ』というなら考えよう。だが他の者の言葉は聞かぬ。志按、後日回答せよ。よい返事を待っているぞ、瑛明」

 それだけ言い捨てると、王は部屋を出て行った。

 慌てて璃律が後を追う。虫くらいは余裕で殺せそうな鋭い一瞥を瑛明に投げつけて。そのあとを衛兵たちが足早に追った。


 瑛明は硬く扇子を握りしめたまま、動くことができない。

 無論傍らも振り向けない。中相もその場に留まったままのようだ。


「どうしよう……」

 扇子の下で瑛明は、何度もうわ言のように、そう呟いていた。

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