「敵意」
たちまち沈黙が落ちる。いつまでも、誰も、言葉を発することがない。
え? まさか俺に訊かれてる? 俺が直接答えていいの?
頭上から降ってきた声に大いに戸惑ったが、いまだ無音が続いているからそういうことらしい。
慌てて「はい」、と応えたつもりだったが、声にならなかった。慌てて頷く。
傍らに控える中相がすかざす、「申し訳ございません。外界での日々が長く、いささか不調法でございまして」
「構わない。こちらこそ、いきなり呼び出してすまない」
やや高めの声は歯切れがいい。半年しか生まれは違わないのに、この違いといったら。
なんか、一人で緊張してる自分が馬鹿みたいじゃないか。
そもそも、異郷のことだと思っていたはず――瑛明は一つ息を吸い、
「崔瑛明でございます。このたびは拝謁の機をいただき、恭悦至極に存じます」
今度は自分でも驚くほど滑らかに声が出た。
「結構。我らはいとこ同士、遠慮はいらぬ。顔を上げよ」
し、心臓が口から飛び出すって、こういうことなんじゃないだろうか……と思うくらいに心臓の音がうるさい。瑛明はできるだけ静かに大きく息を吸い、目の前で重ねていた両手を下げ、意を決して顔を上げた。
玉座の彼の人は、眉間に皺を寄せ、目を眇めてまじまじと自分を眺めていた。
「なるほど……。聞いてはいたが、本当に中相に似ているな。そなたの正体を疑う者が居ないのも道理。本当に、よく似ている……」
壇上、玉座に収まる人物は全身紺づくめで、意外と小柄だった。組んだ足に肘を乗せて、身を乗り出すようにして自分を見ている。興味津々といったところか。
「では改めて。私は陶翠珂、一応、王ということになっているな」
こんな高貴な人が易々と本名をさらしていいのか? そこにまず驚いた。
声もまだ変わってないみたいだ。寿命が長いと、成長もゆっくりでいいってことかな。
まあ俺も、人のことは言えないが。
「聞くに、ここのことは全く知らなかったそうだな。どうだ、こちらの印象は」
王はにこやかに語りながら、目を輝かせてをこちらに向けている。いかにも興味津々といったところ。
笑顔同様、素直なんだな。
それに――本当に綺麗な顔立ちをしてる。
切れ長な目は涼やかで、均等に上がった両の口角に自信と品の良さが滲み出ている。
でも、親しみやすい方だな。年が近いからかな――気がほぐれかけたが、王の背後に影のように控える従者の、射るような眼差しに気づき、瑛明は慌てて目を逸らした。
「こちらに来て初めての外出とか。最初に志按の邸宅を見てしまっては、この地のどこを見ても野暮ったくて仕方なかろう。そなたの父は博識な上、好奇心旺盛だ。我々が思いつかないようなことを次々と思いついては実践している。おかげでこの地は、私が成長する以上の速さで発展している。私の父も、今やこの私も、ただ座っておればよい、という状態だ。――なあ、中相」
王は一層身を乗り出すと、瑛明の隣に悪戯っぽい目を投げて、
「瑛明は十数年も外界での艱難を越えてお戻りになった、ある意味英雄でいらっしゃる。どうだろう。私自らでこの城内を案内して差し上げたいのだが」
「は?」
辛うじて声は口中に留めた。
思わず隣の中相に目を投げると、中相は穏やかな笑みをたたえたまま、
「まこと有り難いお心遣いながら、王がご一緒では瑛明はまともには歩けぬだろうと思われます。先程も車から降りる際、王宮の荘厳さに気圧され腰を抜かさんばかりでございましたから」
「へえ、そうなのか瑛明」
何言ってるんだ! 瑛明が思わず中相に抗議の一瞥を投げ、そしておずおずと視線を戻すと、王がにっこりと、美しく笑いかけてきて、「車に揺られすぎたのではなくて?」
「……」
「素直な反応だ」
王は声を立てて笑った。瑛明は思わず面を伏せる。
笑いすぎ。
ってか、声高すぎ。
じっとりとした掌は冷たいのに、頬はどんどん上気して、もう顔があげられないじゃないか。
ふいに目の前に影が差した。
顔を上げる。目の前に王が立っていた。滑らかに片膝をつく。手を伸ばせば触れられるほどの距離から、まっすぐに見つめられる。
驚きのあまり瑛明は声も出せず、動けない。
何で?
どうして?
王ってこんなに気安いもの?
俺は一体どうしたらいいんだ。
それにしても――すごく綺麗な目をしている。なんだろう、白目が綺麗なのかな、引き寄せられる――。
「おい!」「瑛明」
二つの声に身体が跳ね、たちまち周りの風景が目に飛び込んできた。
見れば王の背後、背筋を正し、まるで人形の置物かと思うように微動だにせず控えていた侍従が、射殺さんばかりの目でこちらを睨みつけている。
「不敬だぞ、何を考えている!」
「瑛明、いくら神々しいからと言って、陛下のご尊顔をまじまじと見てはならない」
言葉を補うように、穏やかにたしなめてきたのは傍らの中相だ。そこでやっと、瑛明は自分がとんでもないことをしでかしてしまったことに気づき、一気に血の気が引いた。
慌てて平伏しようとしたが、手で制された。
「中相、私が瑛明の美しさに目を奪われたのだ。瑛明は何も悪くない」
自分が口にするのも聞かされるのも恥ずかしくなる台詞をさらりと言われて、瑛明は頬が上気するのを自覚しながら、もうどうしていいか分からない。
「私と似ているところは……睫毛の多さかな。これは王家の血なのかな」
そうか。王は、なんとなく母さんに似てるんだ。
先王と母さんは双子だったわけだし、だからかな、あんまり緊張しないのは。
またしても気が緩みかけたが、玉座の方から不穏な空気が流れてくるのを感じた。
相変わらず鋭い視線が向けられているのは、気配で分かる。
そんな瑛明の心中を察したのかどうか、王は背後を振り返り、
「璃律、控えよ。久々の身内との対面なのだ、水を差すような真似はするな」
「ですが!」
不満も露わな声に、もしかして意外と若いのかあいつ、瑛明が思わず璃律と呼ばれた侍従に目を向けると、「何見てんだ!」と言わんばかりに、思いっきり睨まれた。
子供かよ、つい笑い出しそうになって、唇を引き締める。
「おまえのその態度は、不敬でないのか?」
王の冷ややかな声がとどめとなって、彼は謝罪の言葉を口にし、黙り込んだ。不満げに。
「さて」
改めてこちらに向き直った王が、にわかに表情を改めた。「この度は、非常に残念なことだった」
「え?」間の抜けた声が漏れた。
「叔母上のことはよく父が話してくれた。こちらに戻られてすぐにでもお会いしたいと思っていたのだが、体調を崩されていると聞き、快復を心待ちにしていた。まさかあんなに急に逝かれてしまうなんて……。今にして思えば私からお訪ねするべきであった。残念だ」
この人――。
気づいたら、瑛明はまたまじまじと目の前の人を見ていた。




